SASHIMIMAMA-since2006-

子3人、離婚しました。
2012 急性骨髄性白血病M1
化学療法で寛解維持

いまのきもち

2021年12月04日 | 雑記
おまけの人生が自分の人生と思えるようになったと、過去に投稿した。


自分の人生として生きたい。


けれど折れそうになることがしょっちゅうだ。
絶望感と言っては大げさだけど
なにかそういうものを一人になると感じてる。


コロナ騒動が起き始めたとき、
自粛だなんだといっても
どうにか生活は出来ているし暮らしにくくてもどうにかなるよって思ってた。

でも違うな。そうじゃないな。

初夏の頃から問題を解くべく調べてる。
正直、何が正解かなんてわからない。
今日正しかったことは明日ぶれてるかもしれない。
不確かな情報に踊らされてるだけなのかもしれないから
もっとしっかりしなくちゃいけない。


こんなことやってるから絶望感じちゃうんだよね。
いけないよね。


東日本大震災の時も、似た感覚だった。
あのときは今よりもっと身体症状があった。
薬飲んでどうにか生活してた。
子供も小さかった。

そうこうしているうちに白血病になったんだけど
発病から2年の間くらい治療や療養、主婦業の両立で明け暮れたせいか、
震災後の不安感は薄らいでいたように思う。


退院して感じた春の空気は今も鮮明に覚えている。
ここのブログにたくさん春の花の写真を載せた。
あの時のような気持ちになれる日が来るかな。













sashimimama























Comment

杞憂

2021年12月04日 | 雑記
最初はへんな正義感みたいなものからだった。

子供たちが登下校の時ですらピッタリ付けてるのを
なんとも可哀想と思っていて

「子供サイズ」でなければつけられないほどの
小さな子供たちに、
こんなガッチガチにさせていいの?

うちは高校生以上だけだから
私の家族には関係のない話。
それでも、
こんな世界はおかしいよ。

そんな気持ちからだった。



私が外して歩いたからってなんの変化も起きない。
お前ひとりで変わりっこないんだから
世の中には従うのが常識ってもんだろう?


父も母もそう言った。



なぜ?


あのひともんちゃくから
この気持ちから離れられない。
それで何度も何度も心の中で反芻してる。


これは勝手な想像、思い過ごし、考えすぎってあとあとなればいいんだけど


父母が生まれた頃は昭和10年台半ばであるから
父母が過ごした幼少期は生活習慣とか思想なんかは
戦時中のものを引きずってたに違いない。

だから、
余計なことを言ってはいけない
余計な行動をとってはいけない

ということが生まれた時から当たり前だったんじゃないか。

生まれた時から
物心ついたときからの当たり前が
そう簡単に変わるはずはないよね。


こういう空気感のときに逆らってはいけない



彼らはきっとそんなこと、頭では考えてない。。
だけど潜在的にわかってるから

だから私が言うところの、
感染症対策云々とか子どもたちのためにとかいう理屈云々でなく


世の中には従うものなんだ、と言うふうになっているのかもしれない。


いやはや
だとしたら 今の子どもたち 
これからの将来 大丈夫かな。



まあ、、、、

心配症の戯言、取り越し苦労 だよね、きっと。






















sashimimama














Comment