言語についてよく議論を交わす友人がいます。
丸ノ内の和食屋に腰を据えて、久しぶりに日本語と英語の言語論を交わしました。
その中で興味深い話題がuptalk【アップトーク】という現象でした。
英語で話す時、疑問文でもない通常の文章の末尾を、あたかも質問をしているかのようにトーンをあげて発音する話し方のことです。
I’ve bought a glass? It’s very nice? といった風に聞こえます。
英語の世界ではずいぶん前から指摘されている現象で、若い世代を中心に今では当たり前になっているものだと言います。
私は、最近になって英語で話をする機会が増えたので、英語というのはそういう発音をするものだと思い込んでいましたが、実は年齢の高いネイティブの中には違和感を持つ人もいるようです。
和食屋で味噌田楽を食べながら、彼は、この現象の中に「一種日本人的な気遣いの心」があると言います。
たとえ文法的には言い切る形の文でも、質問のように語尾を上げて発音すると、「私はこう思うけど、あなたはどう思うかしら」とか「あなたはこのことを知っているかしら」という風に、一方的な断言を避け、相手の価値観や知識、考え方、意見などを受け入れる意思表示になるというのです。
それが高じて、どんな文章でも語尾をあげてuptalkで会話を交わすことが一般的になりつつあるのです。
ひとたびそれがスタンダードになると、本来のように語尾を下げて言い切る話し方だと、強すぎて押しつけがましく聞こえてくるのかもしれません。
翻って考えると、日本語でもほぼ同じ現象が見られます。
若い層を中心に、単語の語尾をよくあげて発音する話し方はすでに一般的になりつつあります。
確かに、その話し方だと、旧来の会話に慣れている人が聞くと違和感を覚えることがあるかもしれませんが、一方で相手の存在をより意識したコミュニケーションと捉えることもできます。
純米酒を飲みほした彼は、自分は違和感があっても、言葉というものは変化していくもので、それがよりよいコミュニケーションを生むのであればそれはそれでいいのだ、と自分を納得させるように語っていました。
そう、言葉というものは、好む好まざるに関わらず、変化していくものなのです。
丸ノ内の和食屋に腰を据えて、久しぶりに日本語と英語の言語論を交わしました。
その中で興味深い話題がuptalk【アップトーク】という現象でした。
英語で話す時、疑問文でもない通常の文章の末尾を、あたかも質問をしているかのようにトーンをあげて発音する話し方のことです。
I’ve bought a glass? It’s very nice? といった風に聞こえます。
英語の世界ではずいぶん前から指摘されている現象で、若い世代を中心に今では当たり前になっているものだと言います。
私は、最近になって英語で話をする機会が増えたので、英語というのはそういう発音をするものだと思い込んでいましたが、実は年齢の高いネイティブの中には違和感を持つ人もいるようです。
和食屋で味噌田楽を食べながら、彼は、この現象の中に「一種日本人的な気遣いの心」があると言います。
たとえ文法的には言い切る形の文でも、質問のように語尾を上げて発音すると、「私はこう思うけど、あなたはどう思うかしら」とか「あなたはこのことを知っているかしら」という風に、一方的な断言を避け、相手の価値観や知識、考え方、意見などを受け入れる意思表示になるというのです。
それが高じて、どんな文章でも語尾をあげてuptalkで会話を交わすことが一般的になりつつあるのです。
ひとたびそれがスタンダードになると、本来のように語尾を下げて言い切る話し方だと、強すぎて押しつけがましく聞こえてくるのかもしれません。
翻って考えると、日本語でもほぼ同じ現象が見られます。
若い層を中心に、単語の語尾をよくあげて発音する話し方はすでに一般的になりつつあります。
確かに、その話し方だと、旧来の会話に慣れている人が聞くと違和感を覚えることがあるかもしれませんが、一方で相手の存在をより意識したコミュニケーションと捉えることもできます。
純米酒を飲みほした彼は、自分は違和感があっても、言葉というものは変化していくもので、それがよりよいコミュニケーションを生むのであればそれはそれでいいのだ、と自分を納得させるように語っていました。
そう、言葉というものは、好む好まざるに関わらず、変化していくものなのです。