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読者のみなさん、いっぱい誤字があってごめんなさい。なおしました。
そして、初めて訪れてくださったか方、ごめんなさい。今日は長いです。でも、読んで。
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インターネットで「バイキング」を検索すると、ものすごい数ヒットする。それらの、ほとんどが、なんと「バイキング料理」なんですけどね。
日本では、セルフサービス形式の食べ放題型料理を「バイキング料理」と呼んでいる。
スウェーデンではスメルゴスボードという。(参考までに、スメルはバターのこと。ゴスはガチョウのこと)
バイキングが襲撃に成功すると、その村の食べ物を全部出させて中央に並べ、それを囲んで宴会をしたのがはじまりらしいから、あながち日本の解釈も間違いとは言えない。
さて、そのバイキングだが、名前ほどには日本で実態が知られていないのではないだろうか。
北欧では、祖先が基本的にバイキングだったこともあって、あちこちにバイキングゆかりの地や、バイキング博物館がある。そして、どうやらバイキングのことを嫌いではないらしい。むしろ、誇りに思っている部分も多いようだ。
スコーネにあるバイキング村(夏だけ開かれる)
バイキングが活躍をしたのは、8世紀から11世紀。
バイキング村遠景
歴史の記録に書かれている最も古いものは、793年のリンディスファーン修道院襲撃。
イギリス北東部にあるこの修道院を襲撃して、皆殺しにした上、略奪し、焼き払って引き上げていった。日本では平安時代の幕開けの頃ですね。
そして、それ以降、海岸近くの教会などが、バイキングの襲撃にしばしばあうようになった。
海の彼方に数十隻のバイキング船が見えた時は、陸地の人は、さぞかし恐ろしかったでしょうねえ。
しかし、襲われた側の記録しか残っていないので、事実は多少違うかも。
バイキングと一口に行っても、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンでは、特徴が異なる。
しかし、共通して言えることは、スカンジナビアが住むのに過酷で、海が近く、鉄が取れたため造船技術、航海技術にすぐれていたということ。
そして、何より自由を尊ぶ精神と冒険心があったこと。
強引にまとめると、人口が増えた時に、外に生活の場を求めなくてはならなくなった人たちが、技術を足掛かりにして自由を求め海外に乗り出したということである。
バイキングの造船技術、航海技術は、すばらしい。それより500年後のコロンブスの船が5.5ノットのスピードだったのにバイキングの船は10ノットの速さだったという。
さらに、喫水線が低いため、川を遡れた。水がないところも、丸太の上を転がして移動した。海岸端でなくても、安心はできなかったのですね。
一旦水の上に逃げられたら、絶対に追いつけない。
しかし、残念ながら、屋根がなかったし、大量輸送には向いてなかったので廃れてしまった。
確かに、初期のバイキングは襲撃略奪の、いわば海賊であった。
ところが、250年もバイキングエイジが続くうちに様子が変わってくる。
何しろ、略奪したものを売らないことにはお金にならないし、そのためには、商人としての実力もいる。
それに、襲っては戻るという生活は、リスクも高い。
行った先に移民して新天地を切り開こうという流れになるのも自然なことである。
デンマークバイキングは南に進んでいって、襲撃しない代わりに税金を取るという方法で、友好的?な関係を結んだ。デーン税という。定期的に集金に行ったりしたようだから、さすが、商才のデンマーク人というところ。
そのうちに、税金を払うくらいだったら、領地を与えて臣下にしてしまえということになって誕生したのが、ノルマンディー公。
ノルウェーバイキングは、アイルランド方面にせっせと襲撃を繰り返していたが、アイスランドをみつける。
温泉もあるし平地もある。というわけで、そこに殖民した。
さらに、その向こうにも大地があったということで、冒険して、グリーンランドも見つけた。
そこにも殖民するのだが、グリーンランドは、ネーミングの割には、過酷な土地だったようで、結局は、全員死に絶えたそうだ。
