NHKもなかなか良い番組をします。作家高史明が「いのちの現場」を訪れるのだが、「死」について考えさせられますね。「死」を考えることは、すなわち「生」を考える。それは「魂」について考えることなんですね。わかったようでわかりません。しかし、何かを感じます。
息子さんが残した宿題を考えている時、息子さんと一緒に考えているとの発言はなるほどと。
太田光が「笑いはある意味では思考停止である」とのことを述べていたがそれもそうだなと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ETV特集
「いのちの声が聞こえますか~高史明・生と死の旅」
▽太田光が生きるとは何か問いかける▽一人息子の死を考え続けた作家の心の軌跡▽親鸞の教えに導かれ▽女子生徒に心の授業▽生きることに悩む親子に贈る珠玉の言葉▽感動の旅
ETV特集◇作家の高史明氏がさまざまな"いのちの現場"を訪れ、そこで奮闘する人々と人間の生と死を考える。さらに、高氏の言葉に共鳴する爆笑問題の太田光との対話を通して"いのち"の思想に至る高氏の内面の世界に迫り、混迷の現代を生きる思想とは何か、最後にわれわれを支え得るものは何かを探る。年間3万人を超える自殺者、家族間の殺人、根深いいじめの闇など21世紀の現代日本は混迷の極みにある。自身も最愛の子供を自殺で失った高氏は、科学や理性だけでは解決できない現代社会のひずみや心の闇と対峙(たいじ)してきた。そうして行き着いた親鸞の"絶対他力"と、独自のいのちの思想から絞り出す彼の言葉は多くの人を引きつけている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ウィキペディアより・・
高 史明(コ・サミョン、こう しめい、1932年4月11日 - )は、作家、評論家。
山口県生まれ。本名・金天三。高等小学校中退後、職を転々としつつ政治活動などを行う。1971年、初の著作を上梓、評論家となり、1975年、『生きることの意味』で日本児童文学者協会賞を受賞するが、同年、一人息子の岡真史が12歳で自殺、その遺稿詩集『ぼくは12歳』を妻の岡百合子との編纂で刊行し、話題となり、1979年、NHKテレビドラマ化もされる。その後、親鸞と『歎異抄』の教えに帰依し、著作のほか、各地で講話活動を行う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
息子さんが残した宿題を考えている時、息子さんと一緒に考えているとの発言はなるほどと。
太田光が「笑いはある意味では思考停止である」とのことを述べていたがそれもそうだなと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ETV特集
「いのちの声が聞こえますか~高史明・生と死の旅」
▽太田光が生きるとは何か問いかける▽一人息子の死を考え続けた作家の心の軌跡▽親鸞の教えに導かれ▽女子生徒に心の授業▽生きることに悩む親子に贈る珠玉の言葉▽感動の旅
ETV特集◇作家の高史明氏がさまざまな"いのちの現場"を訪れ、そこで奮闘する人々と人間の生と死を考える。さらに、高氏の言葉に共鳴する爆笑問題の太田光との対話を通して"いのち"の思想に至る高氏の内面の世界に迫り、混迷の現代を生きる思想とは何か、最後にわれわれを支え得るものは何かを探る。年間3万人を超える自殺者、家族間の殺人、根深いいじめの闇など21世紀の現代日本は混迷の極みにある。自身も最愛の子供を自殺で失った高氏は、科学や理性だけでは解決できない現代社会のひずみや心の闇と対峙(たいじ)してきた。そうして行き着いた親鸞の"絶対他力"と、独自のいのちの思想から絞り出す彼の言葉は多くの人を引きつけている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ウィキペディアより・・
高 史明(コ・サミョン、こう しめい、1932年4月11日 - )は、作家、評論家。
山口県生まれ。本名・金天三。高等小学校中退後、職を転々としつつ政治活動などを行う。1971年、初の著作を上梓、評論家となり、1975年、『生きることの意味』で日本児童文学者協会賞を受賞するが、同年、一人息子の岡真史が12歳で自殺、その遺稿詩集『ぼくは12歳』を妻の岡百合子との編纂で刊行し、話題となり、1979年、NHKテレビドラマ化もされる。その後、親鸞と『歎異抄』の教えに帰依し、著作のほか、各地で講話活動を行う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・