もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】藤沢商工会館編/NHK[神奈川]

2014-09-14 19:26:32 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!藤沢市で拉致問題の集会開催》

北朝鮮による拉致被害者等の最初の調査結果が今月にも伝えられる方向で調整が続く中、横田めぐみさんの両親が集会に出席し、北朝鮮の報告を待つ今の苦しい胸の内を明かすとともに、拉致被害者の帰国につながる政府の取り組みを強く求めました。
拉致問題を巡っては、北朝鮮が今年7月、拉致被害者等の調査を行う委員会を設置し、早ければ今月にも、最初の調査結果が日本側に伝えられる方向で調整が続けられていて、被害者の帰国につながる結果が得られるのかが焦点になっています。
9月6日に神奈川県藤沢市で開かれた集会で、昭和52年、中学1年生の時に拉致された横田めぐみさんの母親の早紀江さんは

「37年間、子どもを元気な姿で生きて帰してほしいと待ち望んでいますが、まだ何も見えない状況です。北朝鮮が調査結果として何を言ってくるか分かりませんし、今は黙って見つめているしかなく、本当にしんどく、計り知れない苦しい思いでいます」

と、北朝鮮の報告を待つ今の心境を明かしました。
その上で、

「政府はいろいろ考えながらやって下さっていると思っていますし、新しい大臣には『本気でやって下さい』とお願いするしかありません。交渉がよい方向に進み拉致問題が解決に導かれることを祈りたい」

と話しました。
父親の滋さんは

「北朝鮮からの最初の報告は夏が秋に変わる頃に来ると言われています。大勢の被害者が帰国できるよう期待していますので、最後まで支援をお願いします」

と世論の後押しを求めました。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「拉致された人たちが家族のところに帰るのは人間として当たり前のこと」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【みんな生きている】藤沢商工会館編/JNN

2014-09-14 19:22:23 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!藤沢市で拉致問題の集会開催》

横田 滋さん夫妻が神奈川県藤沢市内で講演し、拉致に関する北朝鮮の特別調査委員会の報告を待つ心境について、「帰国を願って待つしかなく、しんどい時期」と述べました。

「一生懸命、どうか帰ってきますようにと願って待っているしかない。本当に大変なしんどい時期。出てきた結果が喜びであれば『よかった』という思いだけはできる。だけど、ものすごくがく然とするようなものであれば『今まで何をしてきたんだろうか』というくらい悲しい思いをするわけですね」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)

横田 滋さんは特別調査委員会の報告について、

「拉致被害者の調査結果が出るには時間がかかるのではないか」

と苦しい胸のうちを語りました。
また、自らも訪朝経験のある有田芳生参院議員は、

「日本人妻や残留日本人の具体的な情報をいつの段階で出すか北朝鮮側でまだ議論が詰まっておらず、報告が10月になる可能性もあるのでは」

との考えを示しました。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「拉致された人たちが家族のところに帰るのは人間として当たり前のこと」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)

《特定失踪者・田村正伸さんについて》
◆氏名:田村 正伸
(たむらまさのぶ)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年5月
◆生年月日:昭和11(1936)年8月27日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:170cm
◆当時の身分:会社員
◆失踪場所:千葉県館山市

【失踪状況】
横浜市の会社に勤務していたが、千葉県館山市にある大手水産会社に転職するため、館山の親戚(叔父)の家に宿泊し、その会社の面接を受けに行った。
その帰りに叔父の家に戻らず、消息不明に。
横浜市の下宿先から、身の回りのものは特になくなっていない。

《特定失踪者・齋藤正治さんについて》
◆氏名:齋藤 正治
(さいとうしょうじ)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年10月1日
◆生年月日:昭和14(1939)年7月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆身長:170cmくらい
◆当時の身分:定時制高校の生徒
◆失踪場所:神奈川県逗子市

