間違いだらけの日本無宗教論 幕間劇

2018-06-30 12:51:25 | 宗教分析

オセロー=O、マクベス=M  

 

O
ポプテピピックを見てたらさあ、俄然フランスに興味湧いてきたんだけど。

 

M
ああ、「JAPON MiGNON」ね。

 

O
そうそう。それでフランスのこと考えたら、移民問題やストの頻発と併せて、公共空間での宗教的振る舞いを忌避する意見が一般的だ、って話題が取り上げられるじゃん?

 

M
最近減ったような気もするけど、スカーフ問題みたいな?

 

O
それな。あれって昔からそうなん?

 

M
んなわけねーだろwたとえば中世だと十字軍を提唱したクレルモン公会議は1095年にフランスで開かれたし、それから150年くらい後のアルビジョワ十字軍をフランス国王が先導し、南フランスのキリスト教異端であるカタリ派が殲滅された。また聖職者課税問題で1302年には聖職者も含めた三部会をフランス国王が開いて、そこからアナーニ事件→教皇のバビロン捕囚→シスマへというふうに展開した。近世になると、カトリックVSカルヴァン派のユグノー戦争が1562年から30年以上続いたが、これは一般市民が勝手にやってたものではなく、大貴族同士が派閥に分かれて潰し合った戦いで、そこには跡目争いも絡んでる点では、フランス版応仁の乱て言うとわかりやすいかもな。

 

O
カトリック側はギーズ公アンリ、カルヴァン派はナヴァル公アンリあたりが中心人物だっけね。

 

M
せやな。まあそれを山名宗全、細川勝元って置き換えてもいいが、ともあれそこには宗派対立ってのがあって、国家を挙げて大々的に戦争やってましたよと。ついでに言っておくと、カトリックにはスペインがついてたから、単なる国内紛争ではなかったがね。で、この戦いで生き残ったナヴァル公アンリは死ぬ直前のアンリ3世の指名もあってパリに入場しようとするが、市民たちによる反対で入場が果たせない状況のため、カルヴァン派からカトリックに改宗して、ようやくパリに入場できた。

 

O
そんで、ナントの王令を出して民衆にはユグノーの信仰を認めるに至る、と。

 

M
こういったいくつかの事例を見るだけでも、400年前のフランスにおける宗教というのは極めて大きな位置を占めていて、それは公共空間でも同じであったとわかる。ゆえに、さっき出てきたような今日のフランス人たちのエートスが万古不変などというのは妄想以外の何物でもないという結論になる。まあ「作られた伝統」ってのはえてしてそんなもんだけど、要は今日的状況を無責任に過去に投影しただけって話やな。

 

O
それじゃあ、どうやって生まれてきたんだってばよ。

 

M
端的に言うと、近代以降の政教分離というシステム・発想が定着してからだよ。まあ1789年のフランス革命ではヤヌスやマルスといった神の名前を用いた旧暦を廃して、宗教に関係ないブリュメールやテルミドールといった名前を採用するようになった、と言えばわかりやすいかな。両方ともクーデターがらみでよく言及される月の名前だけど。

 

O
宗教絡みと言えば英語のWednesdayはあれでウェンズデイって発音するのを謎に思ってたけど、精霊のウィンディーネ由来だからだっけ・・・

 

M
まあそういう感じや。それがアンシャンレジームの一環として、理性崇拝の名の元に否定されたわけやな。そういった割と新しい起源ですよって話で、ゆえにeternalなものでは全くない。

 

O
ほう、さよか。それじゃあ日本の場合ってよく神仏習合が話題に上がるじゃん?それは歴史性という点でどうなんだい?

 

M
八百万の神とか多神教とか表現されて、その包摂性が強調されることが多いけど、それが万古不易かって言われると大いに疑問だねえ。

 

O
なんで?だって神仏習合はずっと前からなんじゃないの?

 

M
一つには、仏教導入の際に軋轢があったこと。仏教公伝は552年とされてるけど、物部氏と蘇我氏の間で対立があったわけじゃん。「すでに神道が存在しているからイラね」派の御輿&守屋タンと、「いや仏教は大陸で人気なんだから入れるしかないっしょ!」派の稲目&馬子タンがバトったわけで、最終的には蘇我っちが勝利して仏教は導入されたわけだ。まず、導入に際してケンカが起こってんだから特別包摂的でもなくて別に普通じゃね?と思う。まあさっきのフランスの事例と同じで、ここにも政争の要素は絡んでたわけだけど。

 

O
でも、そっからどんどんシンクロ率を上げてくわけだから、包摂的とは言っていいんじゃね?

