やまじゅん通信 “きょうのヤマ場”

日本共産党前神戸市会議員 山本じゅんじ WEB通信

ご相談について

2022-04-17 | 日記・エッセイ・コラム
 最近、メールでご相談をお受けする機会…というか相談が寄せられることが増えています。
メールでコンタクトしていただくのは構わないのですが、一方でメールのみで相談解決すべてを求める方が多くなっているということがとても気になります。
 私は、普段からご相談をお受けする際には、よほどの事情がない限り、初回は現地で面談を原則とさせていただいています。
(最近はコロナ下で気を使うことが多いですが…)
もちろんそれぞれご事情がありますので、お聞きした上で、柔軟に対応させていただいています。
 私がそうしているのは、いただくご相談の多くが込み入った内容のものが多く、一見それほど複雑でないように感じるものでも、時間をかけながらよく話を聞いてみると、問題の本質が実は別のところにあって本人の全く意識していなかったところに問題の本質が隠れていたりする場合がよくあるからです。ですから、いくらその事象が解決したとしても、問題の本質が解決したわけではないからです。
またその人となりを理解しやすくなるからでもありす。
 医師をしている知人が、まちのお医者さんはいわゆる“病気”だけではなく、その人の家庭の事情もよく知っていて、その方の“訴え”が病気なのかそれとも別のところにあるのかもみているんだよと話していたことがありますが、それと同じで、ご相談はそういうものだと私は思っています。

 その事象だけを見ていても解決にはならない、実はそういう事例はこれまでに多くありました。それに気づいて以降、そのようなスタンスで対応させていただいています。
近年、スピードや合理性をもとめるきらいが強まっていますが、相談は決してそういうものではないということを体感しています。

 もちろん、答えを出すのは私ではありません。解決へいっしょにこたえを見つけることもあれば、ヒントとなる糸口をお示しすることができるときもあります。
社会について、ついては私の知らない世界ばかりです。ご相談をお受けすることで私自身の勉強にもなっています。とてもありがたいことだと思っています。

 ぜひご理解いただきましたら幸いです。

王子公園・動物園、市民の思い次々

2022-02-08 | 日記・エッセイ・コラム


 先日、王子公園を考える集会が開かれました。コロナ下なので参加人数を絞らざるを得なかったようですが、予定していた定員いっぱいの参加者が集まりました。

 参加者からの発言はとても生き生きしたもので、いろんな方が参加されていたので内容も多様。聞いててとても元気になるものばかりでした。

 ある地域のふれまちの会長をされている方は地域内でのアンケート活動や神戸市へのパブリックコメント提出の取り組みをいきいきと話されました。さらにいろんな活動に取り組みたいと元気でした。

 子育て中という方は、動物園の記念誌や写真集などを話題に、現場の声が素案に反映されていないと感じたと発言されていました。そのうえで、市民が声を上げなければ素案通りになってしまう、と声を上げていきたいと話されていました。

 また、党派を超えて要求で一致して団結協力をしていくことが大事だと話された方、わざわざ鎌倉から参加されたというかたもおられました。区選出議員で討論会をしてほしいという要望も出ていました。
ある自治会長は、署名の取り組みとともに、勝手に市に進められたら困る、全力を上げて頑張ると発言されていました。

 とても熱気の溢れる集会でした。署名もさらに集まっています。取りに来てとの連絡や、どこに届けたらいいのかとの問い合わせも。
ぜひ声を広げてください。

電子署名もおこなわれています。
「みんなの王子公園&動物園の会」で検索してください。


王子公園・動物園の一方的な再整備計画は撤回させよう

2022-02-05 | 日記・エッセイ・コラム
 

 灘区にある王子公園の再整備構想があがっています。
すでに新聞報道やビラなどで、ご存知の方も多いと思います。

 昨年の11月議会でも議論になりました。
総務財政、建設防災、産業港湾各委員会で報告され、議論になりました。
今は素案とされていますが、公園全体をリニューアルすることを想定し、公園内に大学を誘致する一方で、テニスコートや陸上トラック、サブグラウンド、動物園内の遊園地などが廃止に。
テニスコートや陸上トラックは近隣の高校生や多くの市民が日常的に使っている施設。
テニスコートはバレーボールと共用でハードコートとなっていることから、困るという戸惑いの声もあがっています。

 産業港湾委員会は、文化・スポーツ局も担当しており、議論となり私も質問しました。
陸上トラックはここ以外には、しあわせの村か総合運動公園にありますが、全体として市の西部に偏っており、廃止されれば東部地域からなくなってしまいます。
陸上トラックやサブグラウンド、テニスコート、プールなど日常的に利用していた市民や学生がたびたび遠方の施設を利用しに行くというのは現実的ではありません。
市民にとっては不利益となってしまいます。

