言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

強盗の言葉あれこれ

2009年05月31日 | ニュース
こんな言い方は不敬かもしれませんが、ちょっと面白いコンビニ強盗のニュースが立て続けに報道されました。
それぞれ強盗する時の店員への言葉に注目です。

一つは東京都台東区で。
コンビニエンスストアで、客を装った男がレジの男性に包丁を突きつけて脅し、八万円を奪って逃走したというもの。
それなら普通の強盗ですが、面白いのは犯人が包丁を突きつけながら敬語で脅したというのです。
「お金をください」
「けがはさせません」
「大丈夫です」
なんとも緊張感のない脅しです。
言葉遣いに人柄が滲み出ているようです。

もう一つは大阪住吉区で。
13日に住吉区のコンビニで、30歳前後の男が店員に刃渡り17センチの包丁を突き付けて一喝。
「通報せぇ! それ以外のことしたら刺すぞ!」
どうやら酔っ払いだったようですが、まるでコントのような強盗です。
大阪の土地柄が関係しているのでしょうか。

もう一つは外国人?強盗。
7日八王子市のコンビニエンスストアに入った男が、包丁のような刃物を突きつけて脅迫。
「カネカネ、フクロ、ハヤクシロ!」
男は現金約4万円を奪って逃走しました。
片言の日本語だったことから、外国人だったのではと見られています。
片言の言葉でもコミュニケーションができる、という良い(悪い?)見本ですね。

コンビニ強盗の脅し文句といえば「金を出せ!早くしろ」が定番ですが、最近では様々な表現が見られるようです。


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料理はいいこと?

2009年05月24日 | 食の話し
日本では、最近「グルメ」という言葉が完全に定着しました。
食通。
食べることについて見識や経験を持っている人のことで、基本的にはポジティブな意味で使われます。
フランスでも、食通は一つの名誉ある言葉です。
ところがイギリスではちょっと事情が違うようです。

日本語の「料理する」は、英語でもっとも一般的にはcookと表されます。
加熱を伴う料理についてもっぱら使う言葉です。

日本語の「料理する」を比ゆ的に使うと、「うまくやる」「工夫して結果を出す」など、ポジティブな意味合いで多く使われます。
「料理」という言葉がもともと「物事を整えおさめること、うまく処理すること」という意味から派生しています。
「この素材をどう料理しようか」
などといえば、知恵を出して素材をよいものに加工していく、という意味です。

ところが英語のcookを比喩で使うと、ネガティブな意味がつきやすいようです。
cook the books というと、伝票などを改ざんする、という意味になります。
でっち上げる、ごまかす、ダメにする、疲れる、など、この言葉には「料理する」以外によい意味はあまりありません。

この言葉の違いの背景には、日本と英国の料理についての考え方の差があると思います。

日本は古来、山海の幸に恵まれ、食文化が高度に発達した国でした。
おいしいものがあれば、人は貪欲になり文化も栄えます。
平安貴族も、江戸の庶民も、戦後の人々も、よりおいしいものを目指して努力を重ねました。

それに比べると、英国は寒冷地でフランスや地中海地方に比べると、もともと食材自体が豊富とはいえません。
そのためか、騎士道やジェントルマンシップなどのイギリス精神文化の中にも、「料理などに感けているのは人生の無駄」という感覚があるようです。

またイギリス出身の人にきくと、その裏には「ピューリタン」の精神も関係があるのではないかと言います。
禁欲的な宗教観が、料理などの「快楽」を否定する精神性を築いたのだと言います。

豊かな自然に恵まれただけでなく、いまや世界の料理が花開く日本の国民から見れば、cookが「人を欺く」ことと解釈される文化は違和感がありますが、それもお国柄でしょう。





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新型インフルエンザ

2009年05月20日 | ニュース
新型インフルエンザが日本でも徐々に広まっています。
弱毒性と言われていて過度に心配する必要はなさそうですが、関西では学校が休校になるなど、世界と比較しても日本人らしい徹底し過ぎるほどの対策が講じられています。

一連のニュースの中で、興味深かったのはインフルエンザの呼称についてでした。
もともと「豚インフルエンザ」と言われていたものが、今では「H1N1」という専門用語を使うようになりました。
豚インフルエンザの方がイメージしやすく覚えやすいのですが、この呼称が豚肉に対する無用な悪印象を与えるとして、豚肉産業に携わる人々からの反発があったようです。
確かに、今回のインフルエンザは肉を食べることで感染するわけではないのですが、「豚インフルエンザ」と名づけられているとスーパーに行っても何となく気持ち悪く感じるのがひとの心理です。
狂牛病、鳥インフルエンザの時には、目に見えて買い控えが起こりました。
次は、豚…。豚肉業者が危機意識を持つのも当然でしょう。

しかしH1N1という分かりにくい呼称にも抵抗があるのでしょうか、現在日本では「新型インフルエンザ」と呼び習わしているようです。
しかしこの呼び名は、数年後には意味のなくなる言葉です。
次に新しい型のインフルエンザが出るかもしれません。

