もずの独り言・goo版

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【みんな生きている】再調査報告編/FNN

2014-09-08 07:20:40 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!政府関係者が調査委員会報告時期に言及》

北朝鮮が拉致被害者らの再調査を行うために設置した特別調査委員会からの1回目の報告が、9月上旬から中旬になる見通しであることがわかりました。
これは、政府関係者が明らかにしたもので、特別調査委員会から、日本政府への1回目の報告は、安倍晋三首相が9月6日から予定している、スリランカ、バングラデシュ訪問後の9月上旬から中旬に示される見通しです。
日・朝の政府間協議では、特別委員会の最初の報告について、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意していました。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

《救う会認定拉致被害者・福留貴美子さんについて》
◆氏名:福留 貴美子
(ふくとめきみこ)
◆失踪年月日:1976(昭和51)年7月18日または19日
◆生年月日:1952(昭和27)年1月1日
◆当時の身分:アルバイト
◆当時の住所:東京都渋谷区恵比寿
◆最終失踪関連地点:海外

【失踪状況】
1976(昭和51)年7月中旬、同居していた友人に「モンゴルに行く」と言い残して出国後、行方不明となる。
1980(昭和55)年3月、突然同居していた渋谷区恵比寿の友人宅に現れた後、横浜市の友人宅に2泊した後、「大阪に行く」と言い残して再び行方不明となるが、後に北朝鮮に渡ったよど号犯の岡本 武と結婚し2児をもうけていたことが明らかになる。
1996(平成8)年夏によど号犯グループの小西隆裕から実家に「1988(昭和63)年夏に土砂崩れで死亡したと北朝鮮側から知らせを受けた」旨の手紙が送られてきたが、真相は不明のままである。

《新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
◆新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170㎝くらい

【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】田口八重子さん(1)/FNN

2014-09-08 07:02:49 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!田口八重子さんの家族がFNNに心境を語る》

横田めぐみさんと北朝鮮で一時、一緒に暮らしていたとされる拉致被害者の田口八重子さんの兄で、家族会代表の飯塚繁雄さんと、田口八重子さんの長男・飯塚 耕一郎さんがFNNのスーパーニュースに生出演しました。


■1歳で母親を北朝鮮に奪われた耕一郎さん

田口八重子さんは1978年、当時22歳の時に拉致されました。
八重子さんは、幼い子どもを東京・新宿区の施設に預けたまま拉致されて、「日本に帰りたい」と話していたといいます。
その幼い子どもが、耕一郎さん。
当時1歳だった耕一郎さんは、八重子さんの兄の繁雄さんの養子となって、21歳の時に、繁雄さんから打ち明けられるまで、母親が拉致被害者だということを知りませんでした。
耕一郎さんは

「(長いですね?の問いに)そうですね。わたしが今、37歳ですけど、そのうちの36年という月日が流れている。流れた時間、解決がしていないということですから、本当に長いと思います」

と語りました。
繁雄さんは

「(想像を絶する、気が遠くなるような、次に何が起こるか、何が待っているか、わからない時間というのは?の問いに)時間の重みというのは、最近特に感じます。その間、いろいろ救出活動とかやってきましたけど、結果が、なかなか出ないというジレンマ・苦しみの中で、今も闘ってますけれども。全く、この時間の長さ・重み。言ってみれば、被害者・八重子も、人生で一番大事な時期を奪われてしまった。元に戻せないわけですよね。しかも、あまりにも長い時間。これが最近、つくづく感じます」

と語りました。
耕一郎さんは

「(1歳の時に別れて、一番、お母さんに甘えたかった時期を奪われてしまったが?の問いに)わたしは逆に、もともと1歳で記憶がない状態で養子に入りましたから、まだある意味、錯覚じゃないですけど、母親の愛情というのを、今の育ててもらった母親に与えられたわけですけど、逆に、八重子さんの立場であると、母親として接することができなかったことに関しては、わたしの中では、計り知れない苦しみというか、苦悩があるかなと思っています」

と語りました。
繁雄さんは

「(再調査の結果は期待しているか?の問いに)今まで、何も動きがなかったということから比べれば、何か動きそうだなって兆しは感じられます。しかしながら、そういったことに対する期待も大きいですけど、逆に不安も結構あるんですね。これは、北朝鮮が、金正日(キム・ジョンイル)が拉致を認めたというところから出発してるんでしょうけど、認めたならば、全てを明白にしてくださいというふうに、あのときはっきりと、そういった事態があって、起こって継続していれば、こんなに長くはかからなかったなと思いますね」

と語りました。
耕一郎さんは

「(何度も翻弄されてきたという思いがあるか?の問いに)何度も翻弄されてきたからこそ、今回の2002年に、5人の方が帰られましたけど、それと同じぐらいのチャンスだと思っていますから、気持ちとして楽観視せずに、ものすごく物事を細かく見て、注視をしていって、決して、帰ってこないという結果にはならないように、われわれは訴えていかなければいけないと考えています」

と語りました。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙(シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】田口八重子さん(2)/FNN

2014-09-08 06:58:38 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!「妥協するな!」飯塚耕一郎さんの主張》

まもなく出されるであろう北朝鮮による再調査の結果報告。
制裁の解除も含めて日本政府に、あらためて訴えておきたいことについて、拉致被害者の田口八重子さんの長男・飯塚耕一郎さんが話しました。
耕一郎さんは

「まず、この問題に関しては、外交交渉じゃないんです。事件なんですよね。拉致事件なので。それに対して交渉しなくてはいけないということが、まず本質的に違うというところはあります。ですので、今、行動対行動とおっしゃっていましたけど、そうではなくて、犯人である北朝鮮からの行動が、まずあってしかるべきだというふうに考えています。ですので、日本が譲歩するような形とか、何人か小出しにしていくという話がありましたけど、そういうことは、一切妥協するような形は一切とらずに、全面的な解決というふうにまい進していくべきだとわたしは考えています」

と語りました。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙(シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】家族の思い編/FNN

2014-09-08 06:55:00 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!FNNが伝える拉致被害者家族の思い》

日本から北朝鮮を訪れた当時の小泉首相に、金正日(キム・ジョンイル)総書記が拉致を認め、被害者5人が帰国してから、9月で丸12年です。しかし北朝鮮は、いまだに12人の拉致被害者については、新たな情報を出していません。さらに、拉致の可能性が高いとされている特定失踪者は、数多くいます。その拉致問題が今、大きく動こうとしています。
北朝鮮が拉致の再調査に合意したのが、2014年の7月。そして9月、最初の報告は、日本側に示される見通しとなっています。
拉致という卑劣な行為によって奪われた家族を、ただ帰してほしい、その思いだけで、ひたすら待ち続けてきた家族は今、どんな思いを抱いているんでしょうか。


拉致被害者・田口八重子さんの兄・飯塚繁雄さん(76歳)が、

「今年こそ、日本に帰れるよう、お星様によろしくお願いします」

と、仙台七夕まつりで短冊にしたためた妹への思い。
飯塚さんは、八重子さんの写真を離さず持ち歩いているといい、

「これがね、わたしの手帳に挟んで30年も。いつも、ここに挟んで。さびちゃいけないから、ビニールにかぶせてね。この顔をじっと見られないですよ。かわいそうで。訴えているわけですね。『あんちