…前略
3・11の震災以降、〝イラ菅”ぶりが際立っていたという。
事故発生直後、政府に燃料を冷やす外部冷却装置を付ける提案をした元佐賀大学長の上原春男氏は、3月20日、佐賀県選出の国会議員の仲介で、菅首相と直接、電話で話をした。
上原氏は、こう振り返る。
「外部冷却装置について、『決断してください』と訴えたところ、大声で原発についての持論を言われて、結局、とりあってもらえなかった。もしかしたら冷静な判断ができなくなっているのでは、と感じました」
その後、官邸での菅首相のあだ名はいつの間にか〝空き菅(缶)″へ変わっていたという。
「発生当初は東電、官僚、補佐官らがアポを事前に取って官邸の執務室ヘレクに出向いても、『俺はそんな約束、聞いていないぞ』とごねるなど〝イラ菅″を爆発させていた。
だが、次第にレクについていけなくなり、放心したように執務室に引きこもる姿が見られるようになった。
頭が空っぽのような様子から〝空き菅″と呼ばれるようになり、精神状況が心配されていた矢先、浜岡原発で息を吹き返しました」(政府高官)
「浜岡停止表明」がなされた5月6日の夜から、震災以降、自粛していた菅首相の〝美食会合″も解禁となった。
首相動静によれば同日夜、赤坂の中国料理店で約2時間、食事をしている。
そのお相手は、最近、関係悪化が囁かれていた仙谷由人官房副長官だった。
…後略。
*新聞やテレビは、何故か、このような事実を全く報道しない訳であるが、いやはや、全く、何と言う話だろうか。
これこそ、呆れかえる、と言う事だろう。そう思いませんか、梅原大先輩。
私の同級生に気仙沼出身の親友がいた事は、該当の章を観て頂ければお分かりの通り。
気仙沼市長が県=国からの市外、県外への仮設住宅への移転居住要請に対して、気仙沼を愛する地元市民の心情を最優先して、毅然として、それは話の進め方が違う。
市は、地元民の気持ちを優先して、市内で用地確保に努める。
街から40kmも50kmも離れた所に、誰が行くんですか。
仮設住宅での暮しは2年、3年以上かかるでしょう。と。
私の該当の章を読んで頂ければ一読で分かると思うが、気仙沼は、伊達に三陸リアス式海岸国立公園ではない、極めて美しい街なのです。
海の美しさと豊穣さは尋常ではない。
漁業従事者が、ここの海は豊穣なんだ、絶対に離れないと答えていたが、それは全くその通りだろう。
何からかにまで自分の延命で頭が一杯の人間が、今度は、「お盆までには、仮設住宅を建設する」と言ったからと言って、そんな、およそ全ての事に於いて、何の戦略も、構想もなく、ただ、ただ、己の保身、権力維持。
その為なら、どんな嘘を付くことも厭わないという、巷に巣くう悪党どもと一体、どこがどう違うのか、と言いたいぐらいな事が、今日発売の、週刊朝日にも、掲載されている。
新聞やテレビは報じない、事実=真実の数々だ。
そんな人間の為に、世界が今でも称賛している東北人、気仙沼市民は、YESを言う必要はない。
ましてや市民政治家であるということを唯一の売りにしているポリティシャンじゃないか。
市民の気持ちは一番良く分かっているはずじゃないか。
それともなにか、市民政治家という自称も、自分を売り込むためだけのものだったということか。
本部はビジョンを明確に
日本のものづくりの「現場」には、品質の高い商品を安く、効率よくつくるという普遍的な目標が常にある。
戦後の復興期から高度成長期にかけて、日本の組織は「本部(本社)」が明確な目標を定め、現場は目標に向かってチーム一丸となることが多かった。
それが欧米に肩を並べてからは日本企業の「本部」はどこへ行けばいいのかという戦略目標が定められなくなった。
その結果、一部の優良企業は別として、バブル崩壊後の日本企業は「強い現場、弱い本部」が定着した。
一方、米国企業は「弱い現場、強い本部」が一般的で、その典型はゼネラルーモーターズ(GM)など苦境に陥った米国の自動車メーカーだった。
日本の社会も企業も目指すべきは「強い現場(の維持)、強い本部」だ。
大震災後の日本企業の多くは「現場の復旧」という目標に向かって現場も本部も強かった。
だが政府の本部機能には混乱が生じた。
今後、復興に向けて歩み出すとき、本部がビジョンとそれを実現するための戦術を明確にする必要がある。
Nobody told me there'd be days like these
Nobody told me there'd be days like these
Strange days indeed -- most peculiar, mama
Everyone's a winner and nothing left to lose
There's a little yellow idol to the north of Katmandu
