三宅一生さん、米紙に原爆体験寄稿 大統領演説が触発(朝日新聞) - goo ニュース
やはり、その時期が来たということでしょうか。心に深く埋もれさせていたものを出す時期がきたようで。・・・三宅さんは広島にいた7歳の時に閃光(せんこう)を目撃。黒い雲があがり、人々が逃げまどう光景が「目を閉じれば今も浮かぶ」。母親は被爆の影響で、3年もたたないうちに亡くなった。・・・
との経験をされた。しかし、自分の世界への仕事のこともあり、原爆体験を語ることができなかったわけで、そのことは何か大きな苦悩を抱えて生きていくことだったのだろうなあ。煌びやかな世界の中にいるだけに、心の中の本当の自分てなにだろう?と思われていたのではないだろうか。オバマ氏の「プラハ演説」を聞いたことに心を動かされたようだが、これで、三宅一生さんは本当に「ヒロシマの心」を表現している芸術家になったようだ。
やはり、その時期が来たということでしょうか。心に深く埋もれさせていたものを出す時期がきたようで。・・・三宅さんは広島にいた7歳の時に閃光(せんこう)を目撃。黒い雲があがり、人々が逃げまどう光景が「目を閉じれば今も浮かぶ」。母親は被爆の影響で、3年もたたないうちに亡くなった。・・・
との経験をされた。しかし、自分の世界への仕事のこともあり、原爆体験を語ることができなかったわけで、そのことは何か大きな苦悩を抱えて生きていくことだったのだろうなあ。煌びやかな世界の中にいるだけに、心の中の本当の自分てなにだろう?と思われていたのではないだろうか。オバマ氏の「プラハ演説」を聞いたことに心を動かされたようだが、これで、三宅一生さんは本当に「ヒロシマの心」を表現している芸術家になったようだ。
やっぱり、思い出したくないのと隠したいのとの両方でしょうか。
それから、長崎に落とされた原爆の被害状況を写真に撮る仕事を命じられたアメリカ兵が、人を写してはいけないと言われていたのに、人を撮った写真を鞄に鍵を掛けて隠しておられたそうです。でも、自らも被爆し、その写真を公開して原爆の惨さを訴えて来られたそうです。亡くなった後は、息子さんが、お父さんの後を継いで、運動しておられるようです。
テレビでドキュメンタリーとしてありました。
しかし、被爆体験のように、同じように体験していながら、そのことを他者に語らないとはどういうことなのか?僕の今までの考えは、他者に語らない、共有しない体験は、ある意味で無いのと同じことであるという側面があるんじゃないでしょうか。自分の体験を本当に自分のものにする行為、それが共通体験であり、他者に物語るということではないかと思うしだいです。
世界に隠せないものはやはりあるようですし、それは時間とともに現れる運命ってあると思いますね。父親が語られない場合、子供とか孫が語るようになる。それは不思議ですね。語らずにはおられない物語や現実はまさにそこに存在するんでしょうね。ある力を持っているんだと思います。それはあらゆる人々の魂のなせる業かもしれませんね。