メルマガ、「文明のターンテーブル」、第二章、「21世紀の戦争と平和」、6月14日号(9:00発行)発行しました。
第二章の、重要なテーマの一つが、完了したことも意味している、文章です。
勿論、読者諸兄のどなたも、かつて、目にすることも有り得なかった、紛うかたなき、Gifted、の文章です。
どうぞご購読下さい。
平成23年5月29日(日)朝日新聞 18面
十代、こんな本に出会った バイオリニスト 宮本 笑里
「はてしない物語」がんばる主人公に自分重ねた
中1の夏、オーボエ奏者だった父・宮本文昭の仕事の都合で、わが家はドイツに渡りました。私は英語ができないのにインターナショナルスクールに入学して、なかなか周囲になじめなかった。
見かねた音楽の先生が、7歳のころから習っていたバイオリンを「みんなの前で弾いてみたら?」つて。イタリアの作曲家ビターリの「シャコンヌ」を演奏すると、みんなが笑顔になって拍手してくれた。バイオリンを通して人とつながる幸せを感じたのはこの時です。
とはいえ、ふだんは英語での授業についていくのに必死で、バイオリンの練習はしたりしなかったり。ある日、ついに父の堪忍袋の緒が切れました。「本気で練習する気持ちがないならやめなさい!」バイオリンを手放すー。みんなの笑顔を見た後で、その選択は考えられませんでした。かといって、学業もおろそかにできません。
「勉強とバイオリンを両立させよう」。それからの私は友達の誘いも断り、学校から帰ると辞書を片手に5時間勉強、そしてバイオリンです。すると、真夜中であろうと突然、部屋のドアがバーン!と開いて、「今のところ、もう一度!」と父が現れる。おかけで毎晩、ベッドに入るのは午前3時ごろでした。そんな慌ただしい毎日の中で、自分への「ごほうび」だったのが、読書です。『はてしない物語』 (M・エンデ作、上田真而子・佐藤真理子訳、岩波少年文庫ほか)は、「1日4ページまで」と決めて、がんばる主人公の姿に自分を重ねながら、じっくりストーリーを味わいました。
『ぼくらの七日間戦争』(宗田理著、角川文庫ほか)で始まる『ぼくらの』シリーズは、クラスメートだちと遊べなかった分、冒険気分を思いっきり楽しみました。
深夜の特訓は、帰国して私が音大の付属高に入ると自然消滅したのですが、自分を追い込むクセがついたのか、気がつけは1日に16時間練習していた、という時期も。努力の成果はすぐに出ないけれど、必ず未来の力になる。それを教えてくれたのが父であり、今も私を練習へと駆り立てる原動力になっています。
(聞き手・安里麻理子)
朝日新聞平成23年5月29日(日)16面
熊田千佳慕の理科系美術絵本
花の国・虫の国 熊田千佳慕〈著〉
熊田千佳慕の絵には音がない。千佳慕の虫には影がない。千佳慕のスケッチには色がない。少なくとも私たちが知るような風の声や光の明暗や澄んだ空の青さは、そこにはない。それでも私たちは千佳慕の花と虫の国に吸い込まれる。その静けさ、影のない地面、色のない世界に引き入れられる。なぜだろうか。
生物学者ユクスキュルはかつてこういった。生物たちはそれぞれ独自の知覚と行動で自分の世界観を作り出している。だからそれを環境ではなく、環世界と呼ぼう。
虫たちの眼には光を集めるレンズがない。像を結ぶ網膜もない。しかし彼らは確かに光の動きを捉え、世界を感じている。千佳慕の絵がすばらしいのはこの紛れもない事実をいま一度、私に気づかせてくれるからだ。
虫たちは、私たちとは全く異なった視線で見つめ合い、私たちが知らない音を聴き、それでいてこの世界の豊かさを存分に楽しんでいるのだ。それを千佳慕の絵は教えてくれる。
でもなぜそんなことが千佳慕に可能だったのだろう。草むらにはいつくばって小さな虫たちを何時間も見つめる。何度も描きなおす。何日も描き続ける。虫を愛するあまり、虫の中に入り込み、虫になりきってしまった。千佳慕には虫が見ている環世界が見えたのだ。それはきっと孤高で、それでいてすがすがしい気分だったろう。
虫の世界は、不思議なことに古来、革命家に愛されている。ファーブルを初めて訳したのは大杉栄だった。本書でも、ローザールクセンブルグの手紙の一節が引用されている。そのあとに千佳慕の言葉が続く。
自然は 美しいから 美しいのではなく 愛するからこそ 美しいのです。
(評・福岡 伸一 青山学院大学教授・生物学)
十代、こんな本に出会った バイオリニスト 宮本 笑里
「はてしない物語」がんばる主人公に自分重ねた
中1の夏、オーボエ奏者だった父・宮本文昭の仕事の都合で、わが家はドイツに渡りました。私は英語ができないのにインターナショナルスクールに入学して、なかなか周囲になじめなかった。
見かねた音楽の先生が、7歳のころから習っていたバイオリンを「みんなの前で弾いてみたら?」つて。イタリアの作曲家ビターリの「シャコンヌ」を演奏すると、みんなが笑顔になって拍手してくれた。バイオリンを通して人とつながる幸せを感じたのはこの時です。
