車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

雇用調整

2009年02月26日 | 政治

労働問題中心、ブログの記事より

1番(注・残業規制)から順に行われるのが通例と、国家資格の教科書に出ています。これを見てもわかるとおり、非正社員は退職者募集をせずに即削減される対象であり、雇用調整の2番目に来ています。新卒採用が厳しくなっていますが、採用活動の停止も3番目に行われるのが通例となっています。そして5番目に来て初めて正社員の退職が考えられ、しかも募集を先に行ってから出ないと退職勧奨すらできないと言う状況になっているようです。・・・

ちなみに、正社員・公務員の労働環境が値崩れすると湯浅氏が発言したとのことです(「社会活動フリーターの生活」参照)が、これは起こるとしても非常に限定的です。公務員で言えば、夕張のように財政が破綻した自治体かもしくは橋下知事のように人件費カットを行う自治体に限られるでしょう。正社員で言えば、中小企業は厳しいですが大企業では未だにベースアップを春闘で掲げると労働組合が言っていることを考えますと、まだ余裕があるのでしょう。

現在の不景気で非正規労働者の待遇の悪化を市場主義や新自由主義の失敗かのように発言する人がいるが、客観的な事実を見てみれば明らかに間違いであることがすぐにわかる。日本よりも規制を緩和したり市場主義的な政策を採用している国はたくさんあるが、日本のように非正規労働者の待遇が下がっている国はない。つまり、市場主義や自由主義的なものの失敗という点で説明することは不可能だ。

唯一の説明方法は、日本は他の国と比べて極端に労働市場が二極化してしまっているという説明だ。これがあるために、日本においては一部の労働者の待遇が劣悪なものになってしまっている。つまり、市場主義の失敗ではなくて、労働組合を意識した独自の市場主義的なものの失敗だといえる。だから、市場主義が失敗したのではなくて、市場主義からかけ離れたものが失敗しただけだ。湯浅氏にはここのところをちゃんと把握して既存の既得権層に迎合しないような活動を期待したい。

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現代自動車超破格ローン

2009年02月26日 | ニュース

週刊ダイヤモンドの記事より

 年間の新車販売台数が957万台と、1年前の6割にまで落ち込んでしまった米国で、韓国・現代自動車の躍進が話題になっている。

 1月の乗用車販売台数実績では、ゼネラル・モーターズやフォード・モーター、クライスラーのみならず、トヨタ自動車やホンダ、日産自動車までが軒並み前年同月比3~6割超も落ち込むなかで、現代自動車だけが1割以上も販売台数を伸ばしているのだ。

 人気の秘密は、「ヒュンダイ・アシュアランス」という破格の保証プログラム。1年以内に、失業や死亡、けが、海外への引っ越し、自己破産などのアクシデントに見舞われた場合、買ったクルマを返却すれば、残ったローンのうち、7500ドルまではチャラになるのだという。しかも、年齢や健康状態、職歴などを問わず、誰でも利用できる。

 現在、未曾有の不況に見舞われている米国では、16年ぶりに失業率が7%を超え、回復の兆しは見えないまま。先行きへの不安がふくれ上がり、国民の消費意欲も冷え込んでいる。

 そこに、「7500ドルあげますよ」と言っているに等しい大胆な販売施策が出たのだから、消費者が飛びつくのも無理はない。

 しかし、このプログラムは現代自動車にとって、諸刃の剣でもある。

 前述したように、販売台数の押し上げには効果テキメンだが、もしクルマを返却する購入者が続出すれば、当然ながら損失はかさみ、自らの首を締めることにもなりかねない。

 かつて北米では、三菱自動車が頭金・最初の1年間の支払い・利子をゼロにする「ゼロ・ゼロ・ゼロ・キャンペーン」で低所得層にアピールし、販売台数を伸ばしたが、急激に返済が滞り、最後は“自爆”した経緯がある。