Everybody's flying and no one leaves the ground
Everybody's crying and no one makes a sound
There's a place for us in the movies you just gotta lay around
Nobody told me there'd be days like these
Nobody told me there'd be days like these
Nobody told me there'd be days like these
Strange days indeed -- strange days indeed
以下の章は、goo アメーバ FC2に於いて、毎日、2,000人弱の方がたが、10,000前後の閲覧をして頂いていることへの感謝の気持ちでもあります。
「Nobody Told Me」by John Lennnon
♪ Everybody's talking and no one says a word ♪
以下の記事を引用する理由は、最近、とみに思った事なのだが、都銀行員等に、朝日新聞を読んでいない人が結構いること。
思うに、現内閣を、弓削の道鏡よろしく首相夫人まで持ち出してトップを選択させたような御仁が為すご高説に、うん臭さを感じた人たちが、他の新聞を取る、或いは、新聞を取るのは止めて、全て、ネットで済ませる。
年収200万円以下に追い込まれている1,000万人の大半を占める若者は、特にそうしているのではないか。
そのような人たちに、本来の朝日は、そうではなく、ちゃんとしたものなのだ、そのちゃんとした記事を伝えたいと思ってなのだが、今回の原発に対する報道等、現内閣に関する報道を見れば、そんな気持ちも萎えそうなのではあるが。
以下の記事だって、全ては、現内閣に対する異議申し立て=もう貴方では無理です、やめなはれ、と、3月11日の朝に一面の大スクープで報道したのに、大地震に襲われたからと言って、ウヤムヤにした、朝日新聞の有様にこそ問題は在るのだから。
痴呆テレビとそのような新聞に代表される有り様は、江戸時代の、元禄と言われた時分よりも酷い事は疑うべくもない。
それでは、標題の記事である。
東大大学院教授・藤本隆宏氏に聞く
東大経済学部卒、79年三菱総合研究所入社。ハーバード大研究員、東大助教授などを経て、東大大学院教授。
04年から同大ものづくり経営研究センター長。
東日本大震災後、被災地の現場での秩序維持や作業水準の高さは際だったが、司令塔の政府中枢のもたつきは多い。
藤本隆宏・東京大学大学院教授が、ものづくりの実証研究から得た「強い現場、弱い本部(本社)」という日本の特徴は、震災対応でも顕著だった。
今後、どう改善し、立て直すかを聞いた。
「被災地と全国の現場結べ」
ー大震災、原発事故から2ヵ月が経ちます。
復興対策をどう評価しますか。
「出張で海外に行ったが、識者の間でも、被災現場、原発事故現場に踏みとどまる人々の粘りと沈着さは高く評価される一方、官民とも対策本部の判断や発表の混乱は低い評価だった。日本の現場の強さと本部の弱さを、全世界が認識してしまったようだ」
ー復旧、復興に向けてどう改善すべきですか。
「高い組織力を維持している日本中の現場の力を一層活用することと、心もとなかった本部の失地回復が必要だ」
―例えば現場はどう改善できますか。
「救援段階は人海戦術の手作業や作業員の体力、精神力に頼らざるを得ない。しかし長期戦の復旧、復興では、知恵と工夫と人工物 (新開発の復旧機材など)が必要になる。広域に分散した東北の復興現場と全国にある有能なものづくり現場を結び、膨大な問題群の解決を助けるには、ネットワーク型組織が有効だ。具体的には、現場間での問題情報と解決案情報を仲介する窓口として『復興問題解決センター』のような場所を官民共同で東北につくることを提案したいJ
ー何をするのですか。
「例えば、陸に居座る船を海に戻すといった問題は、被災現場だけで悩まず、センターに相談する。センターには、機材や仕組みの開発・調達・運用に詳しい、民間の技術・製造・営業・調達・サービス部門出身などのベテラン相談員がボランティアで常駐する。個々の課題を具体的な機能や制約条件に落とし込み、解決可能な開発現場が見つかればそこへ連絡、分からねぱその問題情報を全国の現場に発信する」
「具体的な仕様さえ分かれば、チームで動く日本の設計現場や生産現場のプロたちは、次々と良い知恵がわき、開発も速い。それを復興現場にフィードバックする。民間で開発した復興用の機材は、国が買い上げてもよい」
ー本部はどうすれば?
