17日で、震災から14年になります。阪神淡路大震災は、私と日本共産党との出会いのきっかけにもなりました。忘れもしません。当時私の住まいは、幸いなことにほとんど損傷がなく、地震の影響は少なかったように思います。しかし、室内は家具など散乱し大変な状況でした。揺れがおさまったところでとりあえず室内を片付け、いつも通り出勤しようと家を出ました。するとご近所の方が、電車が止まっているよと教えてくださり、あわてて自家用車に乗り換えて出勤しました。ところが大渋滞。ラジオでニュースを聞き、大変なことになっていることを知りました。4時間かかってようやく出勤。落ちた新幹線の高架が、いきなり目に飛び込んできました。
その日は、仕事にならず、昼にはいったん職場を引き上げ、帰宅しました。すぐに市内へ戻りました。道路はあちこちで寸断され、火の手もあちこちであがっていました。鳴り続ける非常ベル、たちこめる煙やガスのにおい、鳴り響くサイレン、崩落した建物…。文字にするととても軽くなってしまいますが、あの状況は一生消え去るものではありません。そんな時に出会ったのが、日本共産党でした。救援活動に加わり、そのまま日本共産党の一員として今日に至っています。その後は、仮設住宅や復興住宅の担当者として震災問題に関わることになりました。1年1年と経過するごとに、年齢も高くなっていきます。仮設住宅から復興住宅に変わっていく中で、多くの方が心に安らぎを抱くことなく亡くなって行かれました。いま、議員として神戸市政に関わっていますが、震災が今の私のすべての原点となっています。
毎年、この時期にはかならずよみがえる記憶です。決してまだ震災は終わっていません。ことしも16日、17日と各地で追悼集会や行事等が行われます。16日には全国災対連の集会に、17日には市民追悼式やメモリアル集会などに参加する予定にしています。