大日本帝国憲法のくびき

2017-09-01 12:45:16 | 歴史系

 

前回は日本国憲法の話だったので、今回は大日本帝国憲法の動画を転載してみた。 昨日の記事で橋川文三、簑田胸喜(原理日本社) らに触れたわけだが、戦前の右翼思想という(彼ら自身の主意主義的姿勢と今日的なバイアスのため)整理の難しい分野をその限界も含めわかりやすく説明してくれるという点で、片山杜秀の右に出る者はいないと思っている。

 

私たちはしばしば戦前を肯定or否定という二項対立で考えがちだが、言うまでもなくその構造を明晰に知ることなしには、その肯定はただの信仰で、その否定はただの逃避(忌避)でしかない。ガンをただ恐れたところでその病魔から逃れられることができないのと同様に、論理性や誤謬を理解してこそ対策をすることも初めて可能になるのである。その出発点として、彼の説明ほど最適なものはないだろう。

 

ちなみに、私がここで明治憲法のシステム的問題点(それがいかに敗戦をもたらしたか)に関して動画を紹介したのは日本国憲法との絡みだけではない。意外に思われる読者もいるのかもしれないが、間もなくDVDが発売される「この世界の片隅に」で描かれる日常、そしてそれが私たちにもたらす我が事としての痛み(あるいはその世代の人たちとのつながり)は、まさに片山が朗々と説明してくれるようなその時代への誠実な理解と完全にリンクするものだと思うからである(これについては、古谷経衡の発言が参考になるだろう。ちなみに論理的トレースとそれに伴う必然性および解決の困難さを知るという意味では、いわゆる合成の誤謬を描いた「ダーウィンの悪夢」もぜひ見ていただきたい。さらに言えば、我が事として知るという意味で、動画の中で言っている「誰か特定の悪い人間が大衆を騙して戦争に持ち込んだのが太平洋戦争ではない」という点は、いくら強調してもしすぎることはないだろう。それは特高警察などはあったとしても、反対の声を上げなかった時点で賛成したも同然だ、などという厳しい要求ではなく、太平洋戦争に到る要因の一つとなった満州事変に関し、穏便に済ませようとする政府に対して軍を支持して噴き上がったのは紛れもなく民衆自身だからである。マスメディアの報道は、それを燃料として俗情と結託した結果、拡大主義を肯定したにすぎない。私は自らの祖父母やその前の世代を人殺しや犯罪者として断罪する気には全くならないが、一方で彼らを単純な被害者としてみなすのも不適切であると考える)。

 

実はこのことに関して、私は白木リンを話題の中心にして農村風景とその変容、二・二六事件、高橋是清とリフレ政策、農本主義などの記事を書こうと思っていたが、「光明に芽ぐむ日」「春駒日記」を読んでいるうちに書く機会を逸してしまっていた。これを奇貨として近いうちにまとめたいと思っている(なお、ある程度共通知となりつつあると思うが、たとえば世界恐慌でアメリカはニューディール政策を取ったものの景気は回復せず、景気が上向いたのは戦争景気によってである。また「持たざる国」は世界恐慌の後でどんどん経済的に没落していったイメージがあるかもしれないが、日本は高橋是清の政策が功を奏していち早く不況を脱している)。

 

というわけで今回はこの辺で。

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