この世界の片隅に:喪失、絆、偶然性

2016-12-20 12:13:57 | 本関係

前回の記事では、「この世界の片隅に」という作品が、再現度の極めて高いリアルな風景・生々しい人物同士のやり取りによって、受け手が戦中および戦後まもなくの世界を追想・追体験することのできるものとなっていること、そしてそれがこの作品のテーマ・方向性と密接に連動している点が非常にすばらしいと述べた。

以上のような特長を踏まえ、今回は私が本作を見て戦争を体験した身近な人たちについて何を思ったか(あるいはそこから得てきた知識がこの作品理解にどのような影響を与えたか)について書いていきたいと思う。

 

 

1.「喪失」の問題

未読・未見の方もいるだろうから詳しくは述べないが、本編における「喪失」の描写を見て私は亡き父方の祖父を思い出した。彼はラバウルにいた時、爆弾の金属片が足に刺さり、片足が不自由になった(ウジが湧いたりと大変だったそうだ)。その後は傷痍軍人手当をもらいながら生活していたが、戦争に行く前は熊本の宇土高校を卒業して国鉄に入っていたというから、当時としては将来を嘱望された地元のエリートであったのだろう。彼は小学生の私に渡辺崋山の伝記を読むよう勧めるなど、国に忠義を尽くしたいという思いが強い人のようだったが、先のような事情でそれが叶わないという現実(どころか、働くこともできず周りに迷惑をかける国家・一族の「お荷物」と自分を卑下していた可能性も高いこと)が屈折と陰影を生み出していたのだと、作中で描かれる「喪失」やそれに伴う葛藤の描写を見て改めて感じた次第である(ちなみに祖父は、元々酒が強いこともあったが、家に行くと昼間から焼酎を飲んでいるのが常だった。また介護をしてもらう立場となった時に祖母を虐げる暴君となってしまった理由の一つは、「俺の人生はこんなはずじゃなかった」というこれまで抑圧してきた感情の噴出が介護される側=「権力者」になったことでコントロールできなくなったためかもしれない)。今となっては詮無き話だが、もしこのような視点を大学生の頃までに私が持てていたら、祖父との関係性も変わっていたかもしれない。繰り返される爆撃のシーンと悲劇、そして「喪失」の描写を見てそんなことを思った次第である。

ただ、ここで念のため付け足しておきたいのは、本作において描かれる 「喪失」は、一方で新しい絆(言い換えれば「再生」)に繋がって終わっていることである(だからこそ、終戦後の「それでも生活は続いていく」・「とにかく生きていかなくちゃいけない」という描写に強い説得力だけでなく、希望と感動を覚えるのではないか)。ただ単に悲劇を描いて反戦へと繋げようとする凡百の作品とは大きく違う点を強調しておきたい。

 

2.「偶然性」の問題

「喪失」するものもあれば、もちろん残るものもある。しかしそれは、必然的結果では必ずしもなく、本当にちょっとしたことで運命が分かれることがある(これは我が故郷で起こった熊本大震災のような天災の時にも感じられることである。様々な地域の写真を見ていくと、ある家は全く無傷なのに、隣家はちょうど地層がずれた上に位置していたため全壊してしまったなどということが見られる。ちなみにそのような見通しがたさ=人知の及ばなさゆえに、疫病や天災等に際しては「神の罰」がしばしば取りざたされるのだろう)。言い換えればそれは「偶然性」なのだが、自分の身近な人間に置き換えて言えば、母方の祖父が思い出される。前にも書いたことがあるが、下宿していた長崎を原爆投下の直前に離れ、その後整備兵として青森の大湊へいた時は、機銃陣地で爆撃に対応していて搭乗予定の飛行機(機種は忘れた)にたまたま乗れず、他の方が急きょ乗ったその飛行機は結局行方不明となったそうだ。そのため、終戦で熊本に戻った後、実家に死亡通知まで届いたのを祖父本人が受け取るという何とも珍妙な出来事が起こったらしい(なお、従軍者の死亡通知については、一ノ瀬俊也「皇軍兵士の日常生活」を参照。なお、生死の境をさまよったり九死に一生を得るような話は、門田隆将「太平洋戦争 最後の証言」などを読んでもらうといいだろう)。このように、いわば偶然で二度命拾いしたことは祖父と会話する度に出てくる話なので、彼の人生を強く規定していることは疑いないが、ともあれこのような話を聞いているがゆえに、本編で度々描かれる「あの時たまたまそこにいたorいなかった→死んだor生き残った」という話が、白木などとの奇妙な「縁」も含め、私にとっては全て腑に落ちるものであった(だから、人の死が日常化しすぎてその死を悼むより不在を喜んでしまうというような描写に関しても、その心持ちが納得できた)。

