北欧スウェーデン の生き方情報 スウェーデン報

北欧スウェーデンの日常を生活者目線でお伝えします。
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ミュンヘンクリスマスマーケット in 札幌

2018-12-23 03:50:09 | エッセイ

「せっちゃん、昨日亡くなられたと連絡が入りました。どなたか詳細ご存知ですか?」



11月1日の朝、仲間のフェイスブックに、こんなメッセージ。


通勤の新幹線の中で、私は絶句した。


「えーっ、誰かわかったら教えて」


そのあと、仲間たちの悲鳴のような書き込みが続き、30分もしないうちにそれが、噂でも悪い冗談でもないことが判明した。

 

10月31日朝7時31分。彼女は旅立っていた。

 

思いが去来して、東京駅まで、私は静かに泣き続けた。

 

でも、私は、多分その日が来ることを知っていたのだった。

覚悟はできていなかったけど。

 

最初に私が彼女の病気について知ったのは、2月だった。病院に行ったら見つかり入院が必要だという仲間うちのメッセンジャーへの書き込み。

 

その後入ってくる入退院の情報の中で、私は、無性に胸騒ぎがして、5月に彼女の家のそばまで強引に会いに行った。自分の不安を解消したかったのだ。

 

小康状態の彼女は、私を歓迎してくれ、私たちは、最寄駅のそばのカフェで、気づけば4時間も話し込んでいた。

 

病気と付き合いながら、今迄通りの生活を続けて行くという彼女の覚悟を、いつもと同じように笑顔で話してくれた。


仕事大好きな彼女が、仕事も今までのように続けながら、闘病できる最高のパートナー病院を見つけられたことを共に喜んだ。


本当にいくつも病院をさがしたのだった。

「セカンドオピニオンとるのって、本当に大変なんだよ」

「でも、よかった。そんな信頼できる病院が見つかって」

 

でも、その時、多分、わたしは、せっちゃんの死を悟ってしまっていたのだ。

 

「せっちゃんは、最後まで治す気でいました」

ご主人の言葉は嘘ではない。

せっちゃんは、治す気だった。


でも、自分の命と向き合いながら、不安もいっぱい抱えて過ごしたであろう彼女の8ヶ月を考えると、本当に胸がつまる。

 

8月に最後に会った時も、彼女は、笑顔だった。痩せてはいたけれど、相変わらず周りを楽しくする高らかな笑い声で、私たちを包んでくれた。
一緒に泊まるはずだったけれど、体調が優れないからと一人帰った電車の中からこんなメッセージが届いた。


 

一足先に帰ってすみません本当に素晴らしいサイコーの仲間に会えて幸せでした!帰り道は泣きながら(笑)嬉し涙です(^^)ありがとう!感謝です

 

本当に皆んな

心から大好き

そして愛おしいです。

 

 

 



これが、私たちへの最後の言葉だった。
今、読み返してみても、このときのせっちゃんの気持ちを思うと涙がでる。

だれも、こんなに早くお別れの日が来るとは思っていなかった。

 

彼女の笑い声は、周りを笑顔にし、彼女の存在は、周りを安心させた。

 

「笑顔しか思い出せない人っているんですね」

仲間の一人が書いたメッセージが、そのまま、彼女を語っている。

 

彼女と私は、同じような仕事をしていた。

私たちは、よく会った。よく喋った。そして、よく笑った。

 

たまたま、山梨の隣町で仕事をしているのがわかって、急に待ち合わせをして、ぶどう狩りをしながら帰ったり、群馬の友達の結婚式の帰り道を二人でドライブして帰ったり・・・。

有料道路を危うく逆走しそうになった時も、ただ、大笑いしただけのあなたは、太っ腹。

浜松でイベントが会った時には、実家に泊まってもらって、一緒に朝食のワッフル焼いたねえ。

仲のいい数名で温泉に泊まり、騒ぎすぎて隣室から怒られたこともあった。あれ、きっと、あなたの笑い声のせいだよ・・・


あんな思い出、こんな思い出が、湧き出てくる。

 

あなたは私の還暦を祝ってくれたけど、私にあなたの還暦を祝わせてくれなかった。

 

ドイツ好きな彼女が「ダンケシェ〜ン」といいながら、体当たり的に肩を叩いてくる、その掌の感触も、表情も、いままさに体験しているように思い出せる。

 

一度でも彼女に会ったことのある人は、みんな、彼女のファンになる。その日のうちに悲しみは伝播した。フェイスブックには、多くの人が彼女の死を悼んでいるメッセージをあげていた。

 

私にとって彼女の死は、到底受け入れがたく、ずっと、言葉にだせなかった。出張先のホテルでも、窓からの光景をみては、「彼女のいない夜」「彼女のいない昼」がせまり、泣けて泣けて仕方がなかった。


 



そんな中、偶然かつ必然に、私に彼女がやり残した仕事を替わってやる機会が巡ってきた。

「私にしかできない仕事」と彼女が最後までバトンを渡すのをためらった仕事だという。

その責任をひしひしと感じながらも、私は、その仕事を引き受けられたことを喜んだ。

 

打ち合わせの中で、彼女の仕事のパートナーから、「あなたの名前は、彼女の口からよく聞いていた」と言われ、また、涙した。

 

今月初め、私は、その仕事を終わった。

彼女は、間違いなくそこにいた。

「ダンケシェ〜ン」

と言ってくれた気がした。

 

お通夜の席で、北海道からきた友達が、「せっちゃんは、北海道のミュンヘンクリスマスマーケットが大好きで毎年来ていたんだよ」と言った時、温泉仲間は、その場で、今年のクリスマスマーケットに追悼旅行をすることを決めた。


 

そして、今、私たちは北海道にいる。



大通り公園のクリスマスマーケットを見て、ツリーの下で、せっちゃんの写真も入れてみんなで記念撮影をした。




 

ああ、せっちゃん。

あなたが一緒でないのが本当に寂しいよ。

でも、きっと、あなたは、私たちのそばにずっといてくれた。
わたしたちは、あちこちで、あなたの気配を感じていたよ。

 

わたしは、あなたのことをきっとずっと忘れない。

そしてあの笑い声を思い出すたびに泣きたくなるかもしれない。

 

でも、もう、あなたのことを思い出して泣かない。笑おうと思う。あなたが、同じ時代にこの地球に生まれ、私と出会ってくれたこと、その奇跡に感謝して。

 

49日がすぎた。だから、もう、下界の煩悩で引き止めることはしないよ。

 

でも、また、どこかで会えたなら、会わない間に起こったこと考えたことを時間を忘れて語り明かそう。笑い明かそう。そのときまで、さようなら。

 

そして、ありがとう。ありがとう。