 その三菱自動車をさらに超える現代自動車の太っ腹ぶりからは、崖っ縁まで追い詰められた自動車メーカーのヤケクソぶりが透けて見える。

厳しい状況にある自動車業界、アメリカ・日本だけでなく、お隣韓国も厳しいのだろうか。このキャンペーン車を返却するとローンの一部が免除されるという内容なので、三菱自動車のキャンペーンと比べると安全度はかなり高いだろう。しかし、このキャンペーンで獲得できる顧客層によっては、返ってくる車の数が増えるかもしれないし、そうすると中古車市場にも影響が出るだろう。アメリカでは、中古車市場の価格が下取り価格の関係で新車の販売に影響を与えるのでそういう意味でもかなり危険な手法であることがわかる。

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『生きさせろ!』雨宮処凛

2009年02月26日 | 政治

『生きさせろ! 難民化する若者たち』雨宮処凛著の中にある討論番組で片山さつき氏と話したときのことが出てくる。

私が若者の状況を話すと、彼女は「ニートやフリーターを工場で働かせてもすぐにキツいと辞めてしまう」とあきれてようにいった。そうして彼女はいったのだ。「だけどその下にはもっと大変な外国人労働者がいるの。彼らは文句もいわずに働いているのに」。その言葉を聞いて、唖然としてしまった。少なくとも、彼女のような立場にある人がそのような発言をするということは、外国人労働者がニートなんかを最底辺で働かせるための口実に聞こえる。

昨日の竹中平蔵氏の発言もそうであったが、片山さつき氏も独自の市場競争理論を御持ちのようだ。自由競争や市場主義を唱えるのは結構なことだが、それが自分の勝手な解釈に基づくものである場合、他の人が理解できないことをわかってもらいたい。市場競争の基本的な原理は、優れているもの不足しているものの価格が高くなり逆は低くなり、資源が過剰なところから資源が不足しているところに資源を移動させるということである。だから、一部の労働者の賃金を抑えることは市場原理とは関係ないし、逆に非生産的な正社員を入れ替えることが市場的だ。また、市場には障壁に守られた産業や雇用を流動化することによって、効率化と同時に待遇の公正化を実現する機能がある。だから、富の集中を容認するのは可笑しな話だ。

市場経済の独自の考えを述べるのは結構だが、特殊な考えを押し付けるのは辞めてもらいたい。市場競争の基本的な考えでは同一労働同一賃金が正しいと決まりきっているのに、自分は市場の力によって一部の労働者の賃金だけを極端に下げるべきだといって、誰もが納得できるのだろうか。これは、平等主義といって年功序列賃金を弁護したり、徒競争では一緒にゴールするのに学歴差別は無視するのと同じように、単なる自分の勝手な考えの押し付けである。本人は勝手に普遍的な原理である市場競争や平等を支持して多くの人に認められていると勘違いしているだろうが、周りから見てるとただ単なる我がままで何もわかっていない人に過ぎない。

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競技施設の経済学

2009年02月26日 | スポーツビジネス

プロスポーツの世界でよく知られていることに一つに、専用競技場を建てると収益が伸びるというのがある。理由は、専用競技場はその種目をするため、また観客がその競技を観戦するのに最適なように作られているので、お客さんの満足度が高まり、入場者数が増えたり、チケットの値段を上げることが出来たりするからだ。だから、専用競技場というのはプロスポーツを運営している運営団体にとって非常に大事なもので、人気を上げ収益を上げていくためには是非作りたいものなのだ。

しかし、もう一つよく知られている専用競技場に関する常識があって、それは専用競技場は効率が悪いということが知られている。これは当然で、一年中毎日毎日同じ競技を延々と一つの競技場でやっているわけではない。野球で140試合ほどの公式戦の半分がホームとして70試合、Jリーグだとホームが20試合ほど、大リーグでもホームは80試合程度、NFLにいたっては8試合しかない。つまり、一番たくさん試合をしている野球でさえ一年の5分の1前後、他の競技ではもっと少ない回数しか使用しない。その試合数で、専用競技場の建設費や維持費を賄うとなると一試合辺りの負担はかなりの金額になってくる。そのため、専用競技場は資本効率のかなり悪い物だと言えるだろう。