 

M
じゃあそもそも「神仏習合」ってのは何でしょうか?

 

O
神と仏が同居してることじゃん?

 

M
ザックリ過ぎやが間違ってない。「同居」ってのを寺と神社が一緒になってたり、神が仏の化身と考えられていること、といった風に説明するならね。さて、前者を神宮寺といい、後者を本地垂迹説というが、その成立はいつ頃でしょうか?

 

O
そこまで詳しいことは知らねえなあ。

 

M
神宮寺は奈良時代前期。ちなみにこの頃には神前で経巻を読む法会が行われたりするようになっていた。

 

O
奈良時代って710年の平城京遷都以降だっけ?

 

M
せやな。んで、本地垂迹説の成立ってのは平安時代中期で、つまり10世紀頃のこと。たとえば天照大神のために仏僧が護摩をたく、とかそういうこともやってたから、両者の関係性・位置づけが問題であり続けたわけやな。

 

O
まあ鎮護国家としての仏教だからそういう場面も出てくるわな。それじゃあ、奈良時代に混ぜ混ぜ状態だった神道と仏教が、平安時代になってその関係性が理論化されたってこと?

 

M
Richtig!ついでに言うと、平安時代前期には、僧の姿をした八幡神の彫刻が作られるようになったりしてるから、いきなり理論が出来上がったわけじゃなく、どんどん混淆が進んでった結果と見るのが正しいわな。

 

O
神の姿をした仏僧の像ってさすがにまぜ過ぎやろ・・・

 

M
って思うじゃん?だからまあ日本って神仏習合当たり前っすよね~と思いがちなんだけど、よく考えてほしいのが、仏教伝来から本地垂迹説成立まで一体何年かかっとんのかって話よ。

 

O
えーと、552年に伝わって10世紀に成立だから400年くらい?

 

M
その通り。今から400年前つったら1618年なんですが、その頃の日本ってどんな状況かね?

 

O
江戸時代が始まって間もない頃だな。

 

M
hOI!じゃあ北アメリカは?

 

O
アメリカ合衆国なんて影も形もねーわな。ヴァージニア植民地とかがようやく定着し始めた頃か。

 

M
YEAH!イメージ湧きやすいように補足しとくと、合衆国の建国まではそこから150年以上の時間を要するぜ。それじゃあヨーロッパは?

 

O
フランスはさっきのユグノー戦争が終わって間もない頃やろ。で、ドイツでは三十年戦争が始まったばかりで、これが終わると西欧は主権国家体制の確立に向っていく。そこに関わらなかった我らがイングランドは、ステュアート朝が始まって間もない頃だ。

 

M
だな。我らがウィリアムが世を去って2年というタイミングでもある。ついでに言うと、産業革命の開始は大よそ150年後くらいだ。まあ何が言いたいかというと、
(1)神仏習合には両者の軋轢を含め400年にわたる長い道のりがある
(2)ゆえに始めからシンクレティズムが約束されていてそれがずっと続いたかのように考えるのは、今日の状況を結論に逆算してるだけなんじゃない?
って話やな。

 

O
でもさあ、平安時代に本地垂迹説が成立した後は、神仏習合で来てるわけでしょ?1000年継続してるなら、もうそれは日本に特徴的な性質と言っていいんじゃないの?

 

M
なるほどもっともな突っ込みだね。まず、ちょっと誤解を招きそうなんで言っておくと、俺が注意を喚起したいのは、神仏習合=万古不変の性質として思考停止してしまうことや。そういう静的なものとしてではなく、ダイナミズムにもっと目を向けるべきなんじゃねーか?という話。たとえば、さっき本地垂迹説に触れたけど、これ時代が下ると神道が上、仏教が下って考え方も出てくるわけ。あと、戦国時代にキリスト教に帰依した人たちが寺とか破壊したのも有名な話。また特に目を引く例として、明治維新の際に神仏分離令が出されたやん?

