元々、神経質で対人的な不安が強かった僕であったが、「好き嫌い」も激しい子供であった。食べ物の好き嫌い、人の好き嫌い。ありますわねえ、今、考えると。しかし、食べ物の好き嫌いをすれば、親から怒られ、給食で食べないと、担任から食べるまで教室に残される僕は悲しかった。「食べ物の好き嫌いある人は、人の好き嫌いある人になり駄目な人間になりますよ」と言うことを露骨に生徒に言う時代であった。僕の好き嫌いは直らず、ある時期まで来たが、ある時期から知らぬ間に好き嫌いは減っていった。今はもち好き嫌いはあるが、それほどではなく、十分に生活している。まあ、人の好き嫌いは直らないが、それは口には出さないので問題なし。ごく普通の生活をしているんだなあ。子供が嫌いなものを食べない時、どうすれば良いのか?正解はないが、効果のないことをしても無駄ということが、僕の場合は言えましたね。大体、食べたくない人間に、「食べなさい」ということの単純な矛盾に気づかないのが、親であり先生なんですね。親や先生は、自分の為に食べさすことが必要なわけで、母親とか先生としてのプライド、アイデンティティーがかかっているので、意向に従わない子は悪い子、自分を傷つける子供で憎たらしくなるんだすな。親になると、あの時の、母親の鬼のような顔の意味が分かりました。担任の先生の意地悪も理解しましたね。考えると、親と先生の愛情に鍛えられた自分でありました。しかし、美味くなかったです。給食は。給食にまつわる、政治的な側面や利権など色々あったんだろうな。給食導入する市町村は文化都市と言われたかったんですね。今時、どこに文化都市なんてありますかね?
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食べ物、人、好き嫌いがあって当然ですよね。
私今じゃだれも信じてくれないけどものすごい『偏食児童』でした。保育園の給食は食べるまで遊べないのは世間一般の通りだけど家庭でもね。
「嫌い」って言うのは許されない家庭で食べ終わるまで座ってなくちゃいけない・・・・いつまでも食べられない・・挙句「食べるのが遅い子だ」と言われて育ちました。
そんな私の唯一の救いは小学校は給食がない!ということでした。そりゃあもう嬉しかったですよ~~~!
大人になって世界が広がって嫌いな食べ物も随分減りました。
子供に無理強いするのってなんだか意味がないんじゃないかなって思います。