8月15日は終戦の日でした。
今から69年前のこの日、終戦を伝える昭和天皇の声がラジオで放送され、玉音放送として歴史に残ることになりました。
収録は前日に行われ、2回の予告放送の後、計6回にわたって15日に放送されています。
予告放送では、「15日に天皇自らの声による放送があるので、国民は一人残らず聞くように」とされ、昼間に送電のなかった地域にも特別送電を行ったり、工場や停車場、郵便局などでも手持ち受信機を手配して全員が聞けるようにしたと言います。
当時の正確な聴取率の記録があるわけではありませんが、おそらくラジオ史上最高の聴取率を記録したと思われます。
興味深いのは、天皇の生の言葉が放送に流れるのは、公式にはこれが初めてだったということです。テレビはまだない時代なので、天皇を神のごとく崇めていた国民のほとんどは、天皇の姿も声も知らず、この放送で初めてその声を聴くことになったわけです。
沖縄でアメリカ兵が玉音放送を聞き、日本人捕虜に「これは本当に天皇の声か」と尋ねたところ、答えられる日本人が一人もいなかったと言います。
メディアが発達した今では考えられない状況ですが、わずか70年ほど前にそのような時代があったことが、小さな驚きでもあり、改めて戦後のメディアの発達のスピードを実感するところです。
今から69年前のこの日、終戦を伝える昭和天皇の声がラジオで放送され、玉音放送として歴史に残ることになりました。
収録は前日に行われ、2回の予告放送の後、計6回にわたって15日に放送されています。
予告放送では、「15日に天皇自らの声による放送があるので、国民は一人残らず聞くように」とされ、昼間に送電のなかった地域にも特別送電を行ったり、工場や停車場、郵便局などでも手持ち受信機を手配して全員が聞けるようにしたと言います。
当時の正確な聴取率の記録があるわけではありませんが、おそらくラジオ史上最高の聴取率を記録したと思われます。
興味深いのは、天皇の生の言葉が放送に流れるのは、公式にはこれが初めてだったということです。テレビはまだない時代なので、天皇を神のごとく崇めていた国民のほとんどは、天皇の姿も声も知らず、この放送で初めてその声を聴くことになったわけです。
沖縄でアメリカ兵が玉音放送を聞き、日本人捕虜に「これは本当に天皇の声か」と尋ねたところ、答えられる日本人が一人もいなかったと言います。
メディアが発達した今では考えられない状況ですが、わずか70年ほど前にそのような時代があったことが、小さな驚きでもあり、改めて戦後のメディアの発達のスピードを実感するところです。