もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】富山県特定失踪者編/NHK[富山]

2014-09-13 07:12:26 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!富山県の特定失踪者を救出しろ!》

北朝鮮による拉致被害者等の最初の調査結果が9月にも伝えられる方向で調整が続くなか、拉致された疑いが排除できない「特定失踪者」で、富山県に関係する4人の家族が、県議会で開かれた集会で、問題の早期解決を訴えました。
この集会は拉致問題の早期解決を訴えようと富山県議会議員で作る議員連盟や拉致問題の支援団体が県議会の会議室で開き、約70人が集まりました。
集会には富山県関係の特定失踪者のうち、屋木しのぶさん。水島慎一さん。山田建治さん。それに渡辺信行さんの合わせて4人の家族や支援を続けている同級生たちが出席しました。
このうち屋木しのぶさんは19歳だった昭和43年、入善町の叔母の家に遊びに行った後、行方が分からなくなりました。
9月12日は妹の板谷春美さん(59歳)が出席し、

「ふるさとを思い、身内を思い、日本を信じ、助けが来るのを待っているたくさんの思いを決して忘れてはならないと思います。絶望させてはならないと思います。安倍総理にはぶれずに全員帰国を貫いてほしいと思います」

と述べました。
また、拉致問題について調査している「特定失踪者問題調査会」の荒木和博代表は

「国民が拉致された被害者を全員、取り返すという一致した認識を持てば、いろいろな考えの違いはあっても最終的にはうまくいく」

と述べ問題解決に向けたさらなる支援を訴えました。
集会では、最後に参加者の代表が「拉致問題の全面解決を目指して運動を継続して世論を盛り上げ、問題解決の基盤をつくります」と決意を表明しました。
参加した家族は集会のあと記者会見し、昭和54年に高岡市で行方が分からなくなった山田建治さん(失踪当時30歳)の姉の奥田きみさん(67歳)は

「私も弟もいつまで生きているかわかりません。一刻も早い帰国を望むとともに北朝鮮には真実の発表をしてもらいたい」

と述べました。
拉致問題をめぐっては、北朝鮮が今年7月、被害者等の調査を行う特別調査委員会を設置し、最初の調査結果が9月にも日本側に伝えられる方向で調整が続いています。

《特定失踪者・屋木しのぶさんについて》
◆氏名:屋木 しのぶ
(やぎしのぶ)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年1月中旬
◆生年月日:昭和23(1948)年1月27日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆身長:158cm
◆当時の身分:美容師。インターンとして入善町の美容院に勤務
◆当時の住所:富山県下新川郡入善町道古
◆特徴:
1)右利き
2)中肉だが骨太でがっしりした感じにもみえる
3)目がくっきりした二重でかわいい顔立ち
4)編み物、裁縫をするなど手先が器用
5)本を読むのが好き
◆失踪場所:富山県下新川郡入善町の母の実家を出てから

【失踪状況】
失踪当日、働いていた美容院から休みをもらい、母の実家である入善町新屋の叔母の家に行き、双子の赤ちゃんの帽子と靴下を編んでいた。
それができ上がって夕方6時半頃、新屋のバス停に向かった。大雪で叔母が家からバス停へ向かう姿を見送ったのが最後。
その後一切連絡なし。
お金や荷物は持たず、運転免許証も置いたまま。
昭和40年ごろ、いとこの嫁に編み物を習っていた若い女の子がトラックに引き上げられそうになったことがあった。
平成16年9月30日、富山県警に告発状提出。

《特定失踪者・水島慎一さんについて》
◆氏名:水島 慎一
(みずしましんいち)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年2月9日
◆生年月日:昭和24(1949)年4月24日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆身長:165cm
◆体重:75kg
◆当時の身分:高校3年生
◆当時の住所:富山県下新川郡朝日町宮崎
◆特徴:
1)右利き
2)がっちりした体格
3)野球部キャプテンで腕力には自信があった
◆失踪場所:富山県新川郡朝日町宮崎海岸

