《拉致は人権侵害の総本山!特定失踪者と日本人妻を救出しろ!》
2014年5月にストックホルムで開かれた日・朝局長級協議で、北朝鮮の拉致被害者や、北朝鮮に渡った日本人妻などの再調査などに合意(ストックホルム合意)してから1年が経つ。この間、拉致問題に進展はなく、警視庁による在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)議長宅への家宅捜索を北朝鮮が非難するなど、日朝間の関係はむしろ悪化した。
警察庁が「北朝鮮に拉致された可能性を排除できない」とする特定失踪者(880人)の家族と、1959年から始まった在日朝鮮人の帰還事業(帰国事業)で北朝鮮に渡り、その後脱北した日本人妻が、5月22日に東京の外国特派員協会で記者会見し、早期帰国の実現を訴えた。
■特定失踪者・藤田 進さん
1976年に行方不明になった埼玉県川口市の藤田 進さん(失踪当時19歳)の弟、藤田隆司さん(57歳)は、2004年に脱北した人物から写真がもたらされ、北朝鮮の拉致を確信するようになった。
【藤田隆司さんの話】
出てきた写真は2枚。鑑定をしてもらったら、ほくろの位置や眉の傷など、本人に間違いないということで、拉致によって兄がいなくなったと判明しています。この写真以外にも、北朝鮮の工作員養成の金正日政治軍事大学で兄が日本語を教えていたという目撃情報、またどうやって日本国内から拉致されていったか、実行犯の一人が手口を告白しています。都内にある病院が実質的なアジトで、一旦連れ込まれて、留め置かれていたという情報があります。
ストックホルム合意からまもなく1年。その間に何らかの情報があると、家族は非常に期待していた。ところがまったく報告もない、被害者が帰ってくることもない。家族の不安、憤りをみなさまに知っていただきたい。日本政府は、拉致を最優先と表明していますが、認定されていない被害者が相当いる。12年前に帰ってきた1人、曽我ひとみさんは、帰ってきて初めて拉致だったとわかった。被害者は自分自身では声をあげられない。家族が声を上げるしかないんです。ぜひ家族の声を聞いていただきたい。
■特定失踪者・賀上大助さん
2001年12月に失踪した大阪市の賀上大助さん(失踪当時23歳)は、北朝鮮の拉致を疑わせる証拠はない。母、賀上文代さん(63歳)は、失踪した日がちょうど、鹿児島県沖で北朝鮮の工作船が沈没した日だったことと、徳島県の実家の近所に住んでいた在日朝鮮人と親交があったことなどを挙げ「何を根拠に北朝鮮の拉致なのかと言われると辛いが、そう訴えるしかない心情を聞いていただきたい」と、次のように述べた。
【賀上文代さんの話】
息子がいなくなったのは13年半前の2001年12月22日です。その日は北朝鮮の工作船が撃沈された日でもあり、船が引き上げられた日に国籍不明の男性の遺体が1体あったとテレビのニュースで知りました。それが息子だったのではないかという思いから、拉致被害者としての活動をしています。
本人には失踪しなければならない理由がまったくなかった。警察に届けを出しに行ったとき、本人にトラブルがまったくなかったので、成人した男性ということだけで捜査してもらえなかった。
しかしもし、息子が拉致であるなら、自由に動ける私たちが機会あるごとにアピールしていかないと、息子の存在は忘れ去られてしまう。今から2年ほど前に特定失踪者として警察庁から名前が発表され、ようやく「拉致ではないか」と警察の捜査が始まっています。
ただ、失踪してから13年半も経っているので勤めていた工場自体が統廃合でなくなっているなど、大変難しい状況です。
政府は「分け隔てなく」といつも会見で言っているが、政府認定の拉致被害者の家族には報告会が開かれるのに、私たち特定失踪者にはまったくない。今どのようなことが(北朝鮮と)話されているかが本当にわからない状況です。「拉致最優先」と言われるたびに、特定失踪者は切り捨てられるのではないかと、日本政府の対応に不安を感じています。
■日本人妻・斉藤博子さん
大阪府八尾市に住む斎藤博子さん(74歳)は、1961年に在日朝鮮人の帰還事業(帰国事業)で、在日朝鮮人の夫とともに北朝鮮に渡った。生活に困窮したが、自由往来は許されなかった。
2002年に中・朝国境の凍りついた豆満江を歩いて渡り脱北した。自身と同じ境遇の「日本人妻」の早期帰国を訴えた。
【斉藤博子さんの話】