 

O
はいはい。上の連中は王政復古とともに神道中心で組み立てたかったから、神道と仏教を分けることにした、てやつね。

 

M
ざっくりそんなところだ。で、この神仏分離令の結果なんだけど、興味深いのは、必ずしも強制されたわけじゃないのに、一般民衆がそのお触れを受けて廃仏に邁進したことなんだよね。で、仏教側の働き掛けもあり、むしろ政府が慌ててそれを止めるようお触れを出さざるを得なかった。さてここで質問です。もし神仏習合というのが日本の、あるいは日本人の改変不能な性質であるとしたら、どうしてこのような行為が広範囲に行われたのか?

 

O
江戸時代から続いた檀家制度による仏教側の横暴に対する反発と、合わせて新政府に取り入ろうって魂胆があった可能性は?

 

M
地域によってばらつきはあるだろうけど、その要素はもちろんあると思うよ。廃仏の動きがなべて「純粋な宗教心に由来する」とか言うつもりはないし、むしろそういう発想はあまりにナイーブってやつだ。しかし俺が強調したいのは、お前さんの推測も含め、神仏習合ないしシンクレティズムってのは、常に成立する特徴ではなく、「状況が揃えば覆される程度のものに過ぎない」ってことを表してるんじゃないの?ということ。

 

O
もうちょっと具体的に説明してたもんせ。

 

M
たとえば、ローマ帝国は4世紀にはキリスト教徒が大半になりました。それはローマ帝国が一神教的要素を始めから持っていたからである。〇か×か。

 

O
そりゃ×でしょ。ユピテルとかマルスとかどこいったのって話や。非キリスト教徒たちも、キリスト教徒をローマの伝統的な祭りに参加しねー変な奴らってことで白眼視してたようだしね。

 

M
そう、つまり「ローマ帝国とその臣民には一神教に相応しいメンタリティがあった」とかそういうことじゃなく、単に状況が変化したって話ね。では次にフィリピン。南部を除けばカトリックが支配的なのは東南アジアで珍しいことなんだけど、それはフィリピンが元々特異な信仰を持っていたがためである。〇か×か。

 

O
「特異」ってのが何を意味するかによるけど。

 


M
じゃあわかりやすく、「一神教的要素が強い」ってことにしとこうか。

 

O
ならば×だね。

 

M
せやろ?つまり宗教的メンタリティゆえのカトリック帰依ではない。

 

O
それは理解したけど、それじゃあ何でカトリックが多いわけ?

 

M
二つある。

(1)スペインに征服された
(2)イエズス会が典型的だが、プロテスタントに押され気味だったカトリックがヨーロッパ以外への布教に熱心だった

ピンと来ないならアメリカ大陸を参考にするといい。イギリスでの迫害から逃れた人たちが作ったアメリカ合衆国を除けば、まあこれカトリック天国なわけだけど、それって別にアメリカ大陸の人たちがカトリックに好都合な宗教的基盤を持っていたとかそういうのではなく、熱心なカトリック国のスペイン(ブラジルはポルトガルだけど)がガッツリ植民地化し、フィリピンと同じように布教していったからだわな。しかもご存知のように現地人たちは酷使もあって急激に人口を減らし、そこに本国からばんばん人がやってきたり、さらに現地生まれの白人であるクリオーリョ、あるいは混血のメスティーソがカトリックを信仰するようになっていく。だから、別に中南米のネイティブのメンタリティとカトリックの広がりを必然的なものとして結び付けることはできないのさ。ちなみに征服と布教という問題は他の地域にもあって、アフリカ分割とリヴィングストン&スタンリーとかその典型だわな。まあだから、日本も植民地化されてたらどうなってたかわからんと俺は思うね。これはまた別の機会に掘り下げたいけど。

 

O
んー、一応わかったけどさあ、それじゃあ疑問なのは他の東南アジアの国はどうなのって話や。たとえばインドネシアは同じキリスト教のオランダが植民地化してたけど、別にインドネシアでキリスト教は支配的じゃないじゃん。それはなぜゆえ?

 

M
プロテスタントはカトリックと違って布教にそこまで熱心じゃなかったからね。植民地化された場所ってのはマーケットとしては最大限活用されたけど、布教用の場所ではなかったのさ。

 

O
えー、なんかそんな違うって印象ねえなあ。

 

M
日本が鎖国に向かう時、ポルトガルやスペインは締め出されたのに、イギリスやオランダは歓迎され、特にオランダは鎖国後もずっと交易を続けていました。なぜでしょうか?

