前回は、災害公営住宅についての市長申し入れと、アンケートの記者発表のことについて書きました。翌日、アンケートの結果についてのまとめの記事が、読売、毎日、神戸など各紙に掲載されました。機会がありましたら図書館などで読んでみてください。
さて、この災害公営住宅ですが、この間、アンケートのお願いなどでずいぶん現地を歩かせていただきました。最近は、バラ借りの災害公営住宅を訪問させていただいてますが、1棟に1世帯とか2世帯、しかも4階や5階が多く、訪ね歩くだけでも大変です。留守が続くと汗だくになります。
党の震災対策の担当になったのが1996年。あれから早15年です。当時はあっちにもこっちにもと、大小おびただしいほどの仮設住宅が建ちました。そこを訪問して、生活のお手伝いをするのが私の仕事でした。昼間はいいのですが、夕方、特にこの時期には吹きさらしで寒さも一段と厳しくなる中で「ご相談・ご用命は…」と作ったビラを配りながら歩くのはずいぶん骨の折れる作業でした。いま、災害公営住宅を歩いていると、とくに、まちの中心部から少し離れた場所にある住宅を歩いていると、その当時の光景や各家々からもれてくる支度中の夕飯のにおい、寒さに足音、街灯が少なく暗い中を歩いていたこと…、いろんなことがよみがえってきます。
震災で住んでいた家を失ったり、大切な家族や大切な人たちを失ったり、財産や仕事など失ったり…。助かった命。避難所から仮設住宅へ、そして復興住宅へ。いま、借り上げ住宅を歩きながら、とくに街灯の設置が少ない団地を歩いていると、あの当時のことがよみがえり、どんな思いでここまできたんだろう?とそんなことを考えてしまいます。急に切なく、心の痛む思いに駆られます。
震災問題というと、情緒的にとらえる向きもあります。でも、それだけでは震災問題の現実と本質から目がそれてしまいかねません。メモリアル行事は、現実と向き合い、課題の解決の方向を探る大切な機会でもあります。きょうは記念行事も行われています。
災害公営住宅の問題は、直面する当面の大きな課題のひとつです。これから、大きなヤマを迎えます。
アンケート結果については、あとで資料を追加でアップします。では、後ほど。
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