トルコ東部の思い出:ドゥバヤズィット・アダナ・アンタクヤ

2018-12-11 11:12:24 | トルコ旅行

昨日の記事でトルコ旅行について触れたのと、「きのう」を変換したら「帰納」が出るくらい頭があっち側にいってるので、ちょっと箸休め的に他のトルコ旅行の写真でも掲載してみたい(ちなみに前回の記事でトルコの写真を持ち出したのは文化の結節点という意味合いがある)。ただまあそのまま写真載せてもおもしろみがないので、最近マイブームの加工したヤツである。

 

 

 

これらはドゥバヤズィットというアルメニア・アゼルバイジャン・イランの国教近くにある町で撮ったもの。より具体的にはクルド人の王宮イサク・パシャ宮殿で、1日ツアーとして行った場所である。東部トルコにありがちな山肌がゴツゴツした景観の中で、質実・壮健な宮殿の佇まいは非常に印象的なものであった。まあ一つだけ文句を言うと、破損部分を覆ったオレンジ色のシートが眺めの妨げになっていたのだがw

 

 

一見すると海だが、実は先ほどの町の南にあるワン湖。当初の計画としてトルコの東端まで行き(飛行機は東部のエルズルムまでしか飛ばないので、そこからバス)、徐々にイスタンブールに戻っていくというものだったが、最初の移動がドゥバヤズィットからアダナまでの移動で確か半日ほどバスに乗っており、ワシも若かったんじゃのうとトオイメをしてみる(ただ、かなり移動でぐったりすることは予測していたので、アダナは2泊するなど大分余裕をもって行動していた・・・はず)。ちなみに変な棒がみたいなのが上に写ってるが、これはバスの室内灯であるw

 

 

 

 

で、こちらがアダナのランドマーク、メルケズ・ジャーミー。静謐なセイハン川のほとりに優雅に佇む姿が印象的だった。アダナの人口は130万でトルコ第4の都市なのだが、全くゴミゴミしていることもなく、むしろ驚くほどに整然としてことが印象に残っている。行動範囲だけがたまたまそう見えたのか、それとも近代工業都市として整然とした区画をもっているからなのかまでは不明。

 

 

こちらはアダナにほど近いアンタクヤの洞窟協会。ローマ帝国に迫害されていた頃作られたものらしく、洞窟の奥には抜け道まで存在する。なお、アンタクヤの旧名はアンティオキヤで、シルクロード(オアシスルート)の終点としてセレウコス朝シリアの首都となったり、キリスト教五本山の一角となるなどでその名を知られたが、残念なことに目をひくような遺跡は今日ほぼ残っておらず、博物館で多数展示されているローマ時代のモザイクだけが遥かな歴史をうかがわせる遺物となっている。

 

 

これはアダナに戻ってユラン・カレ。ビザンツ帝国時代の城塞であるが、なぜここに作った?と思ってしまうくらい周りには何もない(まあそれは現在の話で、歴史的には、第二代正統カリフのウマルにシリアが奪われた後は、この周辺が最前線になることがしばしばあり、その意味では重要な地点なのだが)。日本にはないドラクエのフィールドを思わせるような荒野と川・草原が広がり、瞬間的にファンタジーの世界にでも来たような心持ちになるw

 

というわけで、結構な分量となってので残りはまた機を改めることにしたい。


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