文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

「太平洋戦争」か「大東亜戦争」か…歴史を複眼で見る…善悪は逆転する…正々堂々と歴史の修正を 

2024年07月05日 19時27分19秒 | 全般

以下は今日の産経新聞『正論』に掲載された平川祐弘東京大学名誉教授の論文からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。

「太平洋戦争」か「大東亜戦争」か
近ごろ本紙上にも昭和の大戦について太平洋戦争ではなく大東亜戦争と呼べ、という主張が散見する。
表現は自由だ。だからといって使っていいか、悪いか。賛成の人もいれば反対の人もおられよう。
ここで問題点をあきらかにするよう努めたい。 
大東亜戦争の名称について賛成派には、昭和16年12月12日の閣議で、今度の対米英戦争は従来の支那事変を含めて大東亜戦争と呼ぶと決定されたからだ、と法学者的な主張をする方もいる。 
当時は戦局の推移にともない新地名がつくられた。
昭和17年2月15日にシンガポールが陥落するや18日には戦捷(せんしょう)第一次祝賀国民大会が開かれた。
私は少国民を代表して皇軍への感謝の放送をした。
そのとき同伴の田中豊太郎先生が放送直前、原稿に「シンガポールは名前もいまや昭南島と改め」と加筆した。
小学四年生の私がそれを朗読した。
いまも私は昭南の名を鮮明に記憶しているが、憶えている人は少なかろう。 
まして戦争当初のわが軍がいち早く占領したグアム島を大宮島と呼んだことなどは、政府決定であろうと誰も覚えていまい。 
逆に昭和二十年暮、占領軍は日本人が「大東亜戦争」というのを禁止し「太平洋戦争」と呼べと厳命した。
だが連合軍の指令だからといって、私たちはいつまで従うべきか。
アメリカ側で「the Pacific War」と呼ぶから「太平洋戦争」と呼ばせるだけでない。 
「大東亜戦争」だと日本が大東亜解放のために戦った、という義戦の面が歴史に残る。
それでは旧植民地を維持したい連合国側には都合が悪いのだ。

歴史を複眼で見る 
ここで問いたい。
第二次大戦で日本が戦ったのは「太平洋戦争」だけなのか。
「大東亜戦争」の側面は皆無なのか。 
1991年度、東大で私は「文学に現れた太平洋戦争と大東亜戦争」と題する最後の講義をした。
材料は日本文も英文も、時には中国文もとりあげた。
学生も半ばは日本人、半ばはかつて敵対した国々の出身者、教室は満員だった。 
そうした院生たちを相手に一年間、『戦場にかける橋』、『ビルマの竪琴』、硫黄島で戦死した市丸利之助海軍中将の『米国大統領への手紙』や重慶爆撃に触れた豊 子愷(ほうしがい)などをとりあげたのである。 
その成果は日本語でも英語でも発表した。
特定の国だけが正しい、と夜郎自大に言い張ることはしない。
また日本だけが悪いと謝る自虐史観に従うこともない。 
安倍晋三氏が唱えた「戦後レジームからの脱却」とは何か。
外国特派員の中には疑心暗鬼で批判する者もいた。
しかし戦後体制の仕切り直しを支持する層は日本に広い。  
「勝者の裁判」である東京裁判の判決を受け付けない私だが、だからといって日本軍部が正しかったと言うつもりはない。
私の歴史評価は当時も今も同じだ。
軍部が政府に従わず、解決の目途も立たぬまま中国で戦線を拡大した責任は大きい、また軍部に追随した新聞も悪い。 

善悪は逆転する 
先の大戦でかりに軍国日本が悪玉だったとしても、1945年8月6日にその立場は逆転した。
私はそう判定している。
降伏交渉中の日本に原爆を投下した米国は極悪非道の悪玉で、ダンテがいま『神曲』を書くならトルーマン大統領は、原爆投下を命じた前非を死ぬ前に悔いないかぎり、地獄で焼かれているはずだ。 
その罪を帳消しにするために「慰安婦20万」とか日本側の大虐殺とか誇大に主張する輩もいるが、そうした良心面した連中の赤い舌は必ずや『神曲』未来篇で抜かれるだろう。
その地獄でヒトラーはガス室に詰め込まれ、スターリンはさらに下層で氷漬けなのは、それだけ殺した人数が多いからだ。           

正々堂々と歴史の修正を 
第二次世界大戦をデモクラシー対ファシズムの正義の戦争だった、と一時期内外の左翼の歴史学者は主張した。
日本でも都留重人らがそう主張した。
しかし米国と組んで日本と戦ったソ連や中国が、人格の自由を尊重するデモクラシーといえるのか。 
私見では日本は反帝国主義的帝国主義の国だったが、その戦争に正面の「太平洋戦争」とともに「大東亜戦争」の側面があったことは否定できない。
日本が英国と戦ったビルマやマレーやインド洋などは地理的にも太平洋とは呼べないからである。 
日本の皇室と親しいオランダの王室は、かつて女王が日本軍による蘭領東インド(インドネシア)での非道を口にしたことがあったが、日本の皇室に政治的発言は許されない。
反論もなかった。
しかし近年、両陛下がインドネシアを訪問、脱植民地のためインドネシア将兵と共に戦って戦死した日本人将兵の墓に参り、現地の遺族を慰められた。 
昭和の大戦には太平洋戦争という面だけでなく大東亜戦争という面があることは今や公的にも認知されたのである。     
(ひらかわ すけひろ)


2024/7/5 in Okayama

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« それにも懲りずに村山首相は... | トップ | Nor do we follow the masoch... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

全般」カテゴリの最新記事