信長は天国に行った!?

2007-12-17 02:14:05 | 宗教分析
はっきりと覚えていないが、おそらく小学5~6年生の頃に
織田信長は天国に行っている
という本(表題ではないが…)を見て、思わず考え込んだことを記憶している(※)。最初は「信長が天国だって?そんな馬鹿な!」という(おそらく一般的な)反応を示したが、その後で色々考えることになった。この出来事は、案外自分に大きな影響を与えているかもしれない。というのも、「なぜ人を殺してはいけないのか?」及び「神は善であるか」という二つの命題を考え始めたのが、おそらくこの時だからだ。


上で述べた感想の次に浮かんだのは、「なぜ『そんな馬鹿な』と思うのか?」という疑問だった。そこには意識されざる何かが存在する。それはつまり「織田信長≠天国」という図式を成立させる前提だが、+のものとして語られる天国に信長が反する存在(=-の存在)だと認識させる何かだろう。では信長のイメージとは何だろうか?たくさん人を殺した、多くの人を憎んだetc...おそらくこういった伝聞情報が、「信長=悪≠天国」という図式を成立させている。しかしよく考えてみると、「人を殺す」というのはそもそも悪なのだろうか?確かに何となく悪いことだとは思うが、それはどんな場合でも変わらないのだろうか?そう考えていった結果、「なぜ人を殺してはならないのか?」という問いかけが生まれた。しかし、これによって信長が天国に行ったことを認め、世間一般で言われる基準の方をもっぱら疑ったりしたわけではない。相変わらず、信長が天国に行くのは理解できないのだ。そうすると、「じゃあ信長が行けるっていう天国・神の基準って何なのよ?」という宗教の側への疑問が生まれてくる。次にそれが「天国や神の基準はそもそも自分たちが妥当と思うようなものなのだろうか?」となり、さらには神は人間の(社会・理性から見た)善の基準に適う存在なのだろうかと考え、最終的には「神=善」という無意識の思い込みが相対化されるきっかけとなった。


「信長が天国に行った」という本との出会いは、以上のような問題を考えるきっかになっただけでなく、ここから社会(人を殺す=悪?)や宗教(神=善?)に対して自然に距離を取るようになったという点で大きなものだったように思えるのである(※2)。



なぜそんなけったいな内容の×を考え込んだのかはいずれ説明する。
ちなみに、自分と同じように「とにかくありえない」と感じるか、あるいは笑って真面目に受け取らないかのいずれかの反応を示す人が大半だろうと推測している。


※2
もっとも、以前書いた小学校5年時の怒りなども深く関係していることを忘れてはならないが。
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