右翼思想のエートスを知る

2017-09-02 12:34:02 | 歴史系

 

 

 

 

 

片山杜秀の対談(実質は大日本帝国憲法についてのフリートークw)を転載したので、鈴木邦夫との対談である「考・安保法制」も掲載してみた。

 

読者の中には、これが二つ前の集団的自衛権についての篠田英朗と池田信夫の対談とつなげて考える人もいるだろうし、それは別に間違ってはいないのだが・・・ちょっと動画を見てもらえればわかる通り、まあこれが題名と関係ない話に脱線するわするわ(鈴木は、大きく言えば「安保法制云々を語る前に、そもそもあなたは何者なのか?」という問いを半分意図的に振っている感じがするけど、それに少し困惑しながらも滔々と答える片山の語り口のコラボレーションが非常におもしろい)www

 

じゃあなぜそのような対談を掲載したのかというと、ここで語られていることが高踏的でもなく嘲笑的でもなく埋没的でもない、まさしく「この世界の片隅に」がその時代に生きた人々を描くようなかたちで、右翼のエートスを適切に説明したものだと感じたからだ。

 

鈴木も言うように、右翼思想というのは「難しい」というか「面倒くさい」印象を私も持っている。というのは、そもそも右翼が主意主義を旨とし理性や言語より直感的なものを信ずるからだろうが(まさにDon't think!Feel...の世界)、どうも明晰にその思想的バックボーンや論理構成を述べている本が少なく、かつそうすることを重視してないように感じているからだ(その意味で言えば、片山が師とした橋川文三の「ナショナリズム」「昭和維新試論」は、常に藪の中を手探りで進んでいるような曖昧模糊とした感じを読んでいる時に感ぜられるが、それは著者の記述力がないということでは全くなく、むしろ右翼のあり方ないし理想とする姿をも丁寧に写し取ろうとしたという意味で労作と評価できるのではないかと思う)。

 

このような理解が妥当なら、鈴木のいう右翼の「頭の悪い」という自虐を含んだ突き放しはそういう実態に基づいていると言えようし、またゆえにこそ、その様態を明晰に説明する思考力と説明力を持っている片山の語りが貴重であるとともに、なぜそんなあなたが右翼思想に興味を持ったの?という鈴木の絶妙な(?)突っ込みにもつながると見ていいだろう(いわゆるアカデミズムの側からすると、右翼のようなあり方は研究しにくかったり、嘲笑の対象になったりしやすいものだが、それを嘲笑でも埋没でもなく、明晰に朗々と語れる片山の知識量と説明能力は驚嘆に値する)。もちろん、賢明なる読者諸兄はここで学生運動の表出(=戦略性の欠落)連合赤軍(まああれを左翼の主流などと言われたら当時の人にとっては噴飯ものだろうが)を思い出し、右翼だけの問題ではなかろうと考える人もいてそこにはもちろん妥当性もあるが、この論点はいずれ別の機会に書くことにしたい。

 

 

【余談】

ちなみに私は、徹底的に言語化・論理化を経た先に、そこから零れ落ちるものが感得されるのであって、はじめから言語・理論化の営為を軽視するのは愚かであるというスタンスを取っている。これについて、戦前を代表しかつ方向性の全く異なる思想家である丸山真男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の四人あたりで説明すると、自己の要素を10分割すれば丸山が5西田が3~4平泉が1~2、簑田が0といったところか(ただ、ここに「宗教と「世間」の相対化→『みんな』がそう思うから正しいという意識が低い」という要素も入ってくるが)。今回の動画では文学作品が与えた影響についても書かれているが、それで言うなら丸山真男+吉村昭的要素がわかりやすい一つの柱となっているように思われる(余談の余談として、吉村昭の著作の「羆嵐」が触れられているが、このブログでも以前三毛別羆事件について言及し、現地に行ったこともある)。

この他にも、前回中途半端に終わった戦争に突入した世相の話を続けようかと思ったが、すでにかなり長文になったので別の機会としたい。

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