「現場はがれきの撤去だが、本部は部門の壁の撤去が急務だ。具体的には、重要な復興テーマごとに、関連官庁・自治体から実務担当者を集めたプロジェクトチームを編成し、政府中枢に省庁横断のマトリックス組織を早急に作るべきだ。トヨタ自動車の製品開発組織、日産が復興期に使った部門横断チーム、英国内閣府のプロジェクト制など、成功例は多い」
ー官僚組織でうまくいきますか。
「省庁幹部間の連絡会だけではだめ。リーダーもメンバーも、実際に動ける課長や課長補佐以下の中堅、若手を集める。一部は専任、多くは兼任。復興という全体目的を最優先し、省益という意識は捨て、必要なら規則の壁を崩してでも案を出せと指示する。省益より国益と考える中堅、若手官僚は少なくない」
ー実行は誰が?
「省庁横断チームは立案まで。実行まで任せると、従来の縦割り組織が事前介入し、失敗しやすい。各チームから復興案が出てきたら、首相らトップが個々に検討、決定し、実行は担当省に指示する。省庁の縦割り組織は実施には強い。官僚批判だけでは復興は成らない」
(聞き手 編集委員・安井孝之)
銀行出身役員と合わず
初の東京勤務は11ヵ月で幕
初めての東京本社勤務は1970年(昭45年)11月。
営業第一部ビール課課長。全国の営業部隊を統括する新設の部署だ。スタッフはたったの3人。40歳になっていた。
「新設の課長だから社長に挨拶に行くように」と先輩に言われた。
社長の中島正義さんからは「君は長い間、体だけを使っていたから、これからは頭を使い給え」。
なるほどと納得する。
当時、アサヒのシェアは約15%まで低下し往時の半分。
中島さんに言われたように頭の体操をしていたが、衝撃が走る出来事が起きた。
翌年2月、立て直しのため初めて住友銀行から高橋吉隆さんを社長に、延命直松さんを専務に迎えることになったのだ。
外から来られた高橋さんたちとどう接すればいいのか。
警戒心もあり誰もが悩んでいたのは間違いない。
ビール課としては、この経営の大変革をチャンスにして士気を高めなければならないと思った。
東京の大森工場に全国の営業マンを集結させ、総決起大会を開催した。
課員の発案で作った旭日マークのエンブレムを施した新しいブレザーを全営業マンが着用。
当日は高橋さんと延命さんを取り囲み、盛大な催しとなった。
「おい君。今日は握手攻めで右手がしびれたよ」。
会の終わりごろ高橋さんが笑顔で声を掛けてくれた。
本社に来たからには、新しい取り組みをしないと意味がない。
まずは休刊していた企業広報誌「ほろにが通信」を復活させた。
ビールにまつわる著名人の対談やエッセーなどを載せる。
初代社長の山本為三郎さんが打ち立てた、アサヒの文化活動を途絶えさせたくなかった。
今までの現場経験を生かし、新作戦も課員と一緒に考える。
要諦はお客様に「うまい」と実感してもらうこと。
それには過剰在庫を減らし、鮮度のいいビールを飲んでもらうしかない。
ただし〝押し込み″を一斉にやめると決算が持たない。
結果検証が分かりやすい静岡、愛知、香川、高知の4県でテストをする。
市場の独立性などから判断した。
現場にも頻繁に足を運び、意思の疎通を綿密にする。
3月から始めた新しい試み。
夏ごろに専務の延命さんに呼び出される。
「君、テストマーケットというのをやっているそうだな」「はい」「そもそもお客様を〝テスト″するというのは失礼だ。モデルマーヶツトならまだ許せる。で、どれ位のお金が掛かっているんだ」と聞いてきたので「7800万円位です」と答える。
今なら数億円だろう。「なに?」。
延命さんの逆鱗に触れた。
試みは即中止。広報誌も槍玉に。
部長には報告していたが役員まで伝わっていなかった。
独断専行ととられた。
お札が商品の銀行出身の役員には〝鮮度″が理解されなかったのだろう。
本社のトイレの中でため息をつく。
「ここは伏魔殿だ」。現場育ちには堪えた。
ビール課長は11力月で解任。
大阪支店販売第一課長を言い渡される。
春に家族を呼んでいたので子どもは1学期と少しだけ過ごして再び舞子へ。
東京見物も何一つしてやれなかった。
せめてもの罪滅ぼしと思い、はとバスで銀座や東京タワーを見物。
その日は京王プラザホテルに泊まり、翌日は飛行機で大阪へ。
舞子で迎えてくれた母は「東京でなんか悪いことでもしたんと違うか」。
「心配せんでええよ」。そうとしか言えなかった。
*昨日、仕事場に向かう途中で読んでいたのだが、私は、不覚にも涙がにじんだ。
「川端は戦後に日本の伝統に回帰してしまったと誤解されています」