そのようなことがあるので、日本でもアメリカでも専用競技場は色々な問題を抱えている。その競技だけに特化してその競技の試合のみのために建設すれば顧客の満足度は上がるが施設の効率は悪くなってしまう。逆に、他の用途にも使えるように設計すれば、今度は本来の目的の競技の試合や観戦が最適でなくなってしまう。このトレードオフをどのように解決するかこれはスポーツビジネスの多きな課題の一つでもあるのだ。

日本のプロ野球団は、野球以外の用途にも球場が使えるように人工芝のドーム球場を多く採用している。これは、施設の利用効率を高めようという戦術だ。一方で、アメリカのMLBやNBA、NFLは公的な資金によって競技施設の建設資金を援助してもらっている。日本でもサッカー場は公的資金によって多くの場合建設されている。こうすると競技場としての価値は高まるが、地方自治体に経済的な負担がのしかかってしまう。どちらも一長一短だろう。

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現在の経済危機について

2009年02月26日 | 経済学

池田信夫blogの世界経済同時危機という書籍の紹介記事より

危機の背景には、新興国の過剰貯蓄をアメリカが吸収したことによるグローバル・インバランスがあり、高いリターンを実現したようにみえる投資銀行の金融商品の中身は多分に詐欺的なものだった。それが放置されたのは、オフショアの「影の銀行システム」が銀行規制の抜け穴になっていたためだ。したがって今回の危機の主要な原因は、時代遅れの規制による「政府の失敗」であり、これを「新自由主義の行き過ぎという観点で捉えることは、誤った判断となる」。

日本の投資不足が慢性的に続き、それを外需で埋めてきた経済構造が、欧米より大きなダメージを受ける原因となった。したがって日本経済を内需主導に転換する改革が必要で、地方公務員の給与が異常に高く有能な人材が民間に集まらない「社会主義的」な経済構造が成長を制約している――というのが本書の結論だ(これもわれわれとほぼ同じ)。・・・

「富をつくった人に富が還元されるしくみがなければ社会は豊かにならない」というのは、すべての経済学者のコンセンサスである。

内容的には当たり前過ぎるかと思えるくらいの内容である。これと違った考え方の人がいることにびっくりするくらいだ。付け加えると、現在の日本の問題は組合員内の年功序列制度による平等主義的な保護と、なぜか本質的に日本を自由競争化しない形での非正規社員等の一部の労働市場だけでの自由化である。こうなった最大の原因は労働組合が解雇規制の緩和を頑なに拒みつつ、派遣労働の緩和を容認したことと、なぜか一部の政治家(経済学者たちは反対した)がそれを自由競争と勘違いしたことである。いち早く、「富をつくった人に富が還元されるしくみ」が整備されることを期待する。

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愚かなる竹中平蔵語録

2009年02月25日 | ニュース

gooニュースの記事より

与謝野馨財務相は24日午前の衆院財務金融委員会で、竹中平蔵元総務相が小泉政権時代、市場競争の末に富が一部に集中しても、そのおこぼれを貧困層も享受できるとする「トリクルダウン効果」を主張していたことについて、「人間の社会はそんな簡単なモデルで律せられない」と一蹴(いっしゅう)した。

この記事の中の竹中平蔵氏の発言は、多くの市場主義者の市場競争に対する理解の間違いをよく示している。市場競争イコール弱肉強食、弱肉強食イコール格差容認、その結果富が一部の富裕層に集中するかもしれない、しかし経済全体が成長するために最終的には全員が恩恵を受けることが出来る。このような主張は、19世紀の近代経済学者たちも主張したし、現在においても多くの新古典派経済学者たちが主張している。