 また、自宅から800m離れると運動の機会が激減するという海外の研究もあります。
スポーツに親しむためには、日常的に施設が近隣に備わっているということが必要であり、豊かな市民生活を送るためにも縮小ではなく充実こそ必要ではないでしょうか。
しかもスポーツの西の拠点が総合運動公園、東の拠点は王子公園のはず。
拠点施設を縮小するというのは、考え方としてなりたちません。

 プールについては屋内が主流だといい、王子の屋外プールは役割を終えたかのような扱い。
しかし、公共の屋内プールとなるとポートアイランドかしあわせの村、西代、北須磨文化センターぐらいで、東のエリアからはなくなってしまいます。
類似施設がるとか、同じ公共でも施設が重複しているとか、そういう意見も散見されますが、そもそも民間のスポーツクラブと公共施設は役割が違いますし、人口や都市の規模や形態からからしても、1つあればそれで足りるということにはなりません。
老朽化しているというのなら、きちんとリニューアルすればよいだけです。廃止は市民は求めていません。

 動物園では、近年、動物の福祉の観点から展示のあり方や展示・生活スペースなど見直そうという動きが活発です。王子でもゾウなどスペースが狭く、常同行動がみられたりしています。
大学誘致に疑問の声は多く、動物のスペースを拡張すべきという意見もあがっています。
もちろん、遊園地の廃止は論外。手頃な値段で手頃なアトラクションを小さなお子さんと一緒に楽しめると人気の施設です。

 様々な方からお話もお聞きしていますが、利用者や施設の現状を全く踏まえないまま打ち出されたのが、王子公園の再整備計画だといわざるを得ません。
議員団は暮れからずっと、市民の方々と一緒に動物園に来られる方々へビラをお配りし、また署名も市民団体の方々と一緒に取り組んでいます。
市民団体の取り組むネット署名には1万数千の賛同が寄せられ、さらに広がっています。
須磨海浜公園の再整備では、あろうことか大型リゾート開発のネタになり、シャチのショーを目玉にした民間の水族館やリゾートホテルなど、本来の須磨海浜公園とは全く違うものに変わってしまいつつあります。水族館は高額な入館料になり、慣れ親しんだ地元のこどもたちから大人の事情で水族園を取り上げてしまった形となりました。
動物園もそうであってはなりません。
不安に思っている方も少なくありません。
まさに市民不在。
市民の力で、市民不在の計画は撤回させましょう。
市民の力で、市民が納得できる市民のための再整備に変えさせましょう。

 あすは午前10時から、動物園ホールで「これからの王子公園を考える会」が集会を開きます。どなたでもご参加いただけますが、コロナ下なので、定員は150人です。


 

季節外れの蝉の音

2021-10-06 | 日記・エッセイ・コラム
 今朝、いつもより早くに起きて議会での討論原稿を作成していると、この時期にはそぐわない、思わぬ音が聞こえてきました。
蝉の鳴き声。クマゼミでした。
クマゼミと言えば、だいたいお盆すぎるとあまり聞かれなくなってしまいます。そういう意味では、私の中では、ちょうど盛夏を告げる蝉と勝手に決めつけています。
とても大好きな音の一つです。
驚いたのは10月を過ぎたこの時期に、クマゼミが鳴いているということです。
今年は8月の長雨、しかも結構強い雨で、なかなか蝉の出番も限られてはいたのですが、まさかこんな時期に?という感覚です。
これも地球温暖化の影響でしょうか。
蝉の生存できる時期が延びているのかもしれませんね。
 一方で、先日出先で見つけたのは少し色づき始めたミカン。
”真夏”と”実りの秋”とが同居する不思議な季節感を感じた朝でした。

「読書」欄、気に入ってます

2021-09-06 | 日記・エッセイ・コラム

 きのうのしんぶん赤旗「読書」欄。この紙面は毎回楽しみにしている。現代社会の深部を表現した小説や、心が洗われるほどの感動を呼び起こすような作品まで、様々な分野の方が様々なジャンルの作品を紹介している。
書評を読んで、読みたいと思った小説を見つけると近所の書店で入手することも多い。
この紹介欄で出会った作家の本がもっと読みたくなって、図書館にも探しに行ったりもする。
 きのうの記事で注目したのは本ではなく紹介者。歌人で細胞生物学者の永田和宏京大名誉教授。
何年か前のことだが、たまたま本屋で手に取ったのが永田氏の新書「知の体力」だった。
どう言えばいいのかわからないが、本を読み終えて、学問について深い畏れのようなものを感じた記憶がある。以来、ヒントを求めて時々読み返している。
 物事の捉え方、考え方、生き方などなど様々な力をもらっている。
情報が氾濫する社会だからこそ、思考することがいかに重要なのかよく理解できる。
氏は読書をすることや学問をすることについて「自分がそれまで何も知らない存在であったことを初めて知るそこに意味があるのだと思う」と記している。
 知らないことに触れたとき、新たな探究心が芽生えてくる、私はそんな瞬間がたまらなく好きである。