 

3.嫁いだ先での苦労 

主人公のすずの人柄を見ていると、私の母方の祖母を思い出す。よく言えば朗らか、あれな言い方をすると天然な人(笑)だが、当時は大きな商店だった祖父の家に嫁いで、しかも癖の強い祖父の兄弟が家に10人近くおり、さらには防空壕へ避難していた時に肋膜を病んで以来身体がそんなに強くないことも重なり、私の母親の目から見ても相当な苦労をしていたらしい。しかしながら、祖母はそのことを辛そうに語ることもないし、90歳近くとなった今でもすずのような人柄が変わることなく親類から慕われている。

以上のような認識の上に本作を見ていたので、知らないことを様々覚えねばならない苦労、順風とはいかない人間関係の描写がおそらく祖母の経験したであろうことと重ね合わされ、とても身近なものに思われた(なお、その中ですずに表れる兆候については、無邪気な表層だけ見ることの愚かしさを思わせたが、「萌え≒愛玩動物」的な話とともにそれはまた別の機会に述べたい)。

 

 

以上、私が主に印象に残った部分を3つ書いた。ちなみにこのような印象を残す作品だから、ぜひ母方の祖父母に見てほしいとすぐに実家の両親と連絡を取った(ちなみに父方の祖母は今老人ホームに入っていて、また上映している映画館も遠方のため視聴が厳しい。ただ、結局映画は祖父が風邪を引いていたため両親だけで新市街へ見に行ったそうだが)。また実家に遊びにきていた叔父さんにも両親がこの話をして、叔父さんもすでに映画を見に行って非常に良かったと言っているそうである。何を言いたいかと言うと、作品そのものについて語りたいのももちろんだが、それ以上にこれを通じて色々な人と生きてきた体験を会話・共有したり、祖父母自身や彼らが生きていた時代の事をもっと知りたいという衝動にかられる、そんな人と人を繋げる作品でもあるということである(思えば、私が日本人の「無宗教」について考える中で昔の宗教や祭りについて祖父母と話した時、二人の顔のどれだけ華やいでいたことか)。

 

今回は、身近な戦争体験者から聞いた話ゆえにより生き生きと感じられたこの作品の魅力、またこの作品を通じて伝聞でしかなかったものがいっそう身近なものに感じられたこと、そしてそのような体験とこれを他者と共有したいという希求が、この作品を急速に広めた一つの要因であろうと指摘しつつ、稿を終えたい。

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2 コメント

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Unknown (pokosuke)
2016-12-21 02:14:51
俺はネットの評判から映画見て(平日昼の回、しかも街の小さな電気館で6割くらい埋まっていた)、原作読んだんだけど、内容もさることながらマジで「のん」のすずさんの演技が最高すぎるんだよ。すずさんが”そこにいる”んだよね・・・
ほんと作ってくれてありがとうという感じしかないです。

余談だけど、ウチの父方の祖父は自分が生まれる前に亡くなった上に体力的に戦争に行けなかったり(佐世保鎮守府で給食作ってたらしい)、母方の方も自分が小さい頃に亡くなってるんでそういう話を聞いたこと無いから羨ましくも思ったり。

片淵監督のインタビュー色々あるけど、この辺がオススメです(映画見た後に読んでみそらしど
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/230078/120600064/
Unknown (カラヤン伯)
2016-12-23 01:01:00
「のん」の演技について、心の底から同意するわ。作中一度たりとも、誰かが演じているという感覚を全く覚えなかったからね。それは周作を始めとする回りの人間も同じ(ちなみに入湯上陸した時の水原だけいかにも演技という感じがするのだが、その意味については別にまた書きたい)。

しかもこの作品の場合は広島弁が主体になっているのは無論のこと、広島と呉の微妙なイントネーションの違いまで再現しつつなので(これはただの受け売りw)、相当な作り込みの果ての完璧なまでの自然体なのが驚くべきことだね。

インタビューはss22をこれから聞こうと思っているのでその後にでも見るよ。ちなみに「この世界の」とは違うけど、同作者の「夕凪の街、桜の国」もぜひ読んでほしい。時代は違うけど、「まさしくそこに生きている人たちがいた」という共通の視点で書かれており、多分感銘を受けると思う。とりあえず俺は完全に打ちのめされ、なんでこんな一日中考えずにいられんような作品をこのクソ忙しい時期に読んでしまったのかと後悔もしたw

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