「最大版図」の罠:拡大と衰退の構造

2022-09-19 16:16:53 | 歴史系

 

 

今のロシアの状況を見ていると、「最大版図=最盛期=繁栄が続くはず」というイメージが決して定式化できないものであると再認識される(なお、この場合の最大版図は「ソ連崩壊後のロシア」という意味で書いている)。

 

もちろん、「最大版図」自体は歴史的に振り返ってそこから領土が減るのでそう言語化されるのであり、衰退が続くのは論理的必然だと思われるかもしれないが、事はそう単純ではない。

 

というのも歴史的に見ると、例えば日本だと次のような事例が想起される。

1.鎌倉幕府→「細川重男『鎌倉幕府の滅亡』」
元寇の後で西国武士にも影響力を及ぼすようになったが、むしろそれゆえに幕府=統治機構(ただし得宗専制は確立していた)のキャパオーバーが生じて随所で不満が鬱積し、それが天皇親政というお墨付きを経て具現化する中、戦いが長引いて少しづつ潮目が変わり滅亡に到った。

2.大内家→動画「新説・大寧寺の変~戦国最大のクーデター~」
尼子家との戦いに手痛い敗北を喫する場面はあったものの、北九州(VS少弐氏)などへの領土拡大のために高い官位も獲得し、周辺勢力との戦いも優位に進めつつ明とも貿易を行うなど多角的に成功していたにもかかわらず、大寧寺の変=クーデターで義隆が自害に追い込まれ急速に混乱・滅亡。

3.武田家→動画「武田家滅亡② 武田家最大版図達成~滅亡まで」
長篠の戦いで敗北した武田家がその後で最大版図を現出したが、外交関係で破綻をきたし、味方の裏切りもあってすぐに滅亡へ到った。

4.太平洋戦争下の日本→動画「餓死、病死した日本兵とその記録」
インドネシアなどにまで領土を広げたが、そもそも懸念されていた補給の問題で完全にキャパシティを超えたのと、短期決戦しか想定してなかったので破綻。失点を嫌い参謀本部などの傾向もあって落としどころを見つけられぬまま敗北に向かっていく。

 

海外の事例では、滅亡でこそないものの、

1.前漢の武帝→動画「怪物皇帝 漢 武帝 劉徹」
北方の匈奴を討ち、朝鮮四郡設置、西域(中央アジア)や南越(ヴェトナム)などの進出も果たしたが、長引く外征で国庫は火の車となり、後の王朝運営に爪痕が残った。

2.ムガル帝国のアウラングゼーブ帝
アクバル時代の非ムスリム融和政策を捨て、ラージプートなどの勢力と交戦し領土を拡大。最大版図は築いたものの、その治世の終わりにはすでに破綻の兆しがあり、以後王朝は衰退に向かっていく。

などを挙げることができるだろう(他にもホラズム・シャー朝のアラー・アッディーンや清の乾隆帝など枚挙に暇がないが、ここでは割愛する)。

 

これらから見えるのは、「領土拡大は陣取りゲームではない」という当たり前の話である(当事者でないとそう見えがちだし、当事者の国民でさえそれを国威高揚と我が事のように熱狂して負の側面を理解しなかったりするのだが)。そこには費用がかかり、被害があり、また維持にもコストが必要となる。かつ領土が拡大すればそれだけ多くの勢力と接することで今までなかった緊張関係が生じるケースもある。そのようにして蓄積したダメージが、現行の領土の維持を困難にし、衰退へと向かわせるわけだ(まあこれは店舗の拡大や人手不足などで喩えた方が身近な事例としてわかりやすいかもしれない。「評判が出る→急速に店舗拡大→人手不足や研修不足で品質が維持できない→店舗の相次ぐ閉鎖」というよく見る構造の一つだ)。

 

確かに、今回のロシアによるウクライナ侵攻は、国際世論の非難や経済制裁というファクターが加わるため、今までの事例と同じには扱うことはできない。とはいえ、その反動もまた、ルイ14世の侵略戦争と周辺諸国の封じ込め政策(勢力均衡を目指した団結)と類比してみると、理解しやすいのではないか。

 

ウクライナ侵攻という歴史的事件は、これまで抽象的に理解してこなかった侵略戦争の問題や民族の境界線(cf.ネオ・ユーラシア主義)、独裁的強権を求める国民国内世論のコントロールといった事柄が今日に現出しているという点で極めて重要な分析の対象であり、また同時にここで起きている事象を子細に見ていくことで歴史をよりビビッドに理解する契機にもなるように思われる、と述べつつこの稿を終えたい。


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