言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

十和田湖、小さな島にも名前が

2006年08月19日 | 言葉
十和田湖は山の木々が湖岸近くにまで迫っていて、湖に沿った道路からですら樹木に遮られてなかなか湖の風景を見ることはできません。
砂浜もほとんどないので、そもそも湖岸に立つことが難しい湖です。
そのため湖を観光する人は、もっぱら所々にある展望台から遠景を楽しむか、あるいは遊覧船に乗って湖上からの風景を楽しむことになります。

私も遊覧船に乗りました。
所要五十分ほどの遊覧船観光は、半島の眺めあり、小島の風景ありで、変化に富んだ湖上の風景を堪能できるものでした。

遊覧船のスピーカーから流れてくる解説を聞いていて、面白いと思ったのは、湖上に浮かぶ小島一つ一つにそれぞれ名前がついていることでした。
島に名前がつくこと自体はそれほど珍しくありません。
が、よく見ると島というより「岩」と言った方がふさわしいような取るに足らない大きさの島です。
しかし昔の人たちは、島の形や、島の上に育つ松の形などを仔細に観察して、それぞれにふさわしい名前をつけてきたのです。

ちなみに写真の手前に見える三角の島が「兜島」。
その奥にあるやや平たい島が「鎧島」です。

兜島は、確かに武士の頭にのせる兜に形が似ています。
しかし鎧はどう見ても鎧には見えません。
おそらく「兜島」を命名した後に、その隣に対照的な形の島があったので、言葉としても対照的な「鎧」の名をつけたのでしょう。
二つの島で一つの意味をなすように名づけたわけです。

その他、「恵比寿大黒島」「烏帽子島」「蓬莱島」などなど、決して大きくはない島々にそれぞれに工夫された名前をつけていく…。
その丁寧な感性に、何だか嬉しい気持ちになりました。

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/5f8e88644e10bb925d0d2e4a29c8eac3

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十和田湖の養殖物語

2006年08月19日 | 歴史の話し
夏休みに青森を旅しました。
十和田湖から奥入瀬の渓流散策、そして夏の八甲田山へ。
概ね天気にも恵まれ、素敵な旅になりました。

写真は十和田湖です。
青森と秋田の県境にあります。
火山の噴火で生まれたカルデラ湖、それも湖の真ん中を囲むように二つの大きな半島が伸びている二重カルデラ湖です。
最深部は327メートルで日本第三位。
船の上から水面を眺めると吸い込まれそうな感覚に襲われました。

その水は川から流れ込むのではなく、湖の底から湧き上がって供給されるのだそうです。
砂浜はほとんどなく、泳ぐ人の姿も見かけません。
この湖の美しさを、紀行作家の大町桂月は「山は富士、湖は十和田湖」と評しました。

この十和田湖には、一つの苦難の実話が語り継がれています。

水清ければ魚住まず、と言いますが、かつて十和田湖には魚類が生息していませんでした。
明治中期に、何とか湖に魚を住まわせたいと、和井内貞行(わいない・さだゆき)という人が魚の養殖に取り組みました。
様々な魚を取り寄せては放ちましたが、なかなか育ちません。
十和田湖は貧栄養湖と分類されるのだそうで、そもそも魚が育ちにくい湖です。
試行錯誤の末、和井内は支笏湖からヒメマスをもらいうけ、湖に放ちます。
一年、二年…。
あきらめかけたある日、和井内は湖にきらきらと光るヒメマスを見たのです。
和井内はこう叫んだといいます。

「我、幻の魚を見たり」

苦労の末の成功の実感がこもった言葉です。

この物語は本になり、また映画化もされているようです。
市井の人々が苦労した末にようやく根付いたその土地の産物が、今も名物としてその土地を潤している例は、全国で枚挙に暇がありません。

ヒメマスは、今も十和田湖の名物として、訪れた観光客を楽しませています。

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/48a73525a0aa525a280f7b3c9fa1aca9


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