【失踪状況】
学期末試験最終日の昼頃帰宅し、「バットの素振りをしてくる」と言って自宅から歩いて5分の海岸に出かけたまま行方不明。
高校卒業後、家業の関連の海産物会社に就職も決まっていた。
夕方5時を過ぎても戻らないので父と姉が海岸に行ってみると、波打ち際にバットが転がっていた。
その日は海はベタ凪。水島さんは遠泳の名手で、溺れた可能性はない。
平成16年1月29日、富山県警に告発状提出。

《特定失踪者・荒谷敏生さんについて》
◆氏名:荒谷 敏生
(あらたにとしお)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年5月13日
◆生年月日:昭和23(1948)年10月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:無職。前職は建設会社などに勤務。
◆当時の住所:富山県射水市庄川本町
特徴
1)右利き
2)やせ型
3)かなり強度の近視
4)盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:富山県新湊市か?

【失踪状況】
新湊市の自宅を出たあと失踪。
身の回りのものはそのまま残っている。
お金を持たず、渡航者リストにもない。
戸籍を動かした形跡ない。
当時パスポート取得してない。
14年後に女性から「荒谷敏生さんいらっしゃいますか」と電話がある。

《特定失踪者・山田建治さんについて》
◆氏名:山田 建治
(やまだけんじ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年12月18日
◆生年月日:昭和24(1949)年1月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆身長:150cm~155cm
◆血液型:O型
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:富山県西砺波郡福岡町(現・富山県高岡市福岡町荒屋敷)
◆特徴:
1)右利き
2)中肉中背
3)運動が好き
4)英会話が少しできる
◆失踪場所:富山県高岡市

【失踪状況】
ドラム缶工場勤務。
車(三菱製ジープ)で出勤途中で失踪。
1週間後高岡市の越中国分駅の海側に車がキーをさしたまま放置されているのがみつかる。
車内に運転免許証、財布、空の弁当箱が残されていた。
平成16年9月30日、富山県警に告発状提出。

《特定失踪者・城鳥正義さんについて》
◆氏名:城鳥 正義
(しろとりまさよし)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月26日
◆生年月日:大正15(1926)年10月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:53歳
◆身長:172cm
◆体重:60kg
◆当時の身分:大型貨物船1級機関士
◆特徴:盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:富山県伏木町

【失踪状況】
富山県伏木町に船が停泊中、船員と食堂に飲みに出かけたが、その後「先に船に戻る」と言い、停泊している漁港まで食堂の店員に送られたが、その後行方不明。
失踪前は毎日家族に連絡があった。

《特定失踪者・谷ヶ崎清一さんについて》
◆氏名:谷ケ崎 清一
(たにがさきせいいち)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年7月9日
◆生年月日:昭和37(1962)年1月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆身長:168cm
◆体重:58kgくらい
◆血液型:A型
◆右利き
◆当時の身分:内装店店員
◆当時の住所:富山県射水市二の丸町
◆失踪場所:富山県新湊市

【失踪状況】
失踪当日午後8時頃、加越能鉄道高岡軌道線(現在の万葉線)東新湊駅近くの自宅から近所の風呂屋に行くと小銭、風呂バケツを持って自動車(トヨタ製ブルーのスターレット)で出たまま失踪。
翌日風呂屋に本人が来たかを聞きに行ったが来なかったと言われ、近くに住んでいる友人等に聞いたが来た形跡はなかった。
車は現在も見つかっていない。

《富山県警公開特定失踪者・渡辺信行さんについて》
◆氏名:渡辺 信行
(わたなべのぶゆき)
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:埼玉県熊谷市拾六間
◆当時の職業:航空自衛官
◆身長:約175cm
◆富山県小矢部市出身

【失踪状況】
航空自衛隊の気象観測員として術科学校に在学中、昭和54年10月10日の午後から外出したまま宿舎に戻らず、行方不明となっています。

《富山県警公開特定失踪者・松澤 明さんについて》
◆氏名:松澤 明
(まつざわあきら)
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:富山県高岡市上渡
◆当時の職業:工員
◆身長:約170cm
◆血液型:A型
◆右利き

【失踪状況】
昭和59年5月9日午後0時50分頃、会社から帰宅し、家族に「今から会社の同僚と2、3日仕事に行く」と告げ、下着等を持って自転車で自宅を出たまま行方不明となっています。