【失踪状況】
定時制高校に通いながら運輸省(現・国土交通省)のアルバイトのような仕事をしていた。
御両親が早く亡くなり、兄弟はそれぞれ住み込みで働いていた。
正治さんと良司さん(弟)は学年は1年違いだが、正治さんが高校に入ったのは1年遅れ。
話によれば「学校に来ない。下宿に行っても生活しているそのままの状態だった」とのこと。
当時、良司さんも住み込みで自由に動けなかったので直ぐには下宿に行っていない。
後で警察には家出人届は出したが見つからなかった。
正治さんは中学校卒業後すぐ3年ほどパン屋に勤めていたが、退職後は母の妹の家(安浦町)に住所を移し、さらに転居していた。
転居先は住民票を辿ると逗子市で、住所は元横須賀海軍工廠の宿舎。当時は朝鮮半島出身者が500世帯くらい住んでいたが、原因不明の火事(昭和36年頃)で焼失した。

《特定失踪者・高松康晴さんについて》
◆氏名:高松 康晴
(たかまつやすはる)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年11月1日
◆生年月日:昭和16(1941)年3月23日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆身長:165cmくらい
◆体重:50kg
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:神奈川県鎌倉市
◆特徴:痩せ型
◆失踪場所:神奈川県鎌倉市材木座海岸

【失踪状況】
就職が決まり、東京の本社で辞令をもらって鎌倉の寮に入った。
その翌日の夕刻、他の同僚2人と材木座海岸の浜辺へ散歩に出て、3人で話をしているうち、高松さんひとり、そこを離れて行った。
その後、寮にも戻らず。
昭和36年12月『週刊読売』で、2週間前に失踪した他の男性とともに記事になっている。

《特定失踪者・岩佐寅雄さんについて》
◆氏名:岩佐 寅雄
(いわさとらお)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年12月20日
◆生年月日:大正15(1926)年12月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:35歳
◆身長:170cm
◆当時の身分:魚屋の店員(板前も出来た)
◆失踪場所:神奈川県鎌倉市の魚屋から

【失踪状況】
勤めていた店の人に黙っていなくなった。その後、横須賀のいとこが四方八方探し回ったが消息はつかめず。

《特定失踪者・高橋太一さんについて》
◆氏名:高橋 太一
(たかはしたいち)
◆失踪年月日:昭和38(1963)年6月初旬頃
◆生年月日:昭和16(1941)年11月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆身長:165cmくらい
◆体重:60kgくらい
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:神奈川県川崎市
◆特徴:
1)右手首内側、手首より10cmくらい上の位置に大豆粒くらいの大きさのホクロあり
2)喉に手術痕あり
◆失踪場所:神奈川県川崎市内の下宿先

【失踪状況】
家主から「6月初旬から下宿に帰って来ない」との連絡の葉書がある。
室内は身の回り品を残したまま。
衣類、布団はたたんであった。
免許証や危険物取扱主任者免状、実印等も置いたまま。
元自衛官。

《特定失踪者・山形キセさんについて》
◆氏名:山形 キセ
(やまがたきせ)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年8月以降
◆生年月日:昭和18(1943)年9月13日
◆性別:女性
◆当時の年齢:22歳
◆身長:159cmくらい
◆当時の身分:和裁見習
◆失踪場所:神奈川県川崎市

【失踪状況】
青森県弘前市の中学卒業後、川崎で和裁の見習をしていた。
昭和40年8月以降、手紙も写真も届かなくなり、それ以来音信不通となった。

《特定失踪者・越川 力さんについて》
◆氏名:越川 力
(こしかわつとむ)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年7月19日
◆生年月日:昭和21(1946)年4月18日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆身長:166cm
◆体重:60kg
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:東京都練馬区
◆失踪場所:東京都練馬区のアパート

【失踪状況】
アパートの大家に「海に行ってくる」と言って出ていった後行方不明。

《特定失踪者・川満敏弘さんについて》
◆氏名:川満 敏弘
(かわみつとしひろ)
◆失踪年月日:昭和47(1972)年5月
◆生年月日:昭和13(1948)年11月3日
◆性別:男
◆当時の年齢:33歳
◆当時の身分:自動車メーカーのの季節労働者
◆失踪場所:愛知県名古屋市か神奈川県

