言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

城の話

2008年11月15日 | 歴史の話し
日本語で「城」というと、多くの人は石垣と天守を持った城下町の真ん中に建つ城をイメージするでしょう。
歴史的に見れば楠正成の千早城に見られるような中世の山城もれっきとした城なのですが、日本人はほとんど「城」という言葉に一種類のイメージしか持たないようです。

英語では、城はcastleと訳されたり、fortress、city wallなどという言葉があります。後者は要塞という言葉が近いかもしれません。
ドイツ語では、schlossとburgが別の概念で表されています。いずれも日本語では城と訳されます。
これらの言葉の違いは、西洋と日本の城の発達の歴史による違いを表しています。

西洋では、城の発達の歴史は長く、主に中世に作られた石造りのburgと、王侯貴族たちの居城として発達したcastleやschlossとは違うものでした。
大きく分ければ、前者は主に戦闘目的、後者は権威の象徴といえるでしょう。

日本では、戦国末期、鉄砲伝来を機に戦いの様相が変わってから、中世の山城とは打って変わり、石垣を中心にした城が作られます。
そして信長・秀吉・家康による急速な天下統一の動きの中で、「権威の象徴」ともいえる天守の造営が始まります。
その両者の動きが歴史上とても短い時間の間に起こったため、日本では戦闘目的の石垣や砦と、権威を誇示する天守とが、合わさって発達します。
信長の安土城造営から、わずか半世紀の間に、日本人が「城」とイメージするほとんどの城が作られました。

そして江戸時代開闢とともに、一国一城令が発布され、中世の山城の多くが破却され、それ以降の時代に新しい城が作られることもなくなりました。
つまり、長い歴史の中で、半世紀の間に全国に作られた城だけが残され凍結・保存されてきたのです。

そのため、日本人にとって「城」という概念は一種類に統一され、城は戦闘のためでもあり権威の象徴でもあり政治の場でもあり、また石垣も天守も併せ持った概念となったわけです。

歴史が違えば、言葉も変わります。

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