こう強調するのは、鎌倉の長谷大仏にほど近い川端邸に住む娘婿の川端香男里氏(東大名誉教授、川端康成記念会理事長)。
川端氏の専門はロシア文学や比較文学。
川端文学は20世紀の世界文学という広い視点から見ていく必要があるという。
川端が日本回帰だと誤解されたのも無理がない。
ノーベル文学賞は「雪国」「千羽鶴」「古都」の、日本の美意識の伝統をひく作品群に与えられたとされ、川端自身もストックホルムでの授賞式に伝統的な羽織袴姿で出席し、スピーチは「美しい日本の私」だった。
これらが日本回帰の川端像を強く印象づけたことは間違いない。
しかし、昭和の初期の川端は、横光利一と並ぶ「新感覚派」の旗手だった。
「死者の書」「水晶幻想」「禽獣」、あるいはシナリオ「狂った一頁」などの作品で、モダニズムの形式破壊、奔放な言語実験、「意識の流れ」などの技法を用い、多彩な作品をてがけた。
さらに注意してみれば実験的な手法は晩年にまで及び、「みずうみ」「眠れる美女」「片腕」などにはシュールレアリスム風の情景が登場する。
「これは矛盾でもなんでもないんです」と川端氏はいう。
「世界文学で見ればロシアやラテンアメリカではよくあり、前衛的な要素と伝統的・古典的あるいは土俗的な要素は常に共存し、交錯している。新しい形式で古き心を蘇らせている」と。
古賀は初期の竹久夢二風の絵から、キュービスム、表現主義、パウル・クレー風、シュールレアリスムヘとめまぐるしく作風を変えながら創作を続けていた。
川端も西欧の新しい芸術に影響され、次々とモダンな作品を発表していた。
自らを「新奇を愛好し、奇術師と呼ばれる光栄すら持つ」と述べた川端は、古賀の前衛的な芸術に自分と似通ったものを感じたのである。
川端秀子夫人の回想によると、展覧会に足繁く足を運んでいた川端は二科展で古賀の絵に魅了され、自分の方から古賀にあいさつしたらしい。
川端夫妻は上野桜木町、古賀夫妻は近くの駒込動坂町に住み、ともに子供がなく、犬好きだった。
川端夫妻はコリー、グレーハウンド、柴犬などを、古賀夫妻はブルドッグを飼っていた。
郊外の農場まで一緒に犬を見にいくなど家族ぐるみで交際を続けた。
…中略。
川端は「古賀春江と私」にこう書いている。
「『煙火』は一番後で見せられた。古賀としても『煙火』は残したかったのだろうが、その一点を除いておくことは出来ぬ人だった。古賀夫人はなお惜しいようだった。私がためらっていると、私の家内が『煙火』をえらんだ。
(中略)
川端は古賀の絵のなかではクレー風の絵を最も愛し「『煙火』は古賀一代の名作であろう」と述べている。
古賀は絵に詩を付けた。その中から「煙火」の一節を紹介しよう。
境界もない真っ黒い夜の空間に
パツと咲く花火
昔の如く静かに
物語の王者の如く高貴に華々しく 煙火は万物を蘇らせる
明治以来、文学と美術は数知れず交流してきた。
夏目漱石とターナー、白樺派と印象派、野間宏とブリューゲル、福永武彦とゴーギャン、小川国夫とゴッホ……。
川端と古賀の交流は、昭和初期の前衛的な文学と美術の交流を示すものとして重要である。
大正末期、文壇では川端、横光利一、今東光、中河与一、「片岡鉄兵らが「文藝時代」を創刊。
画壇でも古賀、神原泰、中川紀元、横山潤之助、吉田謙吉らが前衛洋画団体「アクション」を結成した。
「文藝時代」と「アクション」の仲間は交流し川端の初期の「感情装飾」「伊豆の踊子」「浅草紅団」の装丁は築地小劇場の舞台装置で有名な吉田謙吉がてがけた。
川端と古賀はこうした昭和初期の「疾風怒濤の時代」「前衛芸術の時代」を駆け抜けた同志だったのである。
文・浦田憲治
文中黒字化と*は私
首相、2次補正の先送り示唆
菅直人首相は16日、東日本大震災の復興策を盛り込む2011年度第2次補正予算案の編成を8月以降に先送りする考えを示唆した。
6月22日までの国会会期を延長せず、夏以降の臨時国会に補正予算案を出す意向とみられる。
復興支援に向け早急な2次補正が求められるだけに、野党は「露骨な政権の延命策」と反発している。
野党「露骨な延命策」
菅政権は当初、補正予算や震災関連法案などの成立のため会期延長を検討していた。だが、2次補正の編成作業も復興構想会議の6月末の1次提言待ちのため、国会を会期通りに閉会する方向に傾いている。
首相も16日の衆院予算委で2次補正について「被災地の自治体、県などが7月、8月に再建復興計画を出す。地元の意見を踏まえながら考える必要がある。拙速は気をつけなければいけない」と強調した。
