今日は誕生日。決しておめでたい年でもなくなってきた。
嬉しい気分も無ければ、凹む気さえもない。
思い起こせば30になった時の誕生日は結構へこんだ。
もう若くないという気分と、年齢に合わず相変わらず成長の無い自分を悔やんだ。
年を取ると固定概念や自分なりの考え方やこだわりが定着しだす。
それが大人といえばそれまでだが、どうしても嫌いで許せないことも増えてきた。
寛容さや柔軟さが薄れ、増えてくるのは冷静でシビアで現実的な自分。
受け止められないものは受け止められない。認めるものは認める。そんな自分。
嫌いになったものの1番にあげられるのがテレビ。
例えばニュースを回しても、その局の思想が混じってくるし
都合の悪いニュースは流さないし、都合のいいニュースは躍起になって流す。
人の不幸は蜜の味なのか、本当に流さないと行けない重大なニュースは蹴散らし
アホな視聴者がとっつきやすい人の不幸や怒りや憎しみを与えるニュースは連日のように流す。
バラエティ番組を回せば、お笑い芸人やお馴染みのアイドルグループが幅を利かせる
いい番組を根底から作ろうというより、芸能人の名前で視聴率を稼ごうという短絡的な思考が
見え隠れする。1度ブレイクすればその芸能人を兎に角色んな番組に使い回しをする。
特に不愉快なのは毒舌で売っているタレント。
人を小馬鹿にしたりするズカズカ直球でモノをいう人間なんか
言葉を選べない・配慮の無い人間が立っているという風にしか思えないから面白くもなんともない。
どうも視聴者を見下している感が否めなく、見ていてイライラするから
チャンネルを回すことは殆ど無い。
スポーツ番組を見ても、馬鹿騒ぎをする解説者に実況、
強引なフレーズやスローガンを視聴者に押し付けて演出ばかり先走っていかにもバカっぽい。
崇高なプロスポーツを称えるより、大衆を洗脳でもしてやろうという
安易な番組構成がばかりが目につく。
指し分けそのスポーツに「本当は興味ないのでは?」と思われる
人気芸能人を配置し、これまた安易な視聴率稼ぎを狙う。
またタレントの思考の面も気になる。
どうも似たり寄ったりなのも目につく。
最近ではブログやSNSの発達で彼らの政治的な思考も分かるようになった。
成功している芸能人や役者は口を開けばどうも左寄りの思想が多く目につく。
右寄り・保守的な発言をすると、仕事を失うのかその手の発言は殆ど耳にしない。
個人的に贔屓にしていたミュージシャンが紫綬勲章をオークションに出すと言ってみたり
政権批判を音楽に織り交ぜたり、左巻きのコメントを歌にしたりしたのは失望した。
社会的影響度が極めて高い人間が、大勢のファンの前で自分の政治的な考えを
押し付けるのは「たかだかミュージシャン風情が教祖のつもりか」「愚衆を
自分の力で洗脳でも出来る程えらくなった気分か?」と
今までの愛は全て消し飛び、嫌悪感しか残らなかった。
同時に「楽しければなんでもオッケー」の若さが消えたなと痛感した。
最近「若者のテレビ離れ」というニュースを良く聞くが、そりゃそうだろう・・・。
視聴者を虚仮にし、自分らが作った言葉や流行を強引に押し付けて
それで大衆が動くことをニヤニヤ見下しながら、「俺があの言葉を流行らせた」
「あの店が繁盛しているのは俺らの力」とでもテレビ業界の人間や大手広告代理店関係者は
酒を交わしながら悦にでも浸ってるんだろ。
「巷で有名な・・・」「今若者で流行っている・・」ってのは
「お前らが全部作り上げたブームだろ」って思うようになった。
もっともテレビや新聞を100%否定するわけではない。
せいぜい否定的に見ている部分が80%ぐらいで20%は必要性を感じている。
緊急時の必要不可欠な情報はどうしても彼らの力に依存しないといけないし、
手軽に賑やかさや暇つぶしを獲得するにはテレビは実に楽だし、不甲斐ない番組が増えただけで
優秀な番組が存在するのは事実だ。
それらを蔑ろにするくだらない番組や芸能人が増えてきたことが
問題であって、もっとしっかりして欲しいという気分なのが本音だ。
30年後40年後にテレビ局や新聞社の倒産は無くても合併が相次ぐと個人的に考える。
どの局も視聴率不足に悩み、フジテレビに至っては大手スポンサーから見放され
ついに社員給料にまでメスが入った始末だ。
まだまだテレビ世代が幅を利かせているから、胡座をかいていられるが
テレビ離れ世代は着々と下の世代から増えてきている。
今の状態が続くとは考えにくい。
という風に嫌いになった存在NO1・テレビに対する愚痴でした。
他にも嫌いになったものは数多くあります。
それは「夢」という言葉を安易に並べる商売人とか。
自己責任という言葉とか・・・。
これ以上愚痴るのは精神衛生上好ましくないので、この辺で。