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】富山県特定失踪者編/TUT

2014-09-13 07:09:00 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!富山県の特定失踪者を救出しろ!》

特定失踪者問題調査会(調査会)と富山県警が公開している特定失踪者は、あわせて11人。
9月12日はこのうち、調査会が『拉致濃厚』とする3人の家族や友人が、失踪当時の様子や今の思いを語りました。

「母は拉致という言葉も知らず、姉に心を残しながら亡くなりました」
(板谷春美さん。特定失踪者・屋木しのぶさんの妹)

入善町の美容院でインターンとして働いていた当時19歳の屋木しのぶさん。
1968年1月、母親の実家から自宅に戻るため、バス停に向かう姿が目撃されたのを最後に行方不明となりました。
2001年に亡くなった母・美和子さんは、しのぶさんがいつ戻ってもいいように玄関にカギはかけず、着物をあつらえて帰りを待ち続けました。

「たくさんの思いを決して忘れてはならない。失望させてはならない。絶望に変えてはならない」
(板谷春美さん)

「北朝鮮が調査を行うという話を聞いて、これが本当の最後のチャンスだと思っています」
(尾山好正さん。特定失踪者・水島慎一さんの友人)

1968年2月、行方不明になった朝日町の水島慎一さん。
高校3年生だった水島さんは、期末テスト最終日のその日、昼ごろに帰宅。「バットの素振りをしてくる」と言って自宅近くの海岸に向かい、そのまま姿を消しました。
心配した家族が探しにいくと、波打ち際にバットが残されていました。

「制裁を緩めてはならない」
「私には妻も子どももいます。この事件や兄の姿は知りません。一日も早く解決することを願ってやみません」
(水島嘉導さん。特定失踪者・水島慎一さんの弟)

「母が、なーんこんが、どんながかなと言って…」
「ジープが国分浜で見つかって」
(奥田きみさん。特定失踪者・山田建治さんの姉)

失踪当時、30歳だった高岡市の山田建治さん。
1979年12月、いつも乗っていた四輪駆動車で会社に向かい、そのまま行方不明になりました。
その後、山田さんの車は、海岸沿いを走るJR氷見線の駅付近で見つかり、カギはつけられたままで、財布や免許証等が車内に残されていました。

「北朝鮮にいる期間の方が長くなってしまった」
(青木国生さん。特定失踪者・山田建治さんの親族)
「最後の1人が帰ってくるまで風化させてはならない」
(矢竹有至さん、特定失踪者・山田建治さんの友人)

当初の予定より遅れるとみられている北朝鮮の調査結果報告。
関係者の高齢化等から真相究明の最後のチャンスと言われていることについて、特定失踪者の家族は…

「まったくゴールが見えない」
(板谷春美さん)
「兄の友人たちは孫みてるんですよ、おじいちゃんなんですよ。そんな身にしてあげたいなと思います」
(水島嘉導さん)
「真実の発表であってくれればいいと思います」
(奥田きみさん)

《特定失踪者・屋木しのぶさんについて》
◆氏名:屋木 しのぶ
(やぎしのぶ)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年1月中旬
◆生年月日:昭和23(1948)年1月27日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆身長:158cm
◆当時の身分:美容師。インターンとして入善町の美容院に勤務
◆当時の住所:富山県下新川郡入善町道古
◆特徴:
1)右利き
2)中肉だが骨太でがっしりした感じにもみえる
3)目がくっきりした二重でかわいい顔立ち
4)編み物、裁縫をするなど手先が器用
5)本を読むのが好き
◆失踪場所:富山県下新川郡入善町の母の実家を出てから

【失踪状況】
失踪当日、働いていた美容院から休みをもらい、母の実家である入善町新屋の叔母の家に行き、双子の赤ちゃんの帽子と靴下を編んでいた。
それができ上がって夕方6時半頃、新屋のバス停に向かった。大雪で叔母が家からバス停へ向かう姿を見送ったのが最後。
その後一切連絡なし。
お金や荷物は持たず、運転免許証も置いたまま。
昭和40年ごろ、いとこの嫁に編み物を習っていた若い女の子がトラックに引き上げられそうになったことがあった。
平成16年9月30日、富山県警に告発状提出。

