鬼隠し編の覚書もこれでようやく最後。ここでは、他の話(綿編や祟編)と関連する、あるいはその可能性がある部分で大事なものをピックアップする。
(戦闘力の問題)
◎綿流しの晩…大丈夫。あの状態のレナなら大人でもかなうまい
◎バット素振り⇒息上がる⇒「普段の運動不足に呆れる」
(ミスリードとしての部活)
◎推理ゲーム「毒物でじわりじわりがいいのです」
→綿流しの注射器(鬼編の注射器も関連)
※ともに部活と関連。部活の発言を読み込ませるミスリード
(法則性、ルール)
◎よりにもよって綿流しの当日
「前原さんにはどういう意味があるのかわかりますよね?」(大石)
◎昔話の矛盾の指摘(=二人とも食べられたら話が伝わらない)⇒綿編や罪編の科学的解明へ
◎「獲物の人を助けたり、かくまったりしてはいけないんだそうです。鬼の狩りを邪魔しない限り、村人には危害を加えない。そういうルールなんだそうです。」
⇒綿編を見たとき、圭一を助けようとした梨花が消されたのに繋がる。
※沙都子の冷遇との類似⇒村八分という一般性
◎「変な話を吹き込んだ富竹さんや大石さんは祟りにあって*されるべきなんだ。みんなは悪くない。…悪いのは好奇心を抑えられなかった俺の方。みんなは悪くない。みんなは悪くない。」⇒ゆれる心、友情と狂気、カタストロフ
※鬼編と綿編で友情がさらなる悲劇を生んだことについてはすでに述べた(⇔罪・皆・祭編)。祟殺し編もまた、鉄平の殺害も沙都子の誰の救いにもならなかったという点でさらなる悲劇を生んだと言っていいだろう(圭一の後ろめたさを生んだだけだ)。
◎茨城でのレナの暴走
⇒過去は離婚のショック(振り回す母親)、現在は間宮リナの話(ダメな父親)
⇒大人は一体何をやっているんだ?と感じさせる
◎「信頼に足る人間、いざという時に頼れる人間がまったくいないのだ。ひとりでも味方がいれば、この絶望的な状況でどれほど心強いことか」
追いつめられてはいるが、運命共同体とも言うべき詩音がいるため綿編では暴走しない(詩音がニセモノとわかった時にはレナが理解者になっている)。
◎「雛身沢という土地が用意したシナリオを俺が破ったため、俺を騙すために配置されている配役が配置に間に合わなかった…そんな印象を感じずにはいられなかった」⇒「舞台」の意識
◎オヤシロさまは「守り神」というより監視者=この地を外界から隔離しようとする
◎人の死ってのは検死とかを経て、しっかりと調べられるはずだ。…理屈ではそう思っている。…だが本当にそうなのか?警察を巧みに欺く…狡猾な仕掛けがあるのではないか?これは現場監督の死について疑問を持った圭一のモノローグ
⇒綿編鷹野の死亡時間に繋がる。なお、記憶の限り原作ではここまで詳しい説明はないので、綿編との繋がりを強調するため新たに追加したのだと推測される。
◎羽入は何で症候群の人間の後を追跡するのか?
→逆効果だと知っているはず。悪い方向に行かせたいのか?このことについてはすでに「羽入は事件の解決を望まない?」で指摘した。
◎確かに言えることは、魅音に限って犯人ということはないということだ(圭一)
→これは原作にはなかった気がする。綿編の最後を想起せよ。また、「良い人と思いたい」というレッテル貼りとして参考になる。
◎レナにバットで殴られる想像
「俺みたいな塾三昧のガリ勉を助けて得をすることなんかないもんな…」(新規)
(圭一の孤立意識⇒仲間を求める)
◎レナが圭一に悟史の話をわざわざするする必然性が感じられない(単なる説明?)
※圭一の知らない情報が混じっているので単純に彼の妄想とは片付けられない。しかし、目編のレナと詩音の会話はまさに悟史、沙都子、北条家の話の場面で出てくるため必然性があるが、疑心暗鬼になっている鬼編の圭一にわざわざ悟史の話をする必然性はないように思える。なぜレナは悟史の話をしたのだろうか?
◎圭一と悟史の類似性
鬼編の圭一⇒事件後の悟史、祟編の圭一⇒事件直前の悟史 、綿編=通常の悟史?(村八分)
圭一と悟史を重ね合わせる必要性は何だろうか?