 

O
目障りな布教活動をしないから・・・か!?

 

M
その通り。そして前二者はカトリックで、後二者はプロテスタントなんだな。

 

O
なるほど、だからフィリピンを征服したカトリックのスペインは熱心な布教をした結果フィリピンがキリスト教化し、反対にインドネシアは布教に熱心ではないプロテスタントのオランダに征服されたために既存のイスラーム信仰が残った、ってわけだな。

 

M
ディモールトエクセラ!

 

O
誰なんだよ・・・

 

M
話を戻すと、今まで見てきた日本や世界の事例からすると、日本の神仏習合というのは神道勢力と仏教勢力が利害を調整し合って、お互いの関係を理論化したものである。そして我々はその中に生き続けてきたからシンクレティズムが当たり前になった、って考える方が合理的じゃないかね。ゆえに神仏習合が万古不変でないのは言うまでもなく、明治維新の時のように状況が変われば弾圧もするし、興味も無くすってそれだけの話じゃん。

 

O
うーん、日本人の宗教に言及しようとする時、なんで精神面に偏っちゃうんだろうね?

 

M
現代の俺たちって観点で言うと、宗教の側にいなければ、政教分離が割と当たり前になっているからメンタリティの問題に帰属して納得してしまいがち。そして宗教の側としては、自分たちの教義が人を感化できるほど優れているからと説明した方が好都合。というわけで、植民地化とか政治的計算とかは、意識的・無意識的な共犯関係のもとに隠蔽されてしまう、とこんなところじゃないかな。これは日本とキリスト教を考える上でも重要だと思うけどね。あ、あと五島の世界遺産登録おめでとうございます。

 

O
唐突やなwww 

 

M
まあそれはともかくwこれまで見てきたように、ふと永続的なもののように感じてしまう性質も、よくよく検証してみると偶然性からそうなっただけであったり、合理的な理由で途中から付け加わったり途中で消えたりというのはいくらでもある。

 

O
それの最たるものは、こないだ話題に挙げた「日本人=時間にうるさい」だよな。そんなもん、明治以降に人を工場で大量に働かせる必要があって時間管理するようになってから徐々に定着してきたものでしかない。

 

M
うむ。そのことを考えると「~人とは…な性質を持っている」といった定義は、個人差を無視しているという瑕疵は言うまでもなく、我々を安易な運命論者へと堕落させる思考停止の罠となりかねないわけだな。

 

O
ピピ美ちゃん・・・マクベスみあるぅ~カワ(・∀・)イイ!!

 

M
やろ~( ̄∀ ̄)

 

O
いや、よく考えたらクソむかつく・・・!!!お前なんて野心を持ってるのに自信がないもんだから、「お告げ」とか「運命」にかこつけてしか凶行どころか自分の生き死にさえも決められん男やん。そのお前が運命論者を批判するとかヘソで茶が湧くわ。

 

M
ピピペロ(゚∀゚)まあ俺の性質はともかくとして、さっき言ったような日本人=シンクレティズムというレッテル貼りで宗教のダイナミズムが等閑視されるのは勿体ないことではある。前の記事で戦後間もなくでも自身を仏教徒と認識していた人が多かったという調査を転載させてもらったけど、今回触れたように仏教の役割は最初は鎮護国家であって、政府との結びつきが主で民衆に広がっていくのにはやはり時間がかかったのさ。そしてそれは、ただ時の流れに身を任せていたわけじゃなく、宗教的天才の登場が大きな契機となったのだ。

 

O
ほう、そいつの名前は何てんだい?

 

M
最澄っ天台!!

 

O
ひえー(+o+)

 

M
って何言わせとんねん・・・

 

O
お前もノリノリだったやんけw

 

M
お後がよろしいようで・・・

 

O
じゃあ今回の対話篇はこれでしまいや。アテブレイビー、オブリガード。

 

M
いきなりポルトガル語を話し始めるムーア人とはウゴゴゴゴ…

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« チョコレート・テロ | トップ | さよならの向こう側 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宗教分析」カテゴリの最新記事