《特定失踪者・水島慎一さんについて》
◆氏名:水島 慎一
(みずしましんいち)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年2月9日
◆生年月日:昭和24(1949)年4月24日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆身長:165cm
◆体重:75kg
◆当時の身分:高校3年生
◆当時の住所:富山県下新川郡朝日町宮崎
◆特徴:
1)右利き
2)がっちりした体格
3)野球部キャプテンで腕力には自信があった
◆失踪場所:富山県新川郡朝日町宮崎海岸

【失踪状況】
学期末試験最終日の昼頃帰宅し、「バットの素振りをしてくる」と言って自宅から歩いて5分の海岸に出かけたまま行方不明。
高校卒業後、家業の関連の海産物会社に就職も決まっていた。
夕方5時を過ぎても戻らないので父と姉が海岸に行ってみると、波打ち際にバットが転がっていた。
その日は海はベタ凪。水島さんは遠泳の名手で、溺れた可能性はない。
平成16年1月29日、富山県警に告発状提出。

《特定失踪者・荒谷敏生さんについて》
◆氏名:荒谷 敏生
(あらたにとしお)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年5月13日
◆生年月日:昭和23(1948)年10月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:無職。前職は建設会社などに勤務。
◆当時の住所:富山県射水市庄川本町
特徴
1)右利き
2)やせ型
3)かなり強度の近視
4)盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:富山県新湊市か?

【失踪状況】
新湊市の自宅を出たあと失踪。
身の回りのものはそのまま残っている。
お金を持たず、渡航者リストにもない。
戸籍を動かした形跡ない。
当時パスポート取得してない。
14年後に女性から「荒谷敏生さんいらっしゃいますか」と電話がある。

《特定失踪者・山田建治さんについて》
◆氏名:山田 建治
(やまだけんじ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年12月18日
◆生年月日:昭和24(1949)年1月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆身長:150cm~155cm
◆血液型:O型
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:富山県西砺波郡福岡町(現・富山県高岡市福岡町荒屋敷)
◆特徴:
1)右利き
2)中肉中背
3)運動が好き
4)英会話が少しできる
◆失踪場所:富山県高岡市

【失踪状況】
ドラム缶工場勤務。
車(三菱製ジープ)で出勤途中で失踪。
1週間後高岡市の越中国分駅の海側に車がキーをさしたまま放置されているのがみつかる。
車内に運転免許証、財布、空の弁当箱が残されていた。
平成16年9月30日、富山県警に告発状提出。

《特定失踪者・谷ヶ崎清一さんについて》
◆氏名:谷ケ崎 清一
(たにがさきせいいち)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年7月9日
◆生年月日:昭和37(1962)年1月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆身長:168cm
◆体重:58kgくらい
◆血液型:A型
◆右利き
◆当時の身分:内装店店員
◆当時の住所:富山県射水市二の丸町
◆失踪場所:富山県新湊市

【失踪状況】
失踪当日午後8時頃、加越能鉄道高岡軌道線(現在の万葉線)東新湊駅近くの自宅から近所の風呂屋に行くと小銭、風呂バケツを持って自動車(トヨタ製ブルーのスターレット)で出たまま失踪。
翌日風呂屋に本人が来たかを聞きに行ったが来なかったと言われ、近くに住んでいる友人等に聞いたが来た形跡はなかった。
車は現在も見つかっていない。

《富山県警公開特定失踪者・渡辺信行さんについて》
◆氏名:渡辺 信行
(わたなべのぶゆき)
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:埼玉県熊谷市拾六間
◆当時の職業:航空自衛官
◆身長:約175cm
◆富山県小矢部市出身

【失踪状況】
航空自衛隊の気象観測員として術科学校に在学中、昭和54年10月10日の午後から外出したまま宿舎に戻らず、行方不明となっています。

《富山県警公開特定失踪者・松澤 明さんについて》
◆氏名:松澤 明
(まつざわあきら)
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:富山県高岡市上渡
◆当時の職業:工員
◆身長:約170cm
◆血液型:A型
◆右利き