1.魅音が好きになる必然性を作りあげる(詩音→悟史:双子で同じ人を)
2.ともに症候群というアナロジー
というのは考え付くが、今ひとつ理解が深奥に達していない気がする。
◎引っ越してきたばかりの中学生に何かできるはずもない⇒必然的な破滅
ひぐらしは必然的な破滅を積み重ねてきた。しかしそれゆえに、団結の必然性や救いの大切さがわかる。もっとも、最後の方は「救いのための救い」もちらほら見受けられて興ざめしたわけだがwまあこの点は、叔母殺しという罪を背負った悟史が未だに症候群から復帰できていないことなどを描写して筋は通そうという作者の意思は見受けられるので、一方的に批判すべきものではないだろう。
さて、ようやく祟編に突入か。これ年内に終わるのかしらん…
(戦闘力の問題)
◎綿流しの晩…大丈夫。あの状態のレナなら大人でもかなうまい
◎バット素振り⇒息上がる⇒「普段の運動不足に呆れる」
(ミスリードとしての部活)
◎推理ゲーム「毒物でじわりじわりがいいのです」
→綿流しの注射器(鬼編の注射器も関連)
※ともに部活と関連。部活の発言を読み込ませるミスリード
(法則性、ルール)
◎よりにもよって綿流しの当日
「前原さんにはどういう意味があるのかわかりますよね?」(大石)
◎昔話の矛盾の指摘(=二人とも食べられたら話が伝わらない)⇒綿編や罪編の科学的解明へ
◎「獲物の人を助けたり、かくまったりしてはいけないんだそうです。鬼の狩りを邪魔しない限り、村人には危害を加えない。そういうルールなんだそうです。」
⇒綿編を見たとき、圭一を助けようとした梨花が消されたのに繋がる。
※沙都子の冷遇との類似⇒村八分という一般性
◎「変な話を吹き込んだ富竹さんや大石さんは祟りにあって*されるべきなんだ。みんなは悪くない。…悪いのは好奇心を抑えられなかった俺の方。みんなは悪くない。みんなは悪くない。」⇒ゆれる心、友情と狂気、カタストロフ
※鬼編と綿編で友情がさらなる悲劇を生んだことについてはすでに述べた(⇔罪・皆・祭編)。祟殺し編もまた、鉄平の殺害も沙都子の誰の救いにもならなかったという点でさらなる悲劇を生んだと言っていいだろう(圭一の後ろめたさを生んだだけだ)。
◎茨城でのレナの暴走
⇒過去は離婚のショック(振り回す母親)、現在は間宮リナの話(ダメな父親)
⇒大人は一体何をやっているんだ?と感じさせる
◎「信頼に足る人間、いざという時に頼れる人間がまったくいないのだ。ひとりでも味方がいれば、この絶望的な状況でどれほど心強いことか」
追いつめられてはいるが、運命共同体とも言うべき詩音がいるため綿編では暴走しない(詩音がニセモノとわかった時にはレナが理解者になっている)。
◎「雛身沢という土地が用意したシナリオを俺が破ったため、俺を騙すために配置されている配役が配置に間に合わなかった…そんな印象を感じずにはいられなかった」⇒「舞台」の意識
◎オヤシロさまは「守り神」というより監視者=この地を外界から隔離しようとする
◎人の死ってのは検死とかを経て、しっかりと調べられるはずだ。…理屈ではそう思っている。…だが本当にそうなのか?警察を巧みに欺く…狡猾な仕掛けがあるのではないか?これは現場監督の死について疑問を持った圭一のモノローグ
⇒綿編鷹野の死亡時間に繋がる。なお、記憶の限り原作ではここまで詳しい説明はないので、綿編との繋がりを強調するため新たに追加したのだと推測される。
◎羽入は何で症候群の人間の後を追跡するのか?
→逆効果だと知っているはず。悪い方向に行かせたいのか?このことについてはすでに「羽入は事件の解決を望まない?」で指摘した。
◎確かに言えることは、魅音に限って犯人ということはないということだ(圭一)
→これは原作にはなかった気がする。綿編の最後を想起せよ。また、「良い人と思いたい」というレッテル貼りとして参考になる。
◎レナにバットで殴られる想像
「俺みたいな塾三昧のガリ勉を助けて得をすることなんかないもんな…」(新規)
(圭一の孤立意識⇒仲間を求める)
◎レナが圭一に悟史の話をわざわざするする必然性が感じられない(単なる説明?)
※圭一の知らない情報が混じっているので単純に彼の妄想とは片付けられない。しかし、目編のレナと詩音の会話はまさに悟史、沙都子、北条家の話の場面で出てくるため必然性があるが、疑心暗鬼になっている鬼編の圭一にわざわざ悟史の話をする必然性はないように思える。なぜレナは悟史の話をしたのだろうか?
◎圭一と悟史の類似性
鬼編の圭一⇒事件後の悟史、祟編の圭一⇒事件直前の悟史 、綿編=通常の悟史?(村八分)
圭一と悟史を重ね合わせる必要性は何だろうか?
1.魅音が好きになる必然性を作りあげる(詩音→悟史:双子で同じ人を)
2.ともに症候群というアナロジー
というのは考え付くが、今ひとつ理解が深奥に達していない気がする。
◎引っ越してきたばかりの中学生に何かできるはずもない⇒必然的な破滅
ひぐらしは必然的な破滅を積み重ねてきた。しかしそれゆえに、団結の必然性や救いの大切さがわかる。もっとも、最後の方は「救いのための救い」もちらほら見受けられて興ざめしたわけだがwまあこの点は、叔母殺しという罪を背負った悟史が未だに症候群から復帰できていないことなどを描写して筋は通そうという作者の意思は見受けられるので、一方的に批判すべきものではないだろう。
さて、ようやく祟編に突入か。これ年内に終わるのかしらん…
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