これには別の理由もある。首相に近いベテラン議員は最近、首相や枝野幸男宣房長官、岡田克也幹事長に「絶対延長してはいけない」と進言した。枝野、岡田両氏も「当然だ」。首相周辺は「会期延長しないことで、政治の混乱の芽を摘み取つておこうということだ」と解説する。
首相にすれば、会期延長は野党に批判の場を増やすことになりかねない。中部電力浜岡原子力発電所の停止要請などで上向いた支持率が再び低下する前に、野党提出の内閣不信任案を淡々と否決して国会を閉じ、政権運営のリスクも減らそうというわけだ。
ただ、16日の衆院予算委では、こうした政権の姿勢に野党は強く反発した。自民党の塩崎恭久元宣房長官は「政権維持のために国会を閉じるかのような話が伝わってくるが、被災地に失礼な話だ」と批判。公明党の遠山清彦氏も「会期を延長しても2次補正を断固成立させるべきだ。震災復興は非常事態だ」と語気を強めた。
もっとも政権も野党の強い反発を押し切って、簡単に国会を閉じられない事情もある。赤字国債を発行するための特例公債法の成立には野党の協力が必要だからだ。野党が協力の条件に挙げる子ども手当法案の見直しが会期内で間に合うのかという問題に加え、福島原発事故に伴う賠償スキームの関連法案をどの時点で国会提出するかという判断にもかかわる。
民主党内にも早期閉会論が先走るのを懸念する声がある。党国対幹部は16日、「賠償スキームの法案がないと被災者への仮払いができない」と指摘。閣僚の一人も賠償関連法案の審議を念頭に周囲に「会期を少し延長しても良い」と漏らしており、会期延長は必要との考えを示した。
*私たちは、一体、何時まで、この鵺(ぬえ)のような者たち、人の意見を何のプライドも、哲学もなく、パクリ続け、結果、当然ながら場当たりな罰あたりを、見さされるのか。
それは一体、何故なのか、どうして、この男の延命策の数々を、黙って見ていなければならないんだ。
担ぎあげた最たる者である、記者クラブの重鎮、大新聞の重鎮として、鎮座しているらしい御仁に私は問いたい。
一体、いつから日本人は、そんなに卑しい人種になったと貴方は考えるのか。
あなたが立脚している卑しい人種は、国民の2割に過ぎないと私は断じるが。
巷の悪党どもに苛まされ、この延命一筋男の卑しい顔を見さされ続けて、腹も立てない国民は、確かに、心ある外国人から見れば、奇異に映って当然だろう。
人口の8割を占める、心正しい人、心やさしい人たちの徳が、仁が、たった2割にかき消される国は、貧しい国か、独裁国家にしか有り得ないのではないか。
私たちの国は、それほどに知的に貧しい国だったのか、と、私は、言論で飯を食って来た人たちに問いたい。
今朝の朝日は、2号機、3号機もメルトダウンについて、2面と3面全部を使っての記事である。つまり、大特集記事な訳です。
私は、週刊朝日、アエラ、ニューズ・ウィーク日本語版、を定期購読し、新聞下段広告や地下鉄中吊り広告で、うむ、と思った時には、その他の週刊誌を買って帰宅する。
これらの週刊誌では、とうに書かれていた事だった。
既に国内外で風評被害が起きていると言う時に、これらの記事を紹介するのもなぁ、という思いがあって…特に、海外に対して…殆ど紹介しないで来た。
各週刊誌が書いて来たこと、特に、週刊朝日が、ちょっと前に書いた、フリーライターに依る突撃取材は、正しかった訳だと、今更ながら実感している。
ならば、新聞やテレビの報道とは一体何なのか。
表題の記事は以下の通り。
文中黒字化と*は私。
斑目委員長「破裂の可能性、助言」
菅首相「認識しながら視察」
中川正春氏(民主)
「福島原発事故は、当初の想定より事態は悪かった。どういう対応をするのか」
首相
「水が漏れるなど問題は生じているが、原子炉そのものを冷やして最終的に冷温停止の状態に持っていく努力はやり続けている。半年から9ヵ月後に冷温停止になる状況は、なんとか時間的な展望は変えないで進めることができるのではないか」
1号機のメルトダウンが判明しても、首相は1ヵ月前に発表した工程表の日程を維持する姿勢を変えなかった。
東京電力の清水正孝社長も「工程をしっかり守っていきたい。2、3号機も工程通りに達成したい」と首相答弁に足並みをそろえた。
「6~9ヵ月後」と工程表が示した事故の収束時期を変えれば、避難住民が帰宅する時期や賠償スキームにも影響してくる。
政権の今後と国会日程まで考えれば、動かせない事情もある。
*政権の今後のために、事実や真実が明らかにされない国に、私たちは生きているのか!