私が行く時は、3年したら帰れると聞いて私も行きました。それが30、40年しても帰ることができません。拉致被害者、特定失踪者と一緒に日本人妻も返して欲しい。
拉致問題は、朝鮮では「もう済んだ」と言っている。拉致被害者とか特定失踪者、日本人妻ということでなしに、「日本人を助けてくれ、家族みんなを何とかしてくれ」となれば、返すことができるんじゃないか。朝鮮では今でも拉致被害者がいることすら知らない場所がたくさんあります。一時帰国じゃなくて永遠に帰ってこられるようにしてほしい。今はもう80代から90代で、大部分の方がご存命でないと思います。でも1人でも帰って欲しい。
《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅
【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
《特定失踪者・賀上大助さんについて》
◆氏名:賀上 大助
(かがみだいすけ)
◆失踪年月日:平成13(2001)年12月22日
◆生年月日:昭和53(1978)年8月17日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:大阪府大阪市淀川区、阪急十三駅近くの社員寮
◆身長:169cm
◆体重:64kg
◆当時の身分:会社員
◆特徴:
1)左目下に小さいほくろ
2)近眼
3)本来は左利きだが筆記と箸は右
4)虫垂炎の手術跡
5)音楽好きでピアノが弾ける
◆失踪場所:大阪府大阪市の会社の寮
【失踪状況】
22日午後2時頃帰寮したのを防犯カメラで確認。
午後9時に電子メールを出している。
午後10時18分、部屋のドアを施錠したあと、足取り不明。
夜出歩くタイプではない。
眼鏡、携帯充電器が残されている。
財布、携帯電話くらいしか持って出ていない。
預金も手つかず、携帯からの発信は22日午前零時以降なし。
友人との約束、上司との会話から年末は徳島県の実家に帰るつもりでいたことが窺える。
帰省に備え預金5万円を別の銀行に移している。
【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。
2014年5月にストックホルムで開かれた日・朝局長級協議で、北朝鮮の拉致被害者や、北朝鮮に渡った日本人妻などの再調査などに合意(ストックホルム合意)してから1年が経つ。この間、拉致問題に進展はなく、警視庁による在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)議長宅への家宅捜索を北朝鮮が非難するなど、日朝間の関係はむしろ悪化した。
警察庁が「北朝鮮に拉致された可能性を排除できない」とする特定失踪者(880人)の家族と、1959年から始まった在日朝鮮人の帰還事業(帰国事業)で北朝鮮に渡り、その後脱北した日本人妻が、5月22日に東京の外国特派員協会で記者会見し、早期帰国の実現を訴えた。
■特定失踪者・藤田 進さん
1976年に行方不明になった埼玉県川口市の藤田 進さん(失踪当時19歳)の弟、藤田隆司さん(57歳)は、2004年に脱北した人物から写真がもたらされ、北朝鮮の拉致を確信するようになった。
【藤田隆司さんの話】
出てきた写真は2枚。鑑定をしてもらったら、ほくろの位置や眉の傷など、本人に間違いないということで、拉致によって兄がいなくなったと判明しています。この写真以外にも、北朝鮮の工作員養成の金正日政治軍事大学で兄が日本語を教えていたという目撃情報、またどうやって日本国内から拉致されていったか、実行犯の一人が手口を告白しています。都内にある病院が実質的なアジトで、一旦連れ込まれて、留め置かれていたという情報があります。
ストックホルム合意からまもなく1年。その間に何らかの情報があると、家族は非常に期待していた。ところがまったく報告もない、被害者が帰ってくることもない。家族の不安、憤りをみなさまに知っていただきたい。日本政府は、拉致を最優先と表明していますが、認定されていない被害者が相当いる。12年前に帰ってきた1人、曽我ひとみさんは、帰ってきて初めて拉致だったとわかった。被害者は自分自身では声をあげられない。家族が声を上げるしかないんです。ぜひ家族の声を聞いていただきたい。
■特定失踪者・賀上大助さん
