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織田秀信 清須会議で担がれた三法師のその後の人生とは/歴史の細道

2020-04-11 06:25:37 | 歴史関連情報
歴史の細道より織田秀信 清須会議で担がれた三法師のその後の人生とはを紹介します。



 
織田秀信 清須会議で担がれた三法師のその後の人生とは について紹介しています。

なぜ「信秀」でなく「秀信」なのか?
清洲会議
13歳で岐阜城13万石の大名
キリシタン大名で洗礼名「ペトロ」、しかし、仏教寺院も保護
性格は信長と違い穏やか、顔は似ており、ファッションは派手だとか・・・

関ヶ原では、西軍につきます。
石田三成に、「美濃と尾張をあげるから」といわれたからです。
NHK大河「麒麟が来る」を見てもわかりますが、美濃は海が、即ち尾張がほしいのです。
岐阜城の戦いで負けますが、福島正則が助命嘆願します。
そして高野山へ送られますが、信長の迫害のせいで、いじめられます。
25歳の若さでなくなりました。
詳しくは、この動画をご覧下さい。

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