小学生が自分の作文を声に出して発表する、スピーチコンテストが行われた時の話です。
みんな思い思いに書いた文章を、身振り手振りもつけながら、大きな声で読み上げていました。
中には明らかに先生の指導が入りすぎた、過剰な演出や美辞麗句が並ぶスピーチもありますが、それはそれ。
普段、人前で自分の意見を発表する、という機会が少ない日本の初等教育の中にあっては、子どもたちにとって貴重な体験だったようです。
その会場で、主催者側の先生が講評の中でよいことを言っていました。
話す表現力を見につけることも大切だが、人の話を聞く力も大切。
人の話を聞いて理解するのは、簡単なことではない。
その力の源泉になるのは、ボキャブラリー。
言葉を知っていないと、人の言うことは正しく理解できない。
そのためには、本をたくさん読みましょう、といった主旨でした。
もちろん表現力や理解力は、ボキャブラリーが全てではありませんが、
言語を通じたコミュニケーション能力の中で語彙が決定的な要因であることは間違いありません。
母語だとあまり感じませんが、英語など外国語を学習していると、最後の最後にモノをいうのはやはり語彙です。
実は母語でも、語彙が足りなくて表現力が乏しく苦労している人は大勢いるはずです。
話す者と聞く者が、ある言葉について共通の理解を持っている。
それが言語コミュニケーションの第一歩ともいえます。
さすがに教育者だけあって、この先生の言葉は巧みでした。
子どもたちに、彼の意図のどれくらいが伝わったことでしょうか。
みんな思い思いに書いた文章を、身振り手振りもつけながら、大きな声で読み上げていました。
中には明らかに先生の指導が入りすぎた、過剰な演出や美辞麗句が並ぶスピーチもありますが、それはそれ。
普段、人前で自分の意見を発表する、という機会が少ない日本の初等教育の中にあっては、子どもたちにとって貴重な体験だったようです。
その会場で、主催者側の先生が講評の中でよいことを言っていました。
話す表現力を見につけることも大切だが、人の話を聞く力も大切。
人の話を聞いて理解するのは、簡単なことではない。
その力の源泉になるのは、ボキャブラリー。
言葉を知っていないと、人の言うことは正しく理解できない。
そのためには、本をたくさん読みましょう、といった主旨でした。
もちろん表現力や理解力は、ボキャブラリーが全てではありませんが、
言語を通じたコミュニケーション能力の中で語彙が決定的な要因であることは間違いありません。
母語だとあまり感じませんが、英語など外国語を学習していると、最後の最後にモノをいうのはやはり語彙です。
実は母語でも、語彙が足りなくて表現力が乏しく苦労している人は大勢いるはずです。
話す者と聞く者が、ある言葉について共通の理解を持っている。
それが言語コミュニケーションの第一歩ともいえます。
さすがに教育者だけあって、この先生の言葉は巧みでした。
子どもたちに、彼の意図のどれくらいが伝わったことでしょうか。