北に拉致られる直前に書いたためか、何とも内容の錯綜としている「祭囃し編:冒頭のやり取りについて~人間の動物性~」からおよそ三ヶ月…ようやくひぐらしの祭囃し編を再開した。
再プレイなのですぐに終わらせようと思っていたのだが、そもそもゲームをやらない日が続いたり、うみねこ3rdやEVEをちまちまプレイしたりということに加え、後に控えるのがあの拷問シーンであることもあって、そのまま放置してしまっていた。まあ久しぶりにやってみたら割とすんなり入っていけたので、今のうちにクリアしておきたいものだ。さて、今回は表題の通り「神」の話がメインになるが、それに合わせていくつかの覚書も掲載しておきたい。
○「人の反社会行為の多くは、脳の疾患で説明できる」という入江の持論
入江がプロジェクトに協力したことからすれば当然だが、この論は冒頭の寄生虫談義(前掲過去ログ参照)と繋がる。関連事項を列挙すれば、認知科学、ポストモダン、人間の自由意思に関する論争、近代と精神分析、サプリメント的に感動・興奮を求める姿勢などなど。
○美代子のモノローグより
「これが世界なのか。この世界には私の味方は存在しないのか。…両親が死に、親類がひとりもいないというだけで、これほどまでにも世界は悲しくなるのか」
梨花・沙都子の立場と心境と類似か。ともにPS2版になるが、「罪滅ぼし編における「仲間」:梨花が彼らに執着する必然性」で述べたように梨花にとって「仲間=家族」ということや、澪尽し編覚書3)で述べた鷹野の梨花に対する嫉妬とも繋がるだろう。
○神に関する美代子のモノローグ
(a)
(雷鳴が轟き)私は確信した。…神さまはいる。いてくれて、私の嘆きを聞いてくれるのだ。そして、全ての人は神さまの下、公平であるというルールのはずなのに、その恩恵から漏らしている私の訴えを聞いてくれているのだ。
(b)
天に神さまがいたら、…こんな理不尽な運命など許したりするものか…。私の不幸な今までが、まさにこの世に神さまなど存在しないことの証拠じゃないか。
美代子が神を信仰しているわけではないと断りが入っており、これが(神に対してではなく)世界の不条理に対する怒りであることが暗示されている。こういった怒りなどのある限り、「神の罰」という捉え方は何らかの合理性を持ち続けると思われるが、そのような人間心理を踏まえつつ、赤字の部分を批判的に検討したいと思う(「宗教と思索:今日的思考の原点」)。
美代子は「全ての人は神さまの下、公平であるというルール」と言っているがその根拠は何だろうか?そう考えてみれば、実は(科学的にはもちろんのことだが論理的にも)根拠など全くないことはすぐ気付く。また、「理不尽な運命など許したりするものか」というのにも根拠がない。いったい美代子は何に基づいてそのような発言をしているのだろうか?彼女は、「神=善」として上のような言い方をしているわけだが、それは自明なものでは決してない。「神の可能性」でも述べたことだが、例えば神(あるいは超越者)がいたとしても、私達を暇つぶしの道具としか考えていない、という可能性などが考えられる。これに対し、「太陽を出し雨を降らして私達を生かしていることが神の善性の証拠だ」といった反論もできそうだが、それは百歩譲って「神の御業」、「奇跡」というふうには表現・解釈できるとしても、それをもって神の善性の証明にはならない。というのも、例えば我々を生かすのが神(々)の享楽のためだとするなら、太陽が出るのも雨を降らすのも家畜に餌を与えるのと同じだからだ。さて、我々はいずれ食用にでもする家畜に餌を与える飼い主が「善行」をしていると考えたり、あるいは彼を「善なる者」と見なすだろうか?そのように聞かれれば、同意する人はそれほど多くないと思われる。まあ少なくとも、我々が生かされていることは神(超越者)の善性の証明にはならない、ということである(ゆえに、特定の神を信仰しているわけでもない美代子が、「こんなに不幸なんだから神はいない」という見方をするのは、論理的には奇妙である)。
ちなみに、そのように弄ばれた後は全員地獄行きっていう可能性も想定できたりするわけだが、これにはほぼ100%反感が出ると推測するし、まあ少なくともこういう教義では人も集まらなそうではある(まあ極端にネガティブな考え方でもあるし)。その反感は、逆に宗教にどのようなものが期待されているのかを浮き彫りにするだろう。戒律⇒不条理な世界において生きる指針であり、それを守れば「永遠」の救いが約束される。神の罰=不条理な出来事を納得するための枠組み…といったように。その他現世利益的な部分なども考える必要があるが、まあこのように色々と精神構造とかが見えてきておもしろいわけだ。
しかし一方で、こういう見方をもって美代子の神観念を批判するのはあまりに酷というものだろう。彼女は事故で家族を亡くし、施設では過酷な生活を強いられている。そこには、彼女の意思が介入する余地など皆無に等しかった。その状況を考慮すれば、どこに向けようもない世界の不条理への怒りを、神という存在を仮構しつつあのような形で吐露したのは無理もないことだろう。また、美代子の年齢も念頭に置く必要があるのは言うまでもない(このあたりは、想像力の欠如:「ひぐらし」主人公の評価よりも参照)。
美代子の発言は宗教に対する(一般的な)願望を浮き彫りにしているように思えるが、そこから安易に美代子への批判に短絡しないよう気をつける必要がある。そのように注意していれば、君が望む永遠の鳴海孝之に対する評価などもより深いものになるだろう。
