SASHIMIMAMA-since2006-

子3人、離婚しました。
2012 急性骨髄性白血病M1
化学療法で寛解維持

子育てって難しいな

2013年05月15日 | 家族(+猫)
次女は女の子で7才でまだまだ私を大好きと言ってくれるの。
ママを守ってあげるから好きと

ママは家族の中で誰が一番好き?って聞いたあとに

みんなだよ、って言うと、
だからーそうじゃなくてー、だからー、誰なの?って答える。

「あなたよ」

って言うまで、聞き返し続けるの。


長女はそういうことなかったの。
じっと黙っていることが多くて、お友達を誘うのもあまり得意ではなくて。


だからほうっておいたとかいうつもりはないんだけれど


今の次女を見ていると、

ああ、6年前、長女もこんなふうに明るくわがままを言ってみたかったのかもしれない。

と思う。


長女ってそういうものなのか

それとも私がそう仕向けてしまったのだろうか。


何かをしてもらいたいときはいい子

それが終わると知らん顔。

友達にはやさしいけれど・・・。


反抗期ってそういうものなのか

中学生ってそういうものなのか

それとも私がそう仕向けてしまったのだろうか。

いつか次女もこういうふうになっていくのだろうか。

男気があってやさしい長男もいつかこういうふうになっていくのだろうか。

そして みんな 手を離れて


それでいい、それでいいんだけれど、そうでないと困るんだけれど

いつまでも若くはいられないからね。


ここでもしわたしが本当にいなくなってしまったら

肉体的物質的にはどうにか成長できるとおもうんだけれど精神的にはどうなるの?


昨日テレビで見たレディー・ガガの母のように

日々一緒にいることはなくともこどもたちの内面に気づきささえてあげたい。


その途中で無念にも旅立たなければいけない運命の人もいるのだから


私の姑が亡くなったとき 主人は41 その妹は39

それだけ大人になっていればもう大丈夫なのかなと その時私は思ってしまったけど
亡くなってしばらくは つらかったろう 悲しかったろう

病気にさえなっていなければ・・・
がんにさえなっていなければ・・・


それから時は流れて もう悲しいことは口には出さない
けれど ふたりとも ふとした弾みに出るおかあさんの思い出


そのほとんどは子供の頃の思い出

お出かけをした時の話 茶碗蒸しのつくりかた 洋服のつくろいもの 

なつかしそうに 楽しそうに


亡くなってもなお永遠に子供の心に生きる母。すてきなお姑さんでもあったやさしい女性。



私は生きてその役目を担うことができるのだから


ラッキー そして ハッピー

うれしい たのしい だいすき









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