【失踪状況】
季節工の他に名古屋市内で荷役の仕事をしていた。
同じ沖縄出身の人が複数いたが仕事が終わって皆沖縄に帰り、川満さんだけが残った(残った理由は不明)。
愛知県名古屋市か神奈川県で働くと言い残し失踪。



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【みんな生きている】藤沢商工会館編/ANN

2014-09-14 19:18:25 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!藤沢市で拉致問題の集会開催》

北朝鮮による拉致被害者らの再調査について最初の報告が迫るなか、横田 滋さん夫妻が集会に出席し、苦しい胸の内を明かしました。

「日・朝関係の外交が持たれているわけですが、本当に分からないんですね、誰にも。どうなるかということが。本当にこれは私たちにとっても大変な、しんどい時期なんです」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)

神奈川県藤沢市で開かれた集会には150人ほどが参加しました。
横田さん夫妻は、北朝鮮との交渉に関して政府からは何も連絡がないとしながらも、進展への期待もにじませました。

「安倍総理のこれからの色々な対策を皆が見守りながら、良い方向に行くように解決に向かうように交渉して頂きたい」
(横田早紀江さん)

北朝鮮からの再調査の報告は当初、「今月の第2週以降になる」と伝えられていましたが、政府関係者によりますと、先月、外務省関係者と北朝鮮側が第三国で接触した際、正式な報告の前に概要を把握したい日本と、見返りを求める北朝鮮との間で折り合いがつかなかったとみられています。
外務省の幹部によりますと、報告が第4週以降にずれ込む可能性があるということです。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「拉致された人たちが家族のところに帰るのは人間として当たり前のこと」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)

《特定失踪者・仲里次弘さんについて》
◆氏名:仲里 次弘
(なかざとつぐひろ)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年5月
◆生年月日:昭和25(1950)年11月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:161cm~162cm
◆当時の身分:自動車会社季節工終了後
◆失踪場所:神奈川県から失踪したと思われる

【失踪状況】
陸上自衛隊に入隊し、約2カ年間の訓練を受けたあと、沖縄へ帰郷。
その後自動車工場に3ヶ月の季節労務に就くために再び上京し、契約期間の就労を終えたあと連絡が途絶えた。
昭和52年5月には神奈川県茅ヶ崎市にあった断食道場に20日間いたことがわかっている。
警察に行ったり、全国版新聞での尋ね人の広告を出したり、職業安定所での登録の確認等、東京・神奈川を中心に歩き回るが、手がかりは何一つ見つからない。
2002年8月に男の声で「次弘はおばさんの世話で北朝鮮に行った。“ちゅうさん”と呼ばれていた。元気でいると思いますよ」などと早口で話す不審電話が実家にあった。

《特定失踪者・和智 博さんについて》
◆氏名:和智 博
(わちひろし)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年
◆生年月日:昭和13(1938)年8月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆身長:158cmくらい
◆体重:55kgくらい
◆当時の身分:建設作業員
◆当時の住所:福岡県福岡市
◆特徴:
1)盲腸炎の傷跡
2)犬歯(左上、プラチナ)
◆失踪場所:福岡市内

【失踪状況】
昭和41年~44年まで4年間、広島市内に母と一緒に住んで工員として働いていた。
44年、母の死後福岡市に住んでいた姉のところを数回たずねていたが、姉も52年に死亡。最後に病院に姉を見舞った折に「遠くなるけどお金になるので行きたい」と言い置いてその後行方不明。

《特定失踪者・寺島佐津子さんについて》
◆氏名:寺島 佐津子
(てらしまさつこ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年8月10日
◆生年月日:昭和35(1960)年7月26日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆身長:157cmくらい
◆体重:48kgくらい
◆当時の身分:銀行員
◆当時の住所:神奈川県横浜市戸塚区
◆失踪場所:神奈川県横浜市戸塚区