再プレイなのですぐに終わらせようと思っていたのだが、そもそもゲームをやらない日が続いたり、うみねこ3rdやEVEをちまちまプレイしたりということに加え、後に控えるのがあの拷問シーンであることもあって、そのまま放置してしまっていた。まあ久しぶりにやってみたら割とすんなり入っていけたので、今のうちにクリアしておきたいものだ。さて、今回は表題の通り「神」の話がメインになるが、それに合わせていくつかの覚書も掲載しておきたい。
○「人の反社会行為の多くは、脳の疾患で説明できる」という入江の持論
入江がプロジェクトに協力したことからすれば当然だが、この論は冒頭の寄生虫談義(前掲過去ログ参照)と繋がる。関連事項を列挙すれば、認知科学、ポストモダン、人間の自由意思に関する論争、近代と精神分析、サプリメント的に感動・興奮を求める姿勢などなど。
○美代子のモノローグより
「これが世界なのか。この世界には私の味方は存在しないのか。…両親が死に、親類がひとりもいないというだけで、これほどまでにも世界は悲しくなるのか」
梨花・沙都子の立場と心境と類似か。ともにPS2版になるが、「罪滅ぼし編における「仲間」:梨花が彼らに執着する必然性」で述べたように梨花にとって「仲間=家族」ということや、澪尽し編覚書3)で述べた鷹野の梨花に対する嫉妬とも繋がるだろう。
○神に関する美代子のモノローグ
(a)
(雷鳴が轟き)私は確信した。…神さまはいる。いてくれて、私の嘆きを聞いてくれるのだ。そして、全ての人は神さまの下、公平であるというルールのはずなのに、その恩恵から漏らしている私の訴えを聞いてくれているのだ。
(b)
天に神さまがいたら、…こんな理不尽な運命など許したりするものか…。私の不幸な今までが、まさにこの世に神さまなど存在しないことの証拠じゃないか。
美代子が神を信仰しているわけではないと断りが入っており、これが(神に対してではなく)世界の不条理に対する怒りであることが暗示されている。こういった怒りなどのある限り、「神の罰」という捉え方は何らかの合理性を持ち続けると思われるが、そのような人間心理を踏まえつつ、赤字の部分を批判的に検討したいと思う(「宗教と思索:今日的思考の原点」)。
美代子は「全ての人は神さまの下、公平であるというルール」と言っているがその根拠は何だろうか?そう考えてみれば、実は(科学的にはもちろんのことだが論理的にも)根拠など全くないことはすぐ気付く。また、「理不尽な運命など許したりするものか」というのにも根拠がない。いったい美代子は何に基づいてそのような発言をしているのだろうか?彼女は、「神=善」として上のような言い方をしているわけだが、それは自明なものでは決してない。「神の可能性」でも述べたことだが、例えば神(あるいは超越者)がいたとしても、私達を暇つぶしの道具としか考えていない、という可能性などが考えられる。これに対し、「太陽を出し雨を降らして私達を生かしていることが神の善性の証拠だ」といった反論もできそうだが、それは百歩譲って「神の御業」、「奇跡」というふうには表現・解釈できるとしても、それをもって神の善性の証明にはならない。というのも、例えば我々を生かすのが神(々)の享楽のためだとするなら、太陽が出るのも雨を降らすのも家畜に餌を与えるのと同じだからだ。さて、我々はいずれ食用にでもする家畜に餌を与える飼い主が「善行」をしていると考えたり、あるいは彼を「善なる者」と見なすだろうか?そのように聞かれれば、同意する人はそれほど多くないと思われる。まあ少なくとも、我々が生かされていることは神(超越者)の善性の証明にはならない、ということである(ゆえに、特定の神を信仰しているわけでもない美代子が、「こんなに不幸なんだから神はいない」という見方をするのは、論理的には奇妙である)。
ちなみに、そのように弄ばれた後は全員地獄行きっていう可能性も想定できたりするわけだが、これにはほぼ100%反感が出ると推測するし、まあ少なくともこういう教義では人も集まらなそうではある(まあ極端にネガティブな考え方でもあるし)。その反感は、逆に宗教にどのようなものが期待されているのかを浮き彫りにするだろう。戒律⇒不条理な世界において生きる指針であり、それを守れば「永遠」の救いが約束される。神の罰=不条理な出来事を納得するための枠組み…といったように。その他現世利益的な部分なども考える必要があるが、まあこのように色々と精神構造とかが見えてきておもしろいわけだ。
しかし一方で、こういう見方をもって美代子の神観念を批判するのはあまりに酷というものだろう。彼女は事故で家族を亡くし、施設では過酷な生活を強いられている。そこには、彼女の意思が介入する余地など皆無に等しかった。その状況を考慮すれば、どこに向けようもない世界の不条理への怒りを、神という存在を仮構しつつあのような形で吐露したのは無理もないことだろう。また、美代子の年齢も念頭に置く必要があるのは言うまでもない(このあたりは、想像力の欠如:「ひぐらし」主人公の評価よりも参照)。
美代子の発言は宗教に対する(一般的な)願望を浮き彫りにしているように思えるが、そこから安易に美代子への批判に短絡しないよう気をつける必要がある。そのように注意していれば、君が望む永遠の鳴海孝之に対する評価などもより深いものになるだろう。
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