とはいえ、ふだんは英語での授業についていくのに必死で、バイオリンの練習はしたりしなかったり。ある日、ついに父の堪忍袋の緒が切れました。「本気で練習する気持ちがないならやめなさい!」バイオリンを手放すー。みんなの笑顔を見た後で、その選択は考えられませんでした。かといって、学業もおろそかにできません。
「勉強とバイオリンを両立させよう」。それからの私は友達の誘いも断り、学校から帰ると辞書を片手に5時間勉強、そしてバイオリンです。すると、真夜中であろうと突然、部屋のドアがバーン!と開いて、「今のところ、もう一度!」と父が現れる。おかけで毎晩、ベッドに入るのは午前3時ごろでした。そんな慌ただしい毎日の中で、自分への「ごほうび」だったのが、読書です。『はてしない物語』 (M・エンデ作、上田真而子・佐藤真理子訳、岩波少年文庫ほか)は、「1日4ページまで」と決めて、がんばる主人公の姿に自分を重ねながら、じっくりストーリーを味わいました。
『ぼくらの七日間戦争』(宗田理著、角川文庫ほか)で始まる『ぼくらの』シリーズは、クラスメートだちと遊べなかった分、冒険気分を思いっきり楽しみました。
深夜の特訓は、帰国して私が音大の付属高に入ると自然消滅したのですが、自分を追い込むクセがついたのか、気がつけは1日に16時間練習していた、という時期も。努力の成果はすぐに出ないけれど、必ず未来の力になる。それを教えてくれたのが父であり、今も私を練習へと駆り立てる原動力になっています。
(聞き手・安里麻理子)
朝日新聞平成23年5月29日(日)16面
熊田千佳慕の理科系美術絵本
花の国・虫の国 熊田千佳慕〈著〉
熊田千佳慕の絵には音がない。千佳慕の虫には影がない。千佳慕のスケッチには色がない。少なくとも私たちが知るような風の声や光の明暗や澄んだ空の青さは、そこにはない。それでも私たちは千佳慕の花と虫の国に吸い込まれる。その静けさ、影のない地面、色のない世界に引き入れられる。なぜだろうか。
生物学者ユクスキュルはかつてこういった。生物たちはそれぞれ独自の知覚と行動で自分の世界観を作り出している。だからそれを環境ではなく、環世界と呼ぼう。
虫たちの眼には光を集めるレンズがない。像を結ぶ網膜もない。しかし彼らは確かに光の動きを捉え、世界を感じている。千佳慕の絵がすばらしいのはこの紛れもない事実をいま一度、私に気づかせてくれるからだ。
虫たちは、私たちとは全く異なった視線で見つめ合い、私たちが知らない音を聴き、それでいてこの世界の豊かさを存分に楽しんでいるのだ。それを千佳慕の絵は教えてくれる。
でもなぜそんなことが千佳慕に可能だったのだろう。草むらにはいつくばって小さな虫たちを何時間も見つめる。何度も描きなおす。何日も描き続ける。虫を愛するあまり、虫の中に入り込み、虫になりきってしまった。千佳慕には虫が見ている環世界が見えたのだ。それはきっと孤高で、それでいてすがすがしい気分だったろう。
虫の世界は、不思議なことに古来、革命家に愛されている。ファーブルを初めて訳したのは大杉栄だった。本書でも、ローザールクセンブルグの手紙の一節が引用されている。そのあとに千佳慕の言葉が続く。
自然は 美しいから 美しいのではなく 愛するからこそ 美しいのです。
(評・福岡 伸一 青山学院大学教授・生物学)
せんごくよ、おおもりよ、あらもとよ、大阪に来る事が有るときは、寄ってくれ。
おもいもよらぬ戦いだが、負ける気はない。簡単でないことも、長い戦いに成る事も知っている。
さいくん、大阪に来られて時間のある時には、立ち寄って下さい。本社の在る場所、梅田で戦っています。
勿論、心だけのエールで十分な、或いは、それが一番な人間である事は、俺の人生が示す通り。
こんな事に遭遇しなけりゃ、宣言した通り、後、40年弱は生きれた体を授かっていたのだが。
でも、それを実現するために、今度は頑張る。…それでも与えられていた寿命は全うしたと。
それにしても、諸君とは違い、俺はストレスだらけの人生を選択して来たはずなのに、といわれそうだが。
今回、依りにも依って、最後の仕事で遭遇した悪が、醜悪過ぎて、悪過ぎて、ショボ過ぎて、
流石の俺の心も蝕まれた。その瞬間に細胞変異が起きたのだろう。
諸君はお分かりの様に、偉人の敵は、醜悪な、ワル、悪人なのだ。古今東西。
今日、会社としては、当然のことながら。
私に万一の事が在った場合に備えて、全ての事について、対策を終えた。
弊社専務をバックアップするために、この間から縁あって親しくさせて頂いていた京大卒の弁護士さんに、万一の時の御協力を頂くこと。
くりきんとんさんは、実は、日本大国立大医学部教授の秘書を長年していた方だから、その経験を生かして、先ずは、私の完全バックアップ。
もし、私に万一、ありせば、弊社専務を、その蓄積、研鑽した事務的能力を遺憾なく発揮して頂いて、弊社専務を完全バックアップして頂くことと成った。