青裸々日記 Aorara Diary

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出世の石段

2012年01月09日 11時43分27秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 港区の愛宕神社は、天然の山の上にあります。
 標高は25.7mながら、低いといっても山は山。
 神社への石段が急で、それがためにこんな伝説があります。
 <以下、Wikipediaから引用>
 出世の石段 [編集]
 現在でも「男坂」の急な石段は「出世の石段」と呼ばれている。これは、江戸時代の寛永11年(1634年)1月28日、徳川秀忠の三回忌として増上寺参拝の帰り、徳川家光が山上にある梅が咲いているのを見て、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣(曲垣平九郎)が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた、という逸話から来ている。

 以降、出世の石段を馬で登った成功例は今までに3例存在する。1例目は仙台藩で馬術指南役を務め、廃藩後曲馬師をしていた石川清馬で、師の四戸三平が挑み、果たせなかった出世の石段登頂を明治15年(1882年)に自らが成功させ、これにより石川家は徳川慶喜より葵の紋の使用を許された。

 2例目は参謀本部馬丁の岩木利夫で、大正14年(1925年)11月8日、愛馬平形の引退記念として挑戦し、観衆が見守る中成功させた。上りは1分ほどで駆け上がったが、下りは45分を要した。この模様は山頂の東京放送局によって中継され(日本初の生中継とされる)、昭和天皇の耳にも入り、結局平形は陸軍騎兵学校の将校用乗馬として使われ続けることとなった。

 3例目は馬術のスタントマン、渡辺隆馬である。昭和57年(1982年)、日本テレビの特別番組「史実に挑戦」において、安全網や命綱などの安全策を施した上で32秒で登頂した。
 <引用、ここまで>



 伝説というだけでご利益がどうという話はありませんが、
 これにあやかって、石段にチャレンジしてみるのもいいかもしれません!

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