南都周遊記 二日目:飛鳥寺・ガンダーラ美術・ナショナリズム

2024-04-11 16:43:23 | 畿内・近畿旅行

 

 

高松塚古墳を見終わった後、日本最古の寺院である飛鳥寺を訪れる。

 

 

 

 

何度も建て替えたものらしく建物自体はむしろ新しい印象を受けるが、立て札などを見ると、アピールへの並々ならぬ熱意が感じ取れる。

 

 

 

 

ともあれ室内に入ると、

 

 

 

飛鳥大仏とご対面。

 

管理者の方が小粋なトークであれこれ由来を説明してくれるのを聞きながら、日本最古級の仏像を見学。焼失などで相当補修の手が入ってはいるのだが、鼻の高い造りなどは確かに異国情緒を感じさせる。

 

そもそも、最古の仏像であるガンダーラ美術は、ヘレニズム文化が東漸して生まれたものであり、名前の通り「ギリシア風」であることから、目鼻立ちがコーカソイドのものなんだよなあ。で、それが中国・朝鮮半島と伝わり、日本に到ると。

 

もちろん、ガンダーラ美術が後には「純インド式」とも言われるグプタ様式へと変質したように、伝来したものはそのまま現地に残ったわけではなく、その土地風に改変されていったわけだが、飛鳥大仏については、当時日本にまだ仏像が伝わって間もなくで技術がなく、異国の(といっても特に朝鮮半島で関係が深かった百済の)様式がそのまま導入されたのではないか、とか何とか。

 

ちなみにこういう異文化交流についても、様々なナショナリズム的要素が関わってくるのは興味深い。例えば「ヘレニズム」というのは19世紀に歴史家ドロイゼンが提唱したカテゴリーだが(古代ギリシア人は「ヘレネス」と自称しており、ヘレニズムとはつまり「ギリシア風」という意味である)、そこには当時バラバラだった「ドイツ」について、プロイセン王国が中心に統一すべしと提唱した彼の思想が背景にある(ナポレオンの侵攻を受けて「ドイツ国民に告ぐ」を訴えたフィヒテを想起するとわかりやすいが、端的に言えば「ゲルマン的要素を軸にした諸国の連合・連帯」の希求である。なお、当時すでにオーストリアを盟主とするドイツ連邦や、リストの提唱したドイツ関税同盟などが存在していた)。

 

あるいは先のグプタ様式についても、ガンダーラ美術の栄えたクシャーナ朝が北インドに位置するイラン系が建てた王朝で、それへの対抗意識がドラヴィダ系の顔立ちを表象した仏像様式の模索につながった、という事情がある(まあグプタ朝は最初の統一王朝であるマウリヤ朝を範としており、都もパータリプトラで君主の名前もチャンドラグプタと、様々復古的であることを意識した王朝で、その点からも別民族のクシャーナ朝はわかりやすい「他者」・「異物」だったということだろう)。

 

こういう事情を知らずに、やたら「自前のものか否か」みたいなことを気にするのは、むしろ自身の脆弱性を示すことになるので、むしろその由来を知りつつ、そのモザイク的来歴を愉しむにしくはなし、と思う次第だ(まあ正確に言うと、そういう自覚なく神経症的に固執するのがヤバいって話なんだが)。

 

まあ「セム語族」だの「ハム語族」だのといった呼称が聖書から取ったもので、後にはナチスという集団が、印欧語族というカテゴリーを「アーリア人種」の正当化に利用していた・・・ということを例に出せば、思い半ばに過ぎるってもんだろう。

 

そもそも「自由意思」なんて言ってるけど、幼い頃から教わってきた様々な素養の上にそれは成立している訳で、一体どこまで「自由」でどこまで「オリジナル」なのかって話だしね(・∀・)

 

 

 

 

とか思っているうちに講話が終わったんで、仏像をまったりと見学。木造の素朴さと、台座の豪奢さのコントラストがすごいw

 

 

 

 

蔵王堂や龍王院でもそうだったけど、剛健な仏像や建築の中にこういうのを見つけると妙にほっこりしますなw

 

 

 

 

どこかの樹と一体化した仏像を想起させる。こちらもやはり鼻が高く、つり目なのが特徴的だ。

 

というわけで、中は一通り見終わったので、外を色々見学してみることにしまふ。


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