以下は前章の続きである。
グロ-バル教育は周回遅れ
-まさに藤原先生のお父さま(新田次郎)が実践された教育ですね。
藤原 私はアメリカとイギリスに留学し、世界各地を旅するうちに、あることに気付きました。
すなわち、道徳規範や思いやりなど、いわゆる民度で日本は他国を圧倒的に引き離している、ということです。
躾、忖度、惻隠など、日本人ほどの国はどこにもありません。
中国人にこの三つはほとんどないし、米英は説明すればいろいろ親切にしてくれますが、黙っていれば何もしてくれません。
この優越性を忘れて、外国の真似ばかりするのは危険です。
いくら英語を学んだところで国家の繁栄に結び付かないことは、20世紀を通じて斜陽を続けたイギリスが劇的に証明しています。
彼らは世界一英語がうまい人たちですよ(笑)。
しかし金融以外の経済はまったく駄目。
翻訳や通訳は専門家を雇えば済む話であって、英語とビジネスは何の関係もありません。
国際人になれるわけでもありません。
アメリカの大学生で、国際人といえそうなのは10人に1人くらいと思われます。
さらに興味深いことに、私の知るかぎり、英語に堪能な日本人ほど、小学校からの英語教育に否定的です。
小学校では英語より国語、国語、国語なのです。
反対に、英語ができない人に限って「親の仇」とばかり、わが子に英語を無理やり覚えさせようとする。
日本人の型を忘れて英語やITにひれ伏してしまった世代が、欧米への劣等感を継承させようとするのは大問題でしょう。
-まったく余計なお節介。
藤原 北海道から沖縄まで、小学二年生が同時に「掛け算九九」の七の段を学んでいる日本の光景は素晴らしい。
ひとえに全国一斉の指導・検定教科書の賜物です。
多くの国々では州ごとに教育内容も水凖もバラバラで、基礎・基本を叩き込むディシプリン(鍛錬)に欠けている。
それに気付いた欧米の学者は、1980年代から「日本の真似をしないと経済で独り勝ちしている日本に勝てない」と言い出しました。
ところが日本の教育学者はそれ以前の欧米の論文を読んで、90年代後半から2000年代に、欧米の真似をして「ゆとり教育」を推進しました。
ゆとり教育が「ゆるみ教育」であることが立証されたのちに、次に来だのが「フィンランド方式に学べ」です。
OECD(経済協力開発機構)加盟国の学力試験でフィンランドが最も優秀だったというのが主な理由ですが、やはり最近、下火になりました。
理由は簡単で、移民が入ってきてレベルがグーンと下がったからです。
にもかかわらず日本は、中国や韓国も小学校から英語を精力的に学ばせている、日本もそうしないと負けてしまう、などといって小学五年生からのスタートだった英語を小学三年生からにします。
経済は比べようもなく弱体で、ノーベル賞も取れない国の真似をするのですから頭がクラクラします。
ほかにもITだのプレゼンテーションだのといった、グローバル教育という周回遅れの話に飛び付いています。
次から次へと海外の真似をして、日本が江戸初期から2000年ごろまで4世紀にわたって世界で断トツだった、という事実に気付いていない。
わが国の初等教育の真髄は「読み・書き・算数」という基本の徹底にあります。
なかでも大切なのが「読み」‐すなわち読書。
電子端末などかなぐり捨てて、とにかく子供に本を手に取ってもらわなければ、本当に国が滅びます。
子供に英語やITを詰め込めば国際人になって多様な価値観が育つ、というのはじつに浅はかな人間観です。
そもそも教育は、経済や政治などよりはるかに難しい事業です。
経団連や政府が思い付きで改革してよいものではない。
この稿続く。