【失踪状況】
失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。
翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。
警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

《特定失踪者・横山辰夫さんについて》
◆氏名:横山 辰夫
(よこやまたつお)
◆失踪年月日:昭和56(1981)年11月18日以降
◆生年月日:昭和27(1952)年9月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆当時の身分:溶接技師
◆失踪場所:神奈川県横浜市

【失踪状況】
本人から長崎の実家に「横須賀の米軍基地内の仕事につくため、戸籍を送って欲しい」と電話があり(11月18日)、家族が友人宅に戸籍を送ったが、それ以後連絡が途絶える。
失踪前の11月5日には、父の一周忌のため長崎に帰省していた。

《特定失踪者・齋藤 武さんについて》
◆氏名:齋藤 武
(さいとうたけし)
◆失踪年月日:昭和58(1983)年10月30日
◆生年月日:昭和20(1945)6月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆身長:168cm
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:神奈川県横浜市
◆特徴:子供の時、凍傷で左手親指の爪が欠落。
◆失踪場所:神奈川県横浜市

【失踪状況】
昭和60年1月にアパートの大家から家賃未納の手紙が届き、失踪していることが判明した。
家人が会社に問い合わせたところ、昭和59年10月で退職し、以後行方不明であるとのことであった。
失踪者の部屋の様子は衣服にカビが生え、缶詰は錆び付いているなど数年間も住んでいなかったような感じで、荷物もそのままの状況だった。

《特定失踪者・岡元幸弘さんについて》
◆氏名:岡元 幸弘
(おかもとゆきひろ)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年8月31日
◆生年月日:昭和30(1955)年1月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:32歳
◆身長:175cmくらい
◆体重:65kg
◆当時の身分:ラーメン店店長
◆失踪場所:神奈川県横須賀市

【失踪状況】
失踪前日、釣りに行くと言って千葉県松戸市の家を出たまま、翌日昼の開店時間になっても戻らず。
東電横須賀火力発電所付近で釣りをしているところを目撃されている。車も残っていた。
当時営業も順調であり仕事にも張合いを持っていた。借金もなかった。
失踪時浦賀署でも付近の捜索やヘリコプターでの捜索、海保の海上捜索なども行ったが発見できなかった。

《特定失踪者・東 修治さんについて》
◆氏名:東 修治
(あずましゅうじ)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年10月
◆生年月日:昭和38(1963)年1月24日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆身長:182cm
◆体重:75kg
◆足のサイズ:27.5cm
◆当時の身分:会社員(病気で休業中)
◆特徴:交通事故により、左手首からひじの間がくの字型に変形している
◆失踪場所:神奈川県横浜市のアパートから

【失踪状況】
昭和63年1月に不動産屋より家族に家賃滞納の連絡があり、家族がアパートを訪ねると突然出て行ったような状態だった。
お金、免許証はなく、車は置いたまま。免許証の切り替えはされていない。
昭和62年10月頃から胃病のため会社を休業中だった。
家族に送金を依頼する連絡があり送金している。
失踪後家族に無言電話があった。



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【みんな生きている】藤沢商工会館編/NNN

2014-09-14 19:14:27 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!藤沢市で拉致問題の集会開催》

北朝鮮からの拉致問題等を巡る調査報告を待つ拉致被害者や特定失踪者の家族らが各地で講演や署名活動を行い、改めて被害者全員の救出を訴えました。
横田めぐみさんの母・早紀江さん(78歳)は

「皆が元気で帰ってきますようにってことだけを願って待っているしかない状況です。待ってる時間がしんどい、今日も明日も昨日もしんどい」

と話しました。
拉致被害者・横田めぐみさんの母・早紀江さんは神奈川県藤沢市で講演し、北朝鮮の調査報告を待つ心境について苦しい胸の内を語りました。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「拉致された人たちが家族のところに帰るのは人間として当たり前のこと」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)