【失踪状況】
昭和59年5月9日午後0時50分頃、会社から帰宅し、家族に「今から会社の同僚と2、3日仕事に行く」と告げ、下着等を持って自転車で自宅を出たまま行方不明となっています。



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】荒木和博編/TUT

2014-09-13 07:04:27 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!荒木和博調査会代表、荒谷敏生さん失踪現場を調査》

特定失踪者問題調査会の荒木和博代表が訪れたのは、富山県射水市の海岸線。
1974年、当時25歳だった荒谷敏生さんが姿を消した場所です。

「時期とか失踪状況から考えるとどう考えてもおかしい事件なので、もう一度現場に立って見直しをしてみたいなと」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)

荒谷さんは、万葉線・庄川口駅の近くに住んでいました。ここは、庄川の河口のすぐそばで、信号の先は海です。
工作員は人目につきにくい夕方や夜間に行動すると考えられていますが、荒谷さんが姿を消したのは、まだ明るい時間帯でした。

「2時間ぐらいの間だというから、そんなときにこんなところで袋をかぶせて連れて行かれるというのは、ありえない」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)

しかし、調査会では、拉致の疑いが排除できない特定失踪者とみています。
身の回りのものが残っていたことや、ほぼ同じ時期にこの周辺で、拉致未遂事件や拉致された可能性の高い事案が相次いでいたためです。

「どこかで無理やり連れて行かれたというよりも、騙されるかなにかしてどこかへ自分の意志で移動して、そこから先から強制というのが拉致であれば、でしょうから」
「誰か、この土地のことがわかる人間が彼を誘導して引き渡したという形だと思いますけど」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)

荒谷さんについてまだ分からないことが多く、荒木代表は、富山県民からの情報提供に期待したいと話しました。
そして、9月12日の県民集会でも、県民にむけたメッセージに力をこめました。

「(北朝鮮は)日本の世論が高まればたくさん(被害者を日本へ)出さなくてはと思うし、そうでなければこんなもの(数人)でいいだろうとなる」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)

《特定失踪者・荒谷敏生さんについて》
◆氏名:荒谷 敏生
(あらたにとしお)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年5月13日
◆生年月日:昭和23(1948)年10月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:無職。前職は建設会社などに勤務。
◆当時の住所:富山県射水市庄川本町
特徴
1)右利き
2)やせ型
3)かなり強度の近視
4)盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:富山県新湊市か?

【失踪状況】
新湊市の自宅を出たあと失踪。
身の回りのものはそのまま残っている。
お金を持たず、渡航者リストにもない。
戸籍を動かした形跡ない。
当時パスポート取得してない。
14年後に女性から「荒谷敏生さんいらっしゃいますか」と電話がある。

《特定失踪者・屋木しのぶさんについて》
◆氏名:屋木 しのぶ
(やぎしのぶ)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年1月中旬
◆生年月日:昭和23(1948)年1月27日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆身長:158cm
◆当時の身分:美容師。インターンとして入善町の美容院に勤務
◆当時の住所:富山県下新川郡入善町道古
◆特徴:
1)右利き
2)中肉だが骨太でがっしりした感じにもみえる
3)目がくっきりした二重でかわいい顔立ち
4)編み物、裁縫をするなど手先が器用
5)本を読むのが好き
◆失踪場所:富山県下新川郡入善町の母の実家を出てから

【失踪状況】
失踪当日、働いていた美容院から休みをもらい、母の実家である入善町新屋の叔母の家に行き、双子の赤ちゃんの帽子と靴下を編んでいた。
それができ上がって夕方6時半頃、新屋のバス停に向かった。大雪で叔母が家からバス停へ向かう姿を見送ったのが最後。
その後一切連絡なし。
お金や荷物は持たず、運転免許証も置いたまま。
昭和40年ごろ、いとこの嫁に編み物を習っていた若い女の子がトラックに引き上げられそうになったことがあった。
平成16年9月30日、富山県警に告発状提出。

《特定失踪者・水島慎一さんについて》
◆氏名:水島 慎一
(みずしましんいち)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年2月9日
◆生年月日:昭和24(1949)年4月24日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆身長:165cm
◆体重:75kg
◆当時の身分:高校3年生
◆当時の住所:富山県下新川郡朝日町宮崎
◆特徴:
1)右利き
2)がっちりした体格
3)野球部キャプテンで腕力には自信があった
◆失踪場所:富山県新川郡朝日町宮崎海岸

【失踪状況】
学期末試験最終日の昼頃帰宅し、「バットの素振りをしてくる」と言って自宅から歩いて5分の海岸に出かけたまま行方不明。
高校卒業後、家業の関連の海産物会社に就職も決まっていた。
夕方5時を過ぎても戻らないので父と姉が海岸に行ってみると、波打ち際にバットが転がっていた。
その日は海はベタ凪。水島さんは遠泳の名手で、溺れた可能性はない。
平成16年1月29日、富山県警に告発状提出。

《特定失踪者・山田建治さんについて》
◆氏名:山田 建治
(やまだけんじ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年12月18日
◆生年月日:昭和24(1949)年1月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆身長:150cm~155cm
◆血液型:O型
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:富山県西砺波郡福岡町(現・富山県高岡市福岡町荒屋敷)
◆特徴:
1)右利き
2)中肉中背
3)運動が好き
4)英会話が少しできる
◆失踪場所:富山県高岡市

【失踪状況】
ドラム缶工場勤務。
車(三菱製ジープ)で出勤途中で失踪。
1週間後高岡市の越中国分駅の海側に車がキーをさしたまま放置されているのがみつかる。
車内に運転免許証、財布、空の弁当箱が残されていた。
平成16年9月30日、富山県警に告発状提出。

《特定失踪者・城鳥正義さんについて》
◆氏名:城鳥 正義
(しろとりまさよし)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月26日
◆生年月日:大正15(1926)年10月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:53歳
◆身長:172cm
◆体重:60kg
◆当時の身分:大型貨物船1級機関士
◆特徴:盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:富山県伏木町

【失踪状況】
富山県伏木町に船が停泊中、船員と食堂に飲みに出かけたが、その後「先に船に戻る」と言い、停泊している漁港まで食堂の店員に送られたが、その後行方不明。
失踪前は毎日家族に連絡があった。

《特定失踪者・谷ヶ崎清一さんについて》
◆氏名:谷ケ崎 清一
(たにがさきせいいち)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年7月9日
◆生年月日:昭和37(1962)年1月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆身長:168cm
◆体重:58kgくらい
◆血液型:A型
◆右利き
◆当時の身分:内装店店員
◆当時の住所:富山県射水市二の丸町
◆失踪場所:富山県新湊市

【失踪状況】
失踪当日午後8時頃、加越能鉄道高岡軌道線(現在の万葉線)東新湊駅近くの自宅から近所の風呂屋に行くと小銭、風呂バケツを持って自動車(トヨタ製ブルーのスターレット)で出たまま失踪。
翌日風呂屋に本人が来たかを聞きに行ったが来なかったと言われ、近くに住んでいる友人等に聞いたが来た形跡はなかった。
車は現在も見つかっていない。

《富山県警公開特定失踪者・渡辺信行さんについて》
◆氏名:渡辺 信行
(わたなべのぶゆき)
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:埼玉県熊谷市拾六間
◆当時の職業:航空自衛官
◆身長:約175cm
◆富山県小矢部市出身

【失踪状況】
航空自衛隊の気象観測員として術科学校に在学中、昭和54年10月10日の午後から外出したまま宿舎に戻らず、行方不明となっています。

《富山県警公開特定失踪者・松澤 明さんについて》
◆氏名:松澤 明
(まつざわあきら)
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:富山県高岡市上渡
◆当時の職業:工員
◆身長:約170cm
◆血液型:A型
◆右利き

【失踪状況】
昭和59年5月9日午後0時50分頃、会社から帰宅し、家族に「今から会社の同僚と2、3日仕事に行く」と告げ、下着等を持って自転車で自宅を出たまま行方不明となっています。



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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