成り行きアラカルト日記

人生は成り行きでありますが、日日是好日と考えて、日々の出来事を凡人の視点でアドリブ的に記載したいと思っております。

NHK教育、知る楽・森有正・・・・「孤独」

2009-09-02 23:44:41 | 心のこと
NHK教育で「知る楽」という番組がある。時々、気になる人が出てくると観てしまう。今夜は、『世界の中心で、愛をさけぶ』が300万部の大ベストセラーとなった片山恭一が語り手となり、 「森有正」について話をしていく。4回にわたって彼の軌跡を追うが、今夜は1回目の「孤独」であった。

 内容は以下のごとくであるが、彼の「孤独」についてはかなり理解できる感じだった。一般のさびしい、話する相手がいない、自分を理解してくれないとかいう俗っぽい「アローン」と言われるようなものではなくて、自分の中の自分との会話が成り立つかということだと思われた。「孤独」のもつ自分を成立させるもの。それはある意味では「内省」でもあり、「内省する力」でもあるんだろうか。孤独は悪いことのように思われがちだが、「孤独」の中に自分を熟成させて、自分の味をつくるものがあるという風に解釈してしまった。間違いかな?
 しかし、彼の生まれ育った環境などが、大きな影響を与えていたのがよくわかる。2回から4回まで観てみたい。

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哲学者・森有正(1911-1976)。「人間が人間として本当の自分を生きる」ことを問い続けた昭和の哲学者である。没して30余年、この日本人の名前を記憶する人たちはいったいどれくらいいるのだろうか。
東京大学文学部仏文科の助教授時代、公費留学生としてパリを訪れた森はやがて家族も地位も捨て単身パリに留まることを選択し、生涯をかけて、ひとり異国の地で「人間の本質」を探求する。
「孤独」「絶望」「経験」「感覚」「出発」「死」…森が思索の中で辿(たど)った言葉たち-「人間の本質」を求めるその人生は、常に自分の内面と向き合うことであった。
こんな森の生き方を改めて見つめるのが「世界の中心で、愛をさけぶ」の原作者・片山恭一さん(50)。片山さんは、森の「言葉」に、そしてその思索に深遠な世界を見いだす。それは強い共感を覚えさせるものであり、さらに現代社会を生きる「人間」を照らす言葉でもあると考えている。
死に至るまで「人間の本質」を求めた森有正を《生涯自分が戻っていく場所を探し続けた思索家》と考える片山さんが、その孤高の世界を4回にわたって語り尽くす。
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 1回目「孤独」
  「人間が生きるとはどういうことなのか」。人生を思索に捧(ささ)げた森有正の資質は彼独特の出自、そして近代日本が歩んだ暗い時代がもたらしたものであった。生涯を通して森を捉(とら)え続けた「孤独」。しかし森はその独自の思索方法の中で「孤独」の意味を、否定的なものではなく、積極的に保持すべきものであると考え始める。「人間にとって根源的なものである」とまで言いきった森の「孤独」を探る。

 2回目「絶望」
   東大助教授であった39歳の時、森は戦後初の公費留学生としてパリを訪れる。それは思索者・森有正にとって運命的なものであった。圧倒的な文明力を持つパリという街を前に、森は「絶望」を抱く。それは日本への、そして日本人である自分への「絶望」であった。森の「絶望」とはどんなものであったのか、そしてこの「絶望」にどう向きあっていったのか。片山さんが実際にパリを訪れ、その思索の跡を辿(たど)る。

 3回目「時間」
   パリでひとり思索を続ける森の生活を支えたもの。それは皮肉にも絶望を抱いた「日本人である自分」が持つ日本語力であった。日本語教師、日本文学の仏訳、生きるための仕事を行う中で、森は「時間」の持つ作用に気づき始める。時間をかけた言葉への取り組み、そして一人の人間としての生活の中、森の中に「自分の時間」が流れ始める。異郷の地で森におとずれた「時間」の概念に迫る。

 4回目「出発」
   パリから列車でおよそ1時間のところにあるシャルトル大聖堂。森が何度も足を運んだ場所である。悠久の時間の中、変わらず存在しつづけるカトリックの大聖堂に対峙(じ)する中で、森は自分自身の内面の変化を感じ取って行く。生涯を通して自分の内面世界を常に見続けた森。それは絶え間ない自分への「出発」であった。26年という異国での歳月の果て65歳でこの世を去った森有正。彼は何処(どこ)へ出発したのか、そして還っていったのか―「出発」をキーワードに迫る。
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