まっすぐに波うつ銀沙灘(ぎんしゃだん)と、円錐を半分で切り取ったような向月台(こうげつだい)。
その幾何学的な文様は、古い京都の庭には他に見られません。
現代画家の岡本太郎は、京都の庭の中で銀閣寺庭園がことのほかお気に入りだったと言います。
彼は、京都の庭園には失望させられるものが多かったが、銀沙灘や向月台は「私の発見したよろこびの、もっとも大きなものの一つだった」と述べています。
そして、この庭園の解釈についてあまり論及されてこなかったことは、「日本庭園史の穴だ」と表現しています。
いかにも岡本太郎らしい、独特の言葉です。
さらに岡本氏は、月の夜には、銀沙灘が湖となり、向月台の頂上が満月に比せられるのだという、独特の解釈を試みています。
また銀沙灘や向月台は、義政の時代からのものではなく、江戸時代に作られ始めたと言われていますが、詳細は不明です。
いつからどのように始まったのか、誰がどのような意味をこめて作ったのか。
謎に満ちている庭です。
だからこそ、様々に解釈することが可能で、面白さもあるのでしょう。
巨大な向月台を前に、謎に満ちた歴史に思いを馳せていると、外国人のアベックが大声で話しながら通り過ぎていきました。
「見て見て!富士山よ」
「ホントだ。これぞ日本だね」
そんな解釈もアリ、かもしれません。