1851年(嘉永4年)。今から166年前、日本人が写った最も古い写真と言われているものです。摂津の利七(当時22歳)という船乗りが漂流した所を、米国の船に助けられサンフランシスコで撮った写真です。船乗りだけあって結構いい体格をして… twitter.com/i/web/status/8…
— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) 2017年1月11日 - 01:25
人生も囲碁も定石なしかな。 twitter.com/chikunnsan/sta…
— hiroo (@susan8181) 2017年1月11日 - 20:34
懐かしくて観たが、やはり1977年のリアリティーだなあ。 twitter.com/warnerjp/statu…
— hiroo (@susan8181) 2017年1月11日 - 22:00
@h_mi2h @oldpicture1900
— しいたけ (@zidaiokure_21th) 2017年1月11日 - 02:16
下谷の芸妓・さかえです。
彼女かどうかわからないのですが、後に二代目・市川左団次の夫人となったのも栄という名の芸妓で、本名は浅利登美子。彼女の姉の孫にあたる人が、劇団四季の創設者・… twitter.com/i/web/status/8…
鷗外と脚気という厄介な問題を知るには、『鷗外森林太郎と脚気紛争』(山下政三)に尽きる。東大医学部の医師で、医学史(特に脚気の歴史)の専門家が、他方で陸軍軍医部の人事を隅から隅まで調べ抜いて、鷗外小倉左遷の謎にまで迫る力作。非常な説得力。そして、ドラマで見たいくらいに面白い。
— 平野啓一郎 (@hiranok) 2017年1月11日 - 22:43
「日露戦争の陸軍の脚気の惨禍は鷗外の責任」というのは、山下の本によるならば「デマ」だろう。ただ、台湾征討軍の脚気の被害は、鷗外にも批判されるべき点がある。そもそも脚気とは無関係だった彼の「陸軍兵食試験」が石黒忠悳に利用されてゆく過程で取るべき態度はあったと思う。
— 平野啓一郎 (@hiranok) 2017年1月11日 - 22:49
山下は、鷗外が国費によって設置させた「臨時脚気病調査会」の功績を最大限に評価する。これによって脚気の原因がビタミンB不足によるものだと突き止められたため。他方で、麦飯を推奨した高木兼寛の功績も医学的に公正に評価しており、バランスの取れた良書。
— 平野啓一郎 (@hiranok) 2017年1月11日 - 22:55
山下の『鷗外 森林太郎と脚気紛争』の「あとがき」にあるが、そもそもこの本を書いたのは、1992年頃に「島薗順雄先生(ビタミン学と栄養学の権威、東大名誉教授)から電話があり、「森鷗外が脚気問題でたいへん誤解されている。正しい事実をぜひ書いてもらいたい」と要請された」からだとか。
— 平野啓一郎 (@hiranok) 2017年1月11日 - 22:59