函館の産婦人科病院で出生前診断の結果を誤って親に伝えたというニュース。
つまりは、羊水検査で胎児はダウン症と診断されたのに結果を「異常なし」と報告してしまった。
その後妊娠は継続されたが生まれた子供がダウン症であったとして両親が病院を提訴した、という内容。
昨夜、就寝前のテレビのニュースでこれを知りました。
その時は、上記の文言だけを聞いて、
「もともと検査の精度は100%ではないだろうし、提訴までするのはなんでなの?」
と、感じ、ダウン症だったからといってどうして訴えまでおこすのか、
といぶかしく感じてしまいました。
ここまでだったら私は今こうしてパソコンの前に向かうことはなかったと思います。
けれど今朝起きて、テレビで再びこのニュースが報じられたとき、
私はものすごく悲しくなり、ご両親とくに母親の気持ちが案じられて
このまま心の中だけで考えて忘れてしまってはいけないという気持ちに変わりました。
「その赤ちゃんは3ヶ月後に死亡しました」と、いう情報が加えられて来たのです。
羊水検査をするかしないか、その結果によって妊娠の継続をどうするのか、
といった議論や悩みはネットの中や新聞などでも時折目にします。
ダウン症だったらいらない、と、診断前から割り切って、つまり腹をくくって検査をする方だって、
いざ、「胎児はダウン症」と結果がでてしまったら、ものすごく悩むと思うのです。
今までにない大きな大きな罪悪感に苛まれると思うのです。
それでも継続しない或いは継続できないと結論を出してソウハしてしまっても、
心のどこかに傷を残してしまうはずなんです。
「ダウン症ではない」と告げられたことによって妊婦はまず安堵するでしょう。
上記のような苦しみを味わわなくてすむからです。
でも、診断は100%ではないことも念頭にあるはずですから、
いかばかりかの不安を抱えて(そもそも全く不安のないお産なんて無いと私は思っていますが)
臨月を迎え、出産の日を迎え、赤ちゃんの顔を見るわけです。
生まれた赤ちゃんはダウン症、と告げられた時、母親はどのような気持ちだったのでしょう。
今までの迷い、悩み、不安、葛藤、すべてが押し寄せて辛かったに違いありません。
それでも我が子を育てて行こうと、立ち上がったのではないだろうか、と推測するのです。
それなのに、
「我が子は、死んでしまった。」
「羊水検査時の診断結果を間違えて報告されていた」
このお母さんにとって追い打ちをかけるように悲しみが襲って来たわけです。
どちらが先なのかはテレビのニュースを見ただけなのでわかりません。
テレビのニュースを見ただけで私ごときがこんなことを書くのは良くないのかもしれません。
でも、こんなに切ないことはありません。
これからこのお母さんそしてお父さんも、忘れてしまいたい記憶を
何度も何度も思い起こさなければならないのです。
語りたくないことも、知られたくないことも、公開しなければならないでしょう。
それでも提訴しようと決めたのには今までの苦しみが相当のものであったと私は思います。
・・・・・
ごめんなさい。
うまくはまとまりそうにもありません。
ブログの記事に残すことで何かがどうなるかってわけではないのですが
昨夜の第一報だけで私が感じた「いぶかしさ」から現在までの心の動きです。
亡くなった赤ちゃんが天国で安らかに過ごされますようご冥福をお祈り申し上げます。
つまりは、羊水検査で胎児はダウン症と診断されたのに結果を「異常なし」と報告してしまった。
その後妊娠は継続されたが生まれた子供がダウン症であったとして両親が病院を提訴した、という内容。
昨夜、就寝前のテレビのニュースでこれを知りました。
その時は、上記の文言だけを聞いて、
「もともと検査の精度は100%ではないだろうし、提訴までするのはなんでなの?」
と、感じ、ダウン症だったからといってどうして訴えまでおこすのか、
といぶかしく感じてしまいました。
ここまでだったら私は今こうしてパソコンの前に向かうことはなかったと思います。
けれど今朝起きて、テレビで再びこのニュースが報じられたとき、
私はものすごく悲しくなり、ご両親とくに母親の気持ちが案じられて
このまま心の中だけで考えて忘れてしまってはいけないという気持ちに変わりました。
「その赤ちゃんは3ヶ月後に死亡しました」と、いう情報が加えられて来たのです。
羊水検査をするかしないか、その結果によって妊娠の継続をどうするのか、
といった議論や悩みはネットの中や新聞などでも時折目にします。
ダウン症だったらいらない、と、診断前から割り切って、つまり腹をくくって検査をする方だって、
いざ、「胎児はダウン症」と結果がでてしまったら、ものすごく悩むと思うのです。
今までにない大きな大きな罪悪感に苛まれると思うのです。
それでも継続しない或いは継続できないと結論を出してソウハしてしまっても、
心のどこかに傷を残してしまうはずなんです。
「ダウン症ではない」と告げられたことによって妊婦はまず安堵するでしょう。
上記のような苦しみを味わわなくてすむからです。
でも、診断は100%ではないことも念頭にあるはずですから、
いかばかりかの不安を抱えて(そもそも全く不安のないお産なんて無いと私は思っていますが)
臨月を迎え、出産の日を迎え、赤ちゃんの顔を見るわけです。
生まれた赤ちゃんはダウン症、と告げられた時、母親はどのような気持ちだったのでしょう。
今までの迷い、悩み、不安、葛藤、すべてが押し寄せて辛かったに違いありません。
それでも我が子を育てて行こうと、立ち上がったのではないだろうか、と推測するのです。
それなのに、
「我が子は、死んでしまった。」
「羊水検査時の診断結果を間違えて報告されていた」
このお母さんにとって追い打ちをかけるように悲しみが襲って来たわけです。
どちらが先なのかはテレビのニュースを見ただけなのでわかりません。
テレビのニュースを見ただけで私ごときがこんなことを書くのは良くないのかもしれません。
でも、こんなに切ないことはありません。
これからこのお母さんそしてお父さんも、忘れてしまいたい記憶を
何度も何度も思い起こさなければならないのです。
語りたくないことも、知られたくないことも、公開しなければならないでしょう。
それでも提訴しようと決めたのには今までの苦しみが相当のものであったと私は思います。
・・・・・
ごめんなさい。
うまくはまとまりそうにもありません。
ブログの記事に残すことで何かがどうなるかってわけではないのですが
昨夜の第一報だけで私が感じた「いぶかしさ」から現在までの心の動きです。
亡くなった赤ちゃんが天国で安らかに過ごされますようご冥福をお祈り申し上げます。