《特定失踪者・森 武史さんについて》
◆氏名:森 武史
(もりたけし)
◆失踪年月日:平成4(1992)年5月31日
◆生年月日:昭和40(1965)年11月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の身分:陸上自衛官(一等陸士・平成3年入隊)
◆失踪場所:神奈川県横浜市

【失踪状況】
ゴールデンウィーク中、横浜市戸塚区の実家に帰省し3日間滞在。
失踪当日の昼頃、弟と義母に「早めに隊に帰るから」「JR戸塚駅で待ち合わせしている…」などと言い残し実家を出た。変わった様子ではなかった。
その後、部隊から「戻っていない」との連絡が実家にあり、そのまま行方不明となった。

《特定失踪者・笹垣範男さんについて》
◆氏名:笹垣 範男
(ささがきのりお)
◆失踪年月日:平成4(1992)年9月12日
◆生年月日:昭和49(1974)年3月4日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆身長:168cm
◆体重:58kg
◆当時の身分:予備校生(美大志望)
◆当時の住所:神奈川県三浦市
◆特徴:
1)剣道をしていた(2段)
2)利き腕側の胸が厚い
3)歯並びがよい
4)腹部に2mmくらいのほくろ
◆失踪場所:神奈川県三浦市

【失踪状況】
当日、母親が出勤する時(午前9時)には「今日は予備校(横浜市)で絵の授業はないが空いている教室で勉強できるので行くかも」と言っていた。
姉が昼に出かけるときはまだ自宅にいた。
予備校に行ったかどうかは出席をとっていないので不明。
普段と同じ服装、お金も4、5千円しか持っていない。朝の雰囲気からはとても家出するようには見えなかった。
いなくなる10日位前から誰かと会っている様子。
いつもは夕方5~6時に帰宅するのが、10~10時半に帰宅する日もあった。
前日、前々日は終電で帰ってきた。
誰と会っていたか聞いても答えなかった。
預金通帳は残っている。

《特定失踪者・小川雅樹さんについて》
◆氏名:小川 雅樹
(おがわまさき)
◆失踪年月日:平成5(1993)年8月31日
◆生年月日:昭和43(1968)年8月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆身長:173cm
◆血液型:B型
◆当時の身分:無職
◆当時の住所:神奈川県逗子市
◆特徴:眼鏡又はコンタクト使用(乱視のため)
◆失踪場所:東京都渋谷区幡ヶ谷

【失踪状況】
平成5(1993)年3月、神奈川県内の大学を卒業後、北海道の競走馬を育てる牧場で馬の飼育係として働くため5月に単身北海道に渡る。
住み込みのアルバイトを始めたが3カ月後の8月下旬、家族に「北海道でのアルバイトを辞めるが家には帰らない」と電話をかけてきた以降、音信不通となった。
家族が北海道の牧場に連絡を取ると8月31日付で牧場を退職していた。
同年11月下旬、都内渋谷区の男性から家族に連絡があり状況を確認した結果、北海道での牧場勤務を辞めた直後に東京まで戻っていたが、神奈川の実家には戻らず都内で知り合った渋谷区の男性宅に数日間、居候した後、荷物を男性宅に残したまま所在不明となっていた。
失踪後の、実家には年に2~3回無言電話がある。

《特定失踪者・武内 卓さんについて》
◆氏名:武内 卓
(たけうちたかし)
◆失踪年月日:平成8(1996)年1月14日
◆生年月日:昭和32(1957)年1月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:38歳
◆当時の身分:警備員
◆当時の住所:神奈川県横浜市鶴見区
◆血液型:O型
◆特徴:
1)痩せ型
2)近視
◆失踪場所:神奈川県愛甲郡清川村丹沢大山国定公園