嬉しい気分も無ければ、凹む気さえもない。
思い起こせば30になった時の誕生日は結構へこんだ。
もう若くないという気分と、年齢に合わず相変わらず成長の無い自分を悔やんだ。
年を取ると固定概念や自分なりの考え方やこだわりが定着しだす。
それが大人といえばそれまでだが、どうしても嫌いで許せないことも増えてきた。
寛容さや柔軟さが薄れ、増えてくるのは冷静でシビアで現実的な自分。
受け止められないものは受け止められない。認めるものは認める。そんな自分。
嫌いになったものの1番にあげられるのがテレビ。
例えばニュースを回しても、その局の思想が混じってくるし
都合の悪いニュースは流さないし、都合のいいニュースは躍起になって流す。
人の不幸は蜜の味なのか、本当に流さないと行けない重大なニュースは蹴散らし
アホな視聴者がとっつきやすい人の不幸や怒りや憎しみを与えるニュースは連日のように流す。
バラエティ番組を回せば、お笑い芸人やお馴染みのアイドルグループが幅を利かせる
いい番組を根底から作ろうというより、芸能人の名前で視聴率を稼ごうという短絡的な思考が
見え隠れする。1度ブレイクすればその芸能人を兎に角色んな番組に使い回しをする。
特に不愉快なのは毒舌で売っているタレント。
人を小馬鹿にしたりするズカズカ直球でモノをいう人間なんか
言葉を選べない・配慮の無い人間が立っているという風にしか思えないから面白くもなんともない。
どうも視聴者を見下している感が否めなく、見ていてイライラするから
チャンネルを回すことは殆ど無い。
スポーツ番組を見ても、馬鹿騒ぎをする解説者に実況、
強引なフレーズやスローガンを視聴者に押し付けて演出ばかり先走っていかにもバカっぽい。
崇高なプロスポーツを称えるより、大衆を洗脳でもしてやろうという
安易な番組構成がばかりが目につく。
指し分けそのスポーツに「本当は興味ないのでは?」と思われる
人気芸能人を配置し、これまた安易な視聴率稼ぎを狙う。
またタレントの思考の面も気になる。
どうも似たり寄ったりなのも目につく。
最近ではブログやSNSの発達で彼らの政治的な思考も分かるようになった。
成功している芸能人や役者は口を開けばどうも左寄りの思想が多く目につく。
右寄り・保守的な発言をすると、仕事を失うのかその手の発言は殆ど耳にしない。
個人的に贔屓にしていたミュージシャンが紫綬勲章をオークションに出すと言ってみたり
政権批判を音楽に織り交ぜたり、左巻きのコメントを歌にしたりしたのは失望した。
社会的影響度が極めて高い人間が、大勢のファンの前で自分の政治的な考えを
押し付けるのは「たかだかミュージシャン風情が教祖のつもりか」「愚衆を
自分の力で洗脳でも出来る程えらくなった気分か?」と
今までの愛は全て消し飛び、嫌悪感しか残らなかった。
同時に「楽しければなんでもオッケー」の若さが消えたなと痛感した。
最近「若者のテレビ離れ」というニュースを良く聞くが、そりゃそうだろう・・・。
視聴者を虚仮にし、自分らが作った言葉や流行を強引に押し付けて
それで大衆が動くことをニヤニヤ見下しながら、「俺があの言葉を流行らせた」
「あの店が繁盛しているのは俺らの力」とでもテレビ業界の人間や大手広告代理店関係者は
酒を交わしながら悦にでも浸ってるんだろ。
「巷で有名な・・・」「今若者で流行っている・・」ってのは
「お前らが全部作り上げたブームだろ」って思うようになった。
もっともテレビや新聞を100%否定するわけではない。
せいぜい否定的に見ている部分が80%ぐらいで20%は必要性を感じている。
緊急時の必要不可欠な情報はどうしても彼らの力に依存しないといけないし、
手軽に賑やかさや暇つぶしを獲得するにはテレビは実に楽だし、不甲斐ない番組が増えただけで
優秀な番組が存在するのは事実だ。
それらを蔑ろにするくだらない番組や芸能人が増えてきたことが
問題であって、もっとしっかりして欲しいという気分なのが本音だ。
30年後40年後にテレビ局や新聞社の倒産は無くても合併が相次ぐと個人的に考える。
どの局も視聴率不足に悩み、フジテレビに至っては大手スポンサーから見放され
ついに社員給料にまでメスが入った始末だ。
まだまだテレビ世代が幅を利かせているから、胡座をかいていられるが
テレビ離れ世代は着々と下の世代から増えてきている。
今の状態が続くとは考えにくい。
という風に嫌いになった存在NO1・テレビに対する愚痴でした。
他にも嫌いになったものは数多くあります。
それは「夢」という言葉を安易に並べる商売人とか。
自己責任という言葉とか・・・。
これ以上愚痴るのは精神衛生上好ましくないので、この辺で。