2001年12月に失踪した大阪市の賀上大助さん(失踪当時23歳)は、北朝鮮の拉致を疑わせる証拠はない。母、賀上文代さん(63歳)は、失踪した日がちょうど、鹿児島県沖で北朝鮮の工作船が沈没した日だったことと、徳島県の実家の近所に住んでいた在日朝鮮人と親交があったことなどを挙げ「何を根拠に北朝鮮の拉致なのかと言われると辛いが、そう訴えるしかない心情を聞いていただきたい」と、次のように述べた。
【賀上文代さんの話】
息子がいなくなったのは13年半前の2001年12月22日です。その日は北朝鮮の工作船が撃沈された日でもあり、船が引き上げられた日に国籍不明の男性の遺体が1体あったとテレビのニュースで知りました。それが息子だったのではないかという思いから、拉致被害者としての活動をしています。
本人には失踪しなければならない理由がまったくなかった。警察に届けを出しに行ったとき、本人にトラブルがまったくなかったので、成人した男性ということだけで捜査してもらえなかった。
しかしもし、息子が拉致であるなら、自由に動ける私たちが機会あるごとにアピールしていかないと、息子の存在は忘れ去られてしまう。今から2年ほど前に特定失踪者として警察庁から名前が発表され、ようやく「拉致ではないか」と警察の捜査が始まっています。
ただ、失踪してから13年半も経っているので勤めていた工場自体が統廃合でなくなっているなど、大変難しい状況です。
政府は「分け隔てなく」といつも会見で言っているが、政府認定の拉致被害者の家族には報告会が開かれるのに、私たち特定失踪者にはまったくない。今どのようなことが(北朝鮮と)話されているかが本当にわからない状況です。「拉致最優先」と言われるたびに、特定失踪者は切り捨てられるのではないかと、日本政府の対応に不安を感じています。
■日本人妻・斉藤博子さん
大阪府八尾市に住む斎藤博子さん(74歳)は、1961年に在日朝鮮人の帰還事業(帰国事業)で、在日朝鮮人の夫とともに北朝鮮に渡った。生活に困窮したが、自由往来は許されなかった。
2002年に中・朝国境の凍りついた豆満江を歩いて渡り脱北した。自身と同じ境遇の「日本人妻」の早期帰国を訴えた。
【斉藤博子さんの話】
私が行く時は、3年したら帰れると聞いて私も行きました。それが30、40年しても帰ることができません。拉致被害者、特定失踪者と一緒に日本人妻も返して欲しい。
拉致問題は、朝鮮では「もう済んだ」と言っている。拉致被害者とか特定失踪者、日本人妻ということでなしに、「日本人を助けてくれ、家族みんなを何とかしてくれ」となれば、返すことができるんじゃないか。朝鮮では今でも拉致被害者がいることすら知らない場所がたくさんあります。一時帰国じゃなくて永遠に帰ってこられるようにしてほしい。今はもう80代から90代で、大部分の方がご存命でないと思います。でも1人でも帰って欲しい。
《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅
【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
《特定失踪者・賀上大助さんについて》
◆氏名:賀上 大助
(かがみだいすけ)
◆失踪年月日:平成13(2001)年12月22日
◆生年月日:昭和53(1978)年8月17日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:大阪府大阪市淀川区、阪急十三駅近くの社員寮
◆身長:169cm
◆体重:64kg
◆当時の身分:会社員
◆特徴:
1)左目下に小さいほくろ
2)近眼
3)本来は左利きだが筆記と箸は右
4)虫垂炎の手術跡
5)音楽好きでピアノが弾ける
◆失踪場所:大阪府大阪市の会社の寮
【失踪状況】
22日午後2時頃帰寮したのを防犯カメラで確認。
午後9時に電子メールを出している。
午後10時18分、部屋のドアを施錠したあと、足取り不明。
夜出歩くタイプではない。
眼鏡、携帯充電器が残されている。
財布、携帯電話くらいしか持って出ていない。
預金も手つかず、携帯からの発信は22日午前零時以降なし。
友人との約束、上司との会話から年末は徳島県の実家に帰るつもりでいたことが窺える。
帰省に備え預金5万円を別の銀行に移している。
【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。