【失踪状況】
平成7年9月にアメリカより帰国し、同12月1日に横浜市で警備員の仕事に就く。
翌年1月12・13日の連休にレンタカーを借りて出かける。13日夕方に車を返す予定だったが、同日夕方に返却を1日延ばして欲しい旨の連絡がレンタカー会社に入るが翌日になっても戻らず。
14日の夜からは夜勤があった。
レンタカーは神奈川県の丹沢大山国定公園の駐車場で発見され、警察でも山を中心に捜索を行なった。
1月23日朝に勤務先から実家に電話があって失踪したことがわかった。
レンタカーの中には本人のジャンパーと地図、パンなどを食べた包紙があり、ガソリンスタンドのレシートもあった。
14日朝8時、丹沢の山麓のガソリンスタンドで満タンにしている。

《特定失踪者・佐藤剛生さんについて》
◆氏名:佐藤 剛生
(さとうたけお)
◆失踪年月日:平成9(1997)年7月29日
◆生年月日:昭和46(1971)年11月30日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆身長:170cm
◆体重:70kg
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:千葉県船橋市
◆特徴:
1)体形は普通
2)眼鏡を使用
3)高校時代水泳をしていた
4)高校時代から長距離走に興味を持ち、ミニトライアスロンに出場したこともあり
◆失踪場所:千葉県船橋市のJR駅近く

【失踪状況】
7月28日22時頃、先輩と帰社。
翌29日11時20分頃、出社しないため、会社から寮に寮に電話。
寮の管理人が部屋を見にいったところ、本人は電話中、かなりの長電話だった。
その後本人の姿を見かけた者はいない。
8月1日と4日は会社の先輩グループと登山の計画があり、有給休暇申請済み。
写真が寮に残っていない。
その他持ち出したものは特定できない。
パスポートも後日発見。
仕事上の問題なし。
国外には出ていない。
サラ金の借入なし。
その他手がかり、痕跡なし。

《特定失踪者・渋谷浩邦さんについて》
◆氏名:渋谷 浩邦
(しぶやひろくに)
◆失踪年月日:平成10(1998)年8月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年3月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:34歳
◆身長:168cm
◆体重:80kgくらい
◆当時の身分:県庁職員
◆当時の住所:神奈川県厚木市
◆特徴:
1)太り気味
2)むち打ちで寒いと痛みが出る
3)趣味は山とスキー、全国の山を登っている
◆失踪場所:長野県白馬山中

【失踪状況】
8月2日、「5日夜か6日の朝に帰宅する」と言い残して長野県白馬に登山に出かける。
失踪当日午後1時頃、「大町市の黒部観光ホテルに着いたので、これから山に行く」と電話があった。
白馬山荘に2泊し、4日の朝5時頃1人で出たが、方角は不明。車でホテルまで行き、荷物を預けて、そこからバスで乗ったのをホテルの客が見ている。
5日、ホテルから自宅に電話が入る。
平成11年3月頃までヘリを何回かとばして捜す。車の中には着替えたものがあった。
預金が引き出された形跡なし。
失踪した年の暮れ頃から平成13年まで無言電話や不審な電話あり。



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【みんな生きている】藤沢商工会館編/FNN

2014-09-14 19:10:24 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!藤沢市で拉致問題の集会開催》

北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんの両親が、神奈川・藤沢市で行われた拉致問題解決を訴える集会に参加し、現在の心境を述べました。
横田めぐみさんの父・滋さんは

「特定失踪者をどうすれば帰ってくるかということを、熱心にやっておられるのが特徴ではないかと思います」

と話しました。
横田めぐみさんの母・早紀江さんは

「37年間、子どもたちのことを返してくださいと、待ち望んでいる子どもたちですから、元気で生きて帰してほしいと。本当に、それがかなえられれば、本当にもう、ありがたいと思っているだけなんですけども」

と話しました。
早紀江さんは、北朝鮮の拉致問題再調査の報告がいつになるかわからない現状を

「黙って見つめているしかない。大変しんどい時期。どの家族とお話ししても、本当にしんどい」

と心情を述べました。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「拉致された人たちが家族のところに帰るのは人間として当たり前のこと」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)

《特定失踪者・齋藤正治さんについて》
◆氏名:齋藤 正治
(さいとうしょうじ)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年10月1日
◆生年月日:昭和14(1939)年7月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆身長:170cmくらい
◆当時の身分:定時制高校の生徒
◆失踪場所:神奈川県逗子市

