ホイジンガの言う「まじめさ」とナチスドイツ:ヴィルヘルム=カイテルについて

2020-02-29 11:22:00 | 歴史系

 

ホイジンガが『ホモルーデンス』の中で遊びの機能を人類学的に分析した時、彼がそれの対概念として提唱したのは「まじめさ」であった。一見するとやや唐突に思えるかもしれないこの言葉だが、ナチスドイツが急速に台頭していた1930年代にあっては、非常にプラクティカルな問題意識の中で生み出されたものであると言っていい(彼がナチズムへの協力を拒み続け、オランダの解放を見ることなくナチスドイツ崩壊目前の1945年に亡くなったことはよく知られている通りだ)。

 

とはいえ、「まじめさ」と言ったところでどうも言葉が茫洋とし過ぎていて掴みづらいというのも事実だろう。この事例として「凡庸な悪」とアレントが言ったアイヒマンを取り上げることもできるが、もう一人の象徴的人物としてヴィルヘルム=カイテルを紹介するのは有用だと思われる。

 

ちなみにカイテルとはこの人物

 

 

・・・おっとこっちぢゃなかった(・∀・)

 

 

残されてお説教される4人の一人ですな(カイテル、ヨードル、クレープス、アンポンタン)。

 

まあもっとも、「遊び」と「まじめさ」の領域が截然とは分けられない、すなわちネタにしていたはずがいつの間にかベタになっているという現象を後の「帰ってきたヒトラー」では見事に描いている。その意味では、「遊び」と「まじめさ」を二項対立的に捉え「距離を取ってネタにしてるから別に大丈夫だ」と安穏としていたら、いつの間にか一人取り込まれ二人取り込まれ、いつの間にか「空気」が醸成されていてそれに抗えなくなっている、という微妙さとウイルスのような危険性を意識しなければ、歴史の教訓も我々を助けはしないだろうと述べつつ、この稿を終えることとしたい。


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