法隆寺から移動して法起寺へ。
しかしこれ周辺にほとんど何もねえな・・・
中はこんな感じ。見てわかる通り、再建されたり、それなりに整備も行われているんだけど、それが一部のみであることで一種異様な雰囲気を醸し出している(自分の頭の中では「荒城の月」が流れた)。
この法起寺は聖徳太子の死後間もなく建てられ、奈良時代には法隆寺や中宮寺と並び称される存在となった。しかし平安時代、つまり都が京都に移ってからは衰退がはじまり、鎌倉時代に補修が行われることもあったが、室町・江戸では再び荒廃し、最終的には三重塔だけが残る状態となった(そもそも付近の様子から、この辺りが開発されてこなかったことは一目瞭然だろう)。
今でこそ、歴史ある寺としてそれなりの外観が整えられたが、中に入ればこの有り様というのは、そのままこの寺の由来と実態のギャップを表しているようで興味深い。
といわけで法起寺の見学を終了し、次の目的地へ。
しかし…本当何もねーな( ̄▽ ̄;)
いや風景としては好きなんだけど、何でこんなロケーションに寺をバキバキ建てたのか不思議になる。
とか思いつつ、法輪寺へ。
こちらも飛鳥時代に建設された極めて古い寺なのだが、その由来すらよくわかっていないという状況。先の話にもリンクするが、この地域が一時の隆盛の後、急速に衰退したことを伺わせる。
中へ入ろうと思ったが、この後の予定も考えるとあまり見学時間がないので、入口だけ撮影して次の場所へと急ぐことにした。
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