【失踪状況】
定時制高校に通いながら運輸省(現・国土交通省)のアルバイトのような仕事をしていた。
御両親が早く亡くなり、兄弟はそれぞれ住み込みで働いていた。
正治さんと良司さん(弟)は学年は1年違いだが、正治さんが高校に入ったのは1年遅れ。
話によれば「学校に来ない。下宿に行っても生活しているそのままの状態だった」とのこと。
当時、良司さんも住み込みで自由に動けなかったので直ぐには下宿に行っていない。
後で警察には家出人届は出したが見つからなかった。
正治さんは中学校卒業後すぐ3年ほどパン屋に勤めていたが、退職後は母の妹の家(安浦町)に住所を移し、さらに転居していた。
転居先は住民票を辿ると逗子市で、住所は元横須賀海軍工廠の宿舎。当時は朝鮮半島出身者が500世帯くらい住んでいたが、原因不明の火事(昭和36年頃)で焼失した。

《特定失踪者・寺島佐津子さんについて》
◆氏名:寺島 佐津子
(てらしまさつこ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年8月10日
◆生年月日:昭和35(1960)年7月26日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆身長:157cmくらい
◆体重:48kgくらい
◆当時の身分:銀行員
◆当時の住所:神奈川県横浜市戸塚区
◆失踪場所:神奈川県横浜市戸塚区

【失踪状況】
失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。
翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。
警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

《特定失踪者・小川雅樹さんについて》
◆氏名:小川 雅樹
(おがわまさき)
◆失踪年月日:平成5(1993)年8月31日
◆生年月日:昭和43(1968)年8月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆身長:173cm
◆血液型:B型
◆当時の身分:無職
◆当時の住所:神奈川県逗子市
◆特徴:眼鏡又はコンタクト使用(乱視のため)
◆失踪場所:東京都渋谷区幡ヶ谷

【失踪状況】
平成5(1993)年3月、神奈川県内の大学を卒業後、北海道の競走馬を育てる牧場で馬の飼育係として働くため5月に単身北海道に渡る。
住み込みのアルバイトを始めたが3カ月後の8月下旬、家族に「北海道でのアルバイトを辞めるが家には帰らない」と電話をかけてきた以降、音信不通となった。
家族が北海道の牧場に連絡を取ると8月31日付で牧場を退職していた。
同年11月下旬、都内渋谷区の男性から家族に連絡があり状況を確認した結果、北海道での牧場勤務を辞めた直後に東京まで戻っていたが、神奈川の実家には戻らず都内で知り合った渋谷区の男性宅に数日間、居候した後、荷物を男性宅に残したまま所在不明となっていた。
失踪後の、実家には年に2~3回無言電話がある。

《特定失踪者・渋谷浩邦さんについて》
◆氏名:渋谷 浩邦
(しぶやひろくに)
◆失踪年月日:平成10(1998)年8月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年3月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:34歳
◆身長:168cm
◆体重:80kgくらい
◆当時の身分:県庁職員
◆当時の住所:神奈川県厚木市
◆特徴:
1)太り気味
2)むち打ちで寒いと痛みが出る
3)趣味は山とスキー、全国の山を登っている
◆失踪場所:長野県白馬山中

【失踪状況】
8月2日、「5日夜か6日の朝に帰宅する」と言い残して長野県白馬に登山に出かける。
失踪当日午後1時頃、「大町市の黒部観光ホテルに着いたので、これから山に行く」と電話があった。
白馬山荘に2泊し、4日の朝5時頃1人で出たが、方角は不明。車でホテルまで行き、荷物を預けて、そこからバスで乗ったのをホテルの客が見ている。
5日、ホテルから自宅に電話が入る。
平成11年3月頃までヘリを何回かとばして捜す。車の中には着替えたものがあった。
預金が引き出された形跡なし。
失踪した年の暮れ頃から平成13年まで無言電話や不審な電話あり。



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする