「人工地震」という発想の背景とその対策

2024-01-12 16:39:48 | 歴史系
「『能登地震は人工地震』というデマはなぜ生まれる?」というダイアモンドオンラインの記事が興味深かったので、少し掘り下げてみたい。
 
 
この記事では、「人工地震」説を「民間信仰」と表現した上で約100年前の関東大震災に言及しているが、「民間信仰」と言うならナマズを引き合いに出すべきではないだろうかw
 
 
・・・なんて書くと茶化しているだけに見えるかもしれないので、その意図を説明すると、前に触れた「災害、神罰、科学革命」という記事でリスボン地震が災害=神罰という観念の脱却と科学革命の進展に影響を与えた話を想起したい。また併せて、「地球平面説、反知性主義、体系化の欲望」という記事で宗教と科学がこの世を体系化された因果律で説明しきろうとする欲望の発露という点では等価だという点も想起したい。
 
 
要するに、神罰であれナマズであれ人工地震であれ、災害という多くの人々を極限状態と不安に陥れる現象を説明しようとする試みとしては同列なのである。そして重要なのは、地震という災害が多くある中でも予測が困難なものの一つであることだ。なるほど確かに、南海トラフ地震のようなものであれば、歴史を見ていくことでその周期性がある程度予測できるが、例えば私の故郷の熊本では、地震の「じ」の字すら言われたことがなかったのに、短期間に二回も大地震の被害を受けたのである(その意味では、能登でこそないが、ほど近い新潟で2004年や2007年に大きな地震が起こっているおり、熊本に比べれば能登地震の意外性は低い、とさえ言える)。
 
 
このように、地震という現象は、台風や洪水、津波や噴火といった災害に比べると、事前の予兆・予測が難しい災害であるため、それは突如生じたようにサピエンスには見え、それが不安と理由付けの願望を否応なくドライブする(前の記事でも書いたが、妄想癖のあるサピエンスにとって、世界をカオスとは決して思えないのである)。
 
 
で、繰り返しになるが、その理由づけが科学革命以前なら神罰やナマズで、近代以降はそれに科学が取って変わったと(まあ今でも津波を神罰だ何だと言ってる輩はいるが)。そして日本てのは地震大国なため、その手の言説がしばしば観察されるってわけだ。全く身も蓋もない言い方だが、現象の構造としてはそんだけである。とはいえまあ頻繁に起こってるのに、どうして毎度毎度似たような流言飛語が見られるのか?て問題もあるので、対策は以下のような取り組みによる「免疫化」しかないだろう。
 
 
 
一つ目は歴史に学ぶこと。
 
 
 
 
今引用した動画からもわかるように、日本という国にどれだけ巨大な地震が起こり、その被害に遭ってきたかを知るための材料は腐るほどある。で、まず始めにこう問うたらいい。「この過去に起こった諸々の大地震もぜーんぶ、人工地震なんすかね?そうじゃないとしたら、今回の地震が人工地震だとする理由って何ですか?」と。要するに、こういった歴史を学ばず経験に学ぶから愚かな理由付けをしがちなのであって、それが(悲惨ではあるけれども)ありふれたものだと知れば、当然軽々な理由付けをする行為は慎まれやすくなるのではないか(災害対策の中にはもちろんこういうのものも含まれているはず)。そしてもちろん、今回の記事でも紹介されているように、「人工地震」という説がそもそもどのように語られてきたのか、という来歴やその影響を知ることも免疫化につながるだろう(「他山の石」って言葉もあることだしね)。
 
 
 
二つ目は大手マスメディアの構造転換と不信の緩和。
引用記事におけるドラッカー(ナチスが拡大した背景の分析)の指摘が極めて重要だが、これは松本人志に関する長谷川良品の動画紹介で言及したマスメディアの動向を過度に陰謀論的に見てしまう危険性ともリンクする(ナチスの件で言えばWWⅠ敗北の理由を「背後の一突き論」などに求めるメンタリティがそれに当たる)。つまり、不信が閾値を超えると、もはや「何でもあり」になってしまう訳である。
 
これについても以前少し言及したことがあるが、2023年で特に問題が連続して噴出したことから広く認知されているとは思うが、現行の大手メディアやそのシステム(クロスオーナーシップや電波利権etc)は様々大きな問題を孕んでいる。よって自分はそれらを一旦解体すべきだと考えているが、一方で「大手メディア的な存在が全くなくていい」というのはいささか短絡的である。それは、もはやネットメディアのような形で完全に個々バラバラに解体されてより一層見たいものしか見ないようになると、「人工地震」などのようなデマが生まれる構造を防遏することができなくなるからである(まあ一応言っておくと、デマなんてのは決して無くならないし、あるもんだという前提で情報にあたるべし、というスタンスではいるべきなんだけど)。
 
構造転換には時間がかかるだろうが、その間は複数の情報にあたることでのファクトチェックや、それを促進するような教育・呼びかけなどを随所でしていくことで中継ぎの対策とする必要があるだろう。
 
 
 
この二つが、「免疫化」に関する提案だ。東日本大震災では、津波が起こった時の行動規範を語り継ぐ「津波てんでんこ」が話題となったが、地震大国として、地震とそれに対する観念や情報発信についても様々な機会を通じて共有していくことが、求められるのではないだろうか。
 
 
以上。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 超AI、Rising Up、ナナチ | トップ | この話にオチはない »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史系」カテゴリの最新記事