しかし、市場競争にはもう一つの見方がある。実はこっちが本当は本家だ。アダム・スミスの「見えざる手」の考え方だ。アダム・スミスの考え方によれば、市場というのは需要のない場所から需要のある場所へと資源を移動させるものである。そして、その過程においては価格が重要な役割を果たす。価格が高ければ需要があると言うことだし、安ければ需要がないということだ。つまり、価格に反応して資源を移動させれば自然と最適な資源の分配が達成されることになる。

こちらの考え方においては、結果は竹中氏の理解とは逆で、むしろ市場は価格の変動や、資源の偏りをなくし、分配を平準化することになる。だから、アダム・スミスは小麦の価格を安定化させ、必要な小麦を安定供給できるように、輸出入の規制に反対したのだ。したがって、トリックルダウン効果などなくても守られている産業との行き来が活発になれば生産性が上昇しつつ分配が公平になるはずだ。

竹中氏のような市場競争に関する理解の間違いは昔から続いていることで、アダム・スミスもそのような勢力と奴隷制の是非を掛けて戦った。誰でもわかるように商売をしていて一番儲かるのは独占やカルテル等、市場が競争的でない状況の時だ。完全な市場競争は利益がなくなるから儲からない。だから、産業家たちはそのような状況を正当化するために延々と嘘の市場原理主義を主張してきた。

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最低賃金について

2009年02月25日 | 経済学

最低賃金についての大竹文雄氏(大阪大学社会経済研究所教授)と橘木俊詔氏(同志社大学経済学部教授)の対談大竹文雄氏のブログより

世間一般や, 法律を学んでいる人たちにとって最低賃金の効果に関する通説というのは,最低賃金を引き上げると低賃金の人たちの所得が上がって, 貧困解消に役立つ・・・

経済学者の間では別の通説があって, 最低賃金を上げると雇用を削減する効果があるために, 失業者が増える可能性が高くなる。つまり最低賃金はあまり上げない方がいい・・・

需要独占のもとでは, 企業は雇用量を決定する際に, 人を雇いすぎると市場賃金が高くなり, 利潤が減ってしまうことを考慮して, あえて少なめの労働者を雇用します。そこしか働く場所がない労働者には, 生産性にみあった賃金を出必要がなくて, 仕事をしてくれる最低限の賃金を支払えばいい。このような場合には, 最低賃金が引き上げられると, もとの労働者数を維持したままでいるよりも, 最低賃金で働いてくれる人全員を雇った方が企業にとっては利潤が高くなります。これが需要独占の状況の場合, 最低賃金の引き上げが雇用量を増やす可能性がある・・・

実証の面でみると, 経済学者の多くは, 少なくとも1990 年代半ばぐらいまでは, 完全競争の世界の方が正しいと考えていたのではないかと思います。少なくとも経済学の専門雑誌に掲載された実証研究のほとん
どが, 最低賃金が例えば10%引き上げられたら, 1%ぐらい雇用が減るという研究が多かった

上の内容は経済学の世界での基本的な最低賃金に関する議論だといえる。主流派は競争市場を前提として最低賃金を上げると雇用が減少すると主張している。少数派として、低賃金労働者の交渉力の弱さを理由に需要独占の問題が与える影響を考慮しようとしている。実証的にみると最低賃金を上げるとやはり少し雇用が減りそうだという。上の内容からわかるように基本的には経済学者は最低賃金の引き上げに反対している。雇用が減少することによって失業者が増えるし、経済全体の生産力が減少するからだ。

しかしここから少し視野を広げて見ると本当に最低賃金の引き上げに強固に反対する理由があるのか疑問に思うところがある。上の議論は完全競争を前提として、雇用が減る、経済が縮小するということによって最低賃金の引き上げに反対している。しかし、現実にはそもそも最低賃金をいじる前の状況が完全競争ではないことが大きな問題である。多くの国で組合労働者の保護があるし、日本では正規労働者とそれ以外との格差がある。このような状況の中で、最低賃金の議論においてだけ雇用を少しでも減らすものは駄目だという論理を振り回すのが本当に正しいのだろうか。そのようなことを言ったら、一部の労働者を保護することは全体の効率を引き下げるだけでなく格差を広げるという意味でも悪影響を与えている。なら、なぜ最低賃金の議論にだけ完全競争で、ほかに悪影響を与えないことを要求するのだろうか。

この辺りが、学者が嫌われる理由の一つかもしれない。パレート改善のような他のものの効用を低下させずに、あるものの効用を増加させないとなったら、それは極めて難しい。だから、そのような条件を設定したらほとんどのものは明確に優れていると証明できない。一方で、明らかに複数の条件において劣っているものが当たり前のように現実社会においては容認されている。だから、一方では厳しすぎる条件が存在し、他方では緩過ぎる条件が存在している。そのような状況で、頑なにある部分にのみ厳密な条件を適用しようとするのは無意味なのではないだろうか。

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ワークシェアリング

2009年02月25日 | 経済一般

ワークシェアリングに関する辻広雅文氏のコラムより

 「企業に100の仕事がある。経営者はバブル崩壊後、その100をいかに少ない正社員でこなせるか限界まで絞り込むと同時に、プラスアルファの仕事量は派遣などの非正規社員で対処しようとしてきた。だから、プラスアルファの仕事がなくなれば非正規社員を切るのは当然だと考えるのだろう」と、前出の守島教授は指摘する。会計上、派遣の賃金が人件費ではなく物件費であることの意味は大きい。経営者の意識において、正社員は従業員であるが非正規社員はまったく別物の存在なのである。

 こうした意識が強い経営者が、例えば、正規社員の賃金を下げるなどして労働条件を下げ、それによって得られた原資を非正規社員の雇用費用に当てろ、それが新しいワークシェアリングだと言われたとして、意味するところがまったく理解できないであろうし、そうすることのインセンテイブは何ら働かないだろう。

 正規社員と非正規社員の格差是正を春闘方針に掲げる連合の高木剛会長ですら、「この問題をワークシェアリングで解決することは極めて難しい」と言う。高木会長が強調するのは、「正規社員と非正規社員の賃金をはじめとする待遇格差はあまりに大きい」点である。「それを埋めようとすると、正規社員の労働条件の大幅な切り下げとなる。正規社員が受け入れるはずがない」のである。

日本においては、正規労働者と非正規労働者との賃金格差があまりにも大きいためワークシェアリングが他の国のように行うことが出来ないでいる。ワークシェアリングにおいては、ある労働者の労働時間を少なくした分他の労働者を雇い雇用数を出来る限り維持しようという考えである。しかし、裏には当然のこととして単一労働単一賃金が仮定されており、そのような条件が成り立たない場合においてはそもそも行うこと自体が不可能である。

さらに深刻なのは本来なら人件費が最も抑制されるのは正社員の賃下げか解雇である。しかし、それが制度的に不可能であるために時間当たりの賃金が安い非正規労働者の首が切られている。そうすると、同じだけ人件費を削減するためにも、より多くの労働者を解雇する必要があり、結果として最も弱いものが最も負担を強いられることになっている。このような不公平な制度を改革していく必要があるだろう。

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補足の補足

2009年02月25日 | 経済学

スウェーデンとアメリカの共通点の補足についてさらに補足すると、経済全体の生産性が低下する、資源の分配が最適でなくなるのはむしろ労働市場が不平等な時である。これはモデルから明らかであるが、一部の労働者が保護によって高賃金を手にする一方、他の労働者の参入が障壁によって遮られている場合、当然のことながら資源の分配は最適ではなくなる。そしてその時、たいてい所得分配も悪化しているだろう。したがって、先のモデルの労働市場で均衡が得られる場面だけを考えるとむしろ平等であることが資源の最適な分配に必要である。

これを資源分配と所得分配の過程を三つに分けて考えてみよう。第一にどれだけの時間働くか、余暇を消費するか、さらには能力を高めるためにどれだけ資源を投入すべきかという段階、第二に労働市場で能力や労働時間を一定として最適に労働資源を分配する段階、第三に結果として生じた所得の分配を所得再分配によって是正する過程。こう分けて考えると少しわかりやすくなるかもしれない。

第二の段階はもう説明したように、平等であることが資源の最適な分配に必要だ。つまり、平等と資源の分配は相反する要因ではなく同時に達成できるものであるし、同時に達成しようとするのが適切な段階だ。問題は、第三と第一だ。第三段階において所得の再分配を行うと当然平等の程度は高まる。しかし、それは第一段階に影響を与えて社会全体の生産性を引き下げる恐れがある。したがって、ここにはトレードオフの関係が存在してしまっている。

ちなみに、機会の平等というのは第一段階の能力的な差を教育や経験を得る機会を出来る限り均等にすることによって、平等を向上させると同時に社会全体の生産性を向上させようとする考え方である。それに対して結果の平等は第三段階で平等を達成しようとする考え方であるが、第一段階に悪影響を与える恐れがあるためにプラスマイナス両面の効果を持っている。

しかしここで重要なのは、第二段階(これは前に評価の平等という言葉で表現したこともある)が平等と経済成長を両立させているということである。つまり、ここにおいては平等と生産性の向上は同時に達成可能なので、ここの段階での不平等はまず真っ先に改善しようとされなければならないのである。

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かんぽの宿騒動

2009年02月24日 | 経済一般

遅れてやってきたかんぽの宿騒動。あまりこの話題に興味がなかったので無視してたらかなりとんでもないことになってたようで、Diamond Onlineの永沢徹氏のコラムより。

日本郵政には、その「1円でも高く売る」という信念が感じられない。そもそも、今回の売却対象には、ホテル(かんぽの宿)だけでなく、レクリエーションセンター、従業員のための社宅まで含まれている。それぞれ目的が異なり、しかも全国各地に点在する施設。しかし日本郵政は、それらをまとめて売却という、「一括売却ありき」というルールを作り、資産価値最大化の努力を怠ってしまっている。・・・

メリルリンチは、入札のアドバイザリー契約料として、月額1000万円の定額報酬に加え、売却価格の1.4%の金額を成功報酬として受け取る契約になっていたといわれている。しかしこの成功報酬というのがクセモノ。もし売却価格の1.4%が6億円を下回った場合には、6億円は必ず支払うと“保証”されていたのだ。たとえいくらで売ったとしても、である。これでは成功報酬とはとてもいえない。・・・

通常、選定されたアドバイザーは、実際の売却価格が、自分たちが提示したターゲットプライスを上回らなければ、もらえるのは毎月の定額報酬だけで成功報酬は得られない、という仕組みとなっている。まさに売却価格をどこまで引き上げることができるかが、アドバイザーの“腕のみせどころ”となっているのだ。

しかし今回のメリルリンチにおいては、そのインセンティブが全く働いていない。成功報酬である6億円から逆算すれば、今回のターゲットプライスは、本来428億円であるべきである。だが実際の売却価格は109億円。その金額の乖離はあまりにも大きい。もし、この109億円が現時点で適正な額だとするならば、メリルリンチが受け取る成功報酬はせいぜいその1.4%の1.5億円程度で十分である。

驚きの内容であるが、日本郵政には本当にちゃんとした値段で売ろうという意思があったのか、メリルリンチをそういう意図で選んだのか多くの人が疑問に思うところだろう。今回の事例は今後入札等を行う場合の重要な教訓にしてほしいものだ。

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