一度「新型」でインプットされた名前を新しい呼び名に切り替えるのもなかなか難しいものです。
イメージしやすく、いつまでも使える呼称が必要。
目に見えないウィルスに名前をつけるのも、一苦労ですね。


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民主党代表に鳩山氏

2009年05月18日 | ニュース
小沢さんの代表辞任を受けて、16日に民主党代表選が行われ、鳩山由紀夫氏が選出されました。
毎日新聞の世論調査によれば、麻生首相と鳩山氏のどちらが首相にふさわしいかという問いに、鳩山氏34%で、麻生首相21%となったそうです。
次の衆院選で勝ってほしい政党は民主党が56%。
自民党の2倍近くに達しています。
小沢さんの代表辞任が、これまでのところは党のイメージの回復に効を奏しているというわけです。

それにしても日本人は、「切腹」が好きな国民です。
何かちょっとでもミスがあると、その責任をとってポストを辞任してしまいます。
そしてそれを国民も「潔い姿勢」として受け入れます。
決して「ミスした分、二倍頑張って信用回復してくれ」とは期待しませんし、そうした責任の取り方をしようとする人もいません。
小沢さんの辞任から鳩山氏代表選出に至るまでの国民の反応がそれを如実に物語っていると思います。

「潔い」という言葉は、英語にはしにくい言葉です。
和英辞書を引くと、graceful、manly、pure、cleanなどの訳語が出てきますが、辞書によって随分違います。
それだけ英語文化圏には理解しにくい概念だということでしょう。
一方、日本語には、その類語が山のようにあります。
高潔、至高、崇高、清々しい、爽やか、純潔、清逸、潔癖、廉直…
少しずつ意味は異なりますが、「崇高さ、清さ」を表す言葉には事欠きません。

ところで、辞めたはずの小沢氏が代表代行に残り、岡田さんが幹事長になった民主党。
「潔さ」が好きな国民の目には、はたしてどのように移るのでしょうか。
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大阪人と英語

2009年05月17日 | 日本人
大阪から東京に来た友人で、東京になかなか馴染めないという人がいます。
聞くと、最大の壁は言葉のようです。
東京のイントネーションには馴染めない、というわけです。

これはよく聞く話で、大阪の人は東京のイントネーションの言葉を聞くと、「冷たい」「よそよそしい」と感じると言います。
また、東京は様々な土地から来て住んでいる人が多い街ですが、みな住み始めてしばらくすると東京のイントネーションに溶け込むのに対し、大阪の人はなかなか大阪弁を捨てない、あるいは抜けない傾向にある、とも言います。
そのため東京では、だれだれは札幌出身、だれだれは名古屋出身などと、言葉から出身地を推定するのは一般に難しいのですが、大阪の人は分りやすいことが多いようです。

大阪には特有の東京への対抗意識が潜在的にあり、東京に溶け込むことを潔しとしない気風があるのだと言います。
タイガースファンの多くが、中日や広島には負けても巨人には負けたくない、と豪語するのを見ても、そのような意識は根強くあるのでしょう。

しかし大阪と東京の言葉の壁は、それだけではないような気もします。

私は、大阪と東京、両方の街に住んだ経験がありますが、二つの町では街行く人の
「言葉をかける気軽さ」がまったく違います。
大阪でタクシーに乗ると、行き先を告げた直後から運転手さんが必ず客に話しかけてきます。
「どっからきはったん?」「明日は雨降るらしいで」「昨日も阪神あかんかったなあ」
まるで客との会話はサービスとして料金の一部に入っているかのようです。
電車で友人としゃべっていても、隣に立っている見知らぬ人がごく自然に会話に割り込んできます。
東京ではあまり見られない光景です。
見知らぬ人同士が言葉をかけあい知り合いになるプロセスは、東京は大阪よりも遅く、また障壁が高いようです。

かつて大阪は商人の街、東京(江戸)は侍の街でした。
商人はコミュニケーションが命です。
言葉を交わし、相手との距離を縮め、交渉をする。
商品のよさを少しでも客に分ってもらうためには、黙っていては伝わりません。
一方、侍は黙して語らず、不言実行といった気風を持っていました。
そのお膝元で文化を築いた江戸っ子の町人たちの間にも、「粋」という言葉に代表されるような「秘したお洒落や美学」が根付いていました。
「言わずもがな」「一を聞いて十を知る」といった、無言のコミュニケーションが育ちやすい文化です。

歴史上、町の成り立ちが異なるために、気風も違います。
それは現代といえど、まだ残っているのだと思います。

興味深かったのは、大阪の友人が言った言葉でした。
「英語より東京弁の方が馴染めんわ」

その友人は、英語が達者です。
東京の言葉は、「意味は分かるけど伝わっている気がしない」というのです。

英語文化圏、特にアメリカの人は「言葉ですべてを伝える」文化を持っています。
言わないことは伝わらない。
言葉がないことは、意思がないのと同じこと。
そのため、みな自分の考えをよく言葉にして話します。

自分の意志をどこまで言葉で伝えるか。
その軽重の感覚について言えば、大阪の言葉の使い方は、東京よりも英語のそれに近いのかもしれません。
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