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峰なゆか『AV女優ちゃん』:実態のポップな描写と構造的問題への気づき

2021-01-27 17:11:11 | 本関係

峰なゆかと言えばこのブログでも『アラサーちゃん』『セクシー女優ちゃん ギリギリモザイク』などを紹介してきたが、そんな著者が12月に発売したのが『AV女優ちゃん』である。

 

彼女はインタビューで『セクシー女優ちゃん』が(男性誌へ掲載したがゆえに)男性を傷つけないように書いたのに対し、『AV女優ちゃん』は単純にAV業界のことを書いた、と述べている。

 

その言葉通り『セクシー女優ちゃん』と同じくAV業界の現場で起こるドタバタが生々しく書かれているのに加え、その周辺のイベントで起こる阿鼻叫喚の地獄や、AV業界に入るまでの経緯もきちんと描かれている。

 

ただ、さすがだなと思ったのは、先の『セクシー女優ちゃん』の描き方からも伺えることではあるが、読んでいる人間があまりの生々しさに理解を拒絶しないレベルを意識しながらも、ちゃんと読めばその背景にある共同幻想や搾取構造とその病理がわかるようになっているという、そのバランス感覚はさすがだと感じた(どこまで意識的にそうしているかまではわからないが、たとえば深刻さをやたら強調したり告発調で書いたりした場合、その結果として問題意識を強烈に持っている人にしか内容が届かないのであれば、それは閉じた円環の中で堂々巡りしているだけで、社会に広まっていかないのである。類似の話は、岡崎京子の傑作『秋の日は釣瓶落とし』の書評でも書いている)。

 

少しわかりにくいと思うので、もう少し踏み込んで書いてみる。例えば読者の受容レベルを考えた描写については、以前紹介したこともある中村敦彦の『名前のない女たち』の淡々と突き放すような筆致と比較対照すると非常にわかりやすい。

 

またAV女優になる経緯についての話は、自伝という形でコメディタッチでありながらも、そこに環境要因が相当程度影響していることが読み取れるし、それがAVスカウトの視点ともリンクしていることがわかる(こういった部分はブラック企業の手口ともリンクさせて考えることができるだろう)。こういう気づきについては、例えば鈴木大介が援デリなどを取り上げた際に問題点として提示した、「セーフティネットを広げて包摂しようなどと言っても、そもそも彼女たちが極めてそれらがリーチしにくい状況にある」という趣旨の問題提起を思い出すことにつながるだろう(これは当然、短絡的な自己責任論を抑止することにもつながっていく)。

 

今述べたような描写のポップさと同時に様々な気づきを得るフックを持ち合わせているという「バランス感覚」は、実際に読んでもらった方が伝わりやすいと思うので私からの紹介は以上にとどめたいと思う。

 

最後に、この作品の多層性を示す一場面と思われる「弱い者たちの夕暮れ」のラストについて一言。強者=絶対悪ではないのが当然であるように、弱者=絶対善であるはずもないのだが、人は同情心や庇護欲というバイアスによって勝手にその内面を妄想する(前の記事で述べた、「子供は天使だ」などという勘違いはその典型だろう)。それを読者に突き付けるシーンとして、本書の白眉と言えるのではないだろうか。


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