そのグリーンランドに行く途中で、漂流したヒャルニという若者が、緑豊かな大地を見つける。ヒャルニは上陸しなかったのだが、その話を聞いたレイフ・エリクソンは、その緑豊かな大地を探しに行く。
西暦1000年ごろの話である。
そして、それが、実はアメリカ大陸だったのですね。
コロンブスがアメリカ発見(原住民が住んでいたのだから、発見ということはないでしょうと思うのだけど、ヨーロッパ人中心の歴史だからこうなるのですね)する500年も前に、バイキングはアメリカに言っていたわけだ。
というわけで、ボストンにはレイフ・エリクソンの記念碑が立っている。
見つけただけでなく、当然ノルウェーバイキングは、北米への殖民も試みた。
何回かの挑戦の後、原住民との戦いに敗れて、結局はあきらめた。
スウェーデンバイキングはロシア方面に進出した。
川を遡って、キエフ、ノブゴロドなどの都市の基盤を気づいた。
スウェーデン人の友達に、
「バイキングって、イギリスやアイルランドを襲撃したでしょ」
という話をしたら、
「あれは、ノルウェーやデンマークのしたこと、本当に、あいつらはいけないねえ」
と言っていた。
でも、しばしば
「アメリカを発見したのは、バイキングが最初なんだ」
と、スウェーデン人に自慢される。
こういう時には、それが、ノルウェーバイキングであったことは、気にならないらしい。
さて、バイキングは必ずしも力だけで勝負していたわけではない。
まず、スパイを潜入させて現地調査をしたり、無謀な遠征計画にならないように、全ての作戦を全員で、会議したりしていた。
そうそう、絶対に書いておきたいのは、バイキングには、いわゆるボスがいなかったこと。
形の上でリーダーはいたが、それは、選挙によっていつでも交代させることができる。
フランク王国襲撃の時に、
「お前たちの主人はだれだ」
と聞かれて
「俺たちに主人はいない。みんな平等だ」
と答えたというエピソードもある。
掠奪品も、全員で(必ずしも均等ではなかったらしいが)分配した。
戦死した者の取り分もちゃんとあり家族に渡されたのだそうだ。
自分の死んだ後も、家族の生活は保証されることが、命懸けの戦いに行く勇気にもつながっていたのだろう。
そういうグループなので、いざという時に、いちいち上のご意向を仰がなくていい。
臨機応変に闘えたのだ。
しかし、その自主自立の精神ゆえに、一大勢力となることは、なかった。
そのため、国家として成り立つこともなくゲリラ的な海賊扱いになってしまっている。
しかも、これから書くように、かなり適応力が高いので、バイキング文化さえも、現地と融合して、後世に残らなかった。
バイキングエイジが終わった後13世紀に書かれた「バイキングのビジネスガイド」という記録がある
「早起きの習慣をつけ、現地の人の行く教会に行き、その祈りに耳を傾けろ(一緒に祈れ、じゃないところが、すごいでしょ)」
「土地の習慣を知り、土地の言葉を身につけよう」
「身なりに気をつけて、粗野な振る舞いをしない」
「王様の代人の要求する金はすぐに払え。小さなことにこだわると大きな損をする」
「商品の欠陥は隠さないで、正直に売れ」
素晴らしい商人でしょ。
ルーン文字の碑
もっとも、初期の頃の主な商品は奴隷だったという説もある。
襲撃して強制連行して、奴隷にしちゃうっていうのもすごい。
ただ、自由を尊ぶ精神のせいか、奴隷にさえも、僅かとは言え賃金を与え、それが溜まれば、自由になるチャンスを与えていた。
自由と冒険心のバイキングの影響は、いまだに北欧の人々に受け継がれている。
リスクに対して挑戦する指数のもっとも高いのは、シンガポールだが、2位はデンマーク。そして、3位はスウェーデンだそうだ。
日本は調査33ヵ国中後ろから4位。なるほど。
とはいえ、勇猛果敢なバイキングの戦士たちも、戦いの前は、やっぱり怖かったようで、毒のある「ベニテングダケ」を少しかじって、興奮状態にして勇気を出していたという。
私は、このエピソードが一番好き。
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おまけ
バイキングの子供の服装
バイキングの大人の服装↑と帽子↓
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