そして彼らに同調して来たマスコミが流す情報をうのみにする国民が作る世論に支配される国に。
審議では「なぜ日程を維持できるのか」に質問が集中した。
阿部知子氏(社民)
「工程表はただの紙ではない。極めて曖昧な 甘い予測でいくら作文しても誰も安心できない」
笠井亮氏(共産)
「願望だけで言われるのは無責任だ」
東電の清水社長
「1号機の冠水措置は見直さないといけない。その際は滞留した水を再利用する循環注水方式を採用し、現在の工程を守っていきたい」
首相
「従来の『水棺』という形はあまり適切ではない。空冷的な形で漏れた水をもう一回戻していく形をしっかり採れば、時間的にはあまり延ばさないでやれる」
首相は清水社長の答弁を支持した。
技術的な事故対応は東電に任せるしかない、というのが政府の立場だ。
質問者は「政府は東電に丸投げしている」「希望的観測にすぎない」と納得しなかった。
*当初は、東電を悪者扱いしていたことは全国民がテレビで見ていた通り。東電からの情報が遅いだとか、なんだとか言って。週刊誌は、現首相が、東電幹部をどなり散らしていた事を伝えていた。
原子力安全委員会の班目春樹委員長「格納容器の圧が高くなっているので破裂する可能性があることは認識しており、視察前に首相へ助言していた」
西村康稔氏(自民)
「それでも視察したのか。認識を聞きたい」
首相
「破壊の恐れがあるからこそ、(圧力を下げるための)ベントをやれと言った。もちろん認識は持っていた」
*破裂の恐れがある所に、いそいそとテレビカメラに自分を撮影させて行くような国のトップが何処にいるか!
5番街やウォールストリートに、銀座4丁目にサッカー場を作る馬鹿な国、市はないのと同じレベルの話である。
この様な嘘がまかり通る、まかり通す国だから、昨夜、私は眠る前に書いたのだ。
巷に巣くう、これ以上ない位醜悪な悪党どもが、更に嘘をつく、それを聞く者がいる。
国民の2割とはそういうものなのだ。
悪党は言うに及ばず、聞く者、或いは、いそいそと、悪党に加担する者は、悪党以上の悪党なのだろう。と。
言わばイスラム的な刑に、嘘をつく者の口=舌は、悪人たちの死後に、閻魔大王がそうするのを待つだけだは仕方がない、即刻切り落とす。
そうでなければ、この世は、まともにはならん。
嘘をつき倒すような悪党どもが、国のカネをかすめ取るとはナンタルチアではないか。*
審議では、なお不明な点が多い事故直後の政府の初動への追及も続いた。
首相は事故調査に向けた委員会を設置して原因究明に努める考えを示す。
これに対して野党は 「政府からの独立性は保てるのか」と疑問を投げかける。
*当然の事だろう。悪人が自分で弁明をする、そんな阿呆な漫画が何処に在る!
それを聞くのが日本国民の20%で、この人たちが善男善女の顔をして、動かしているのが、この国だとしたら、
このど阿呆が、俺が納めて来た税金の、1割でも良いから返して寄越しやがれ!
ましてや、悪党どもに結託されて、掠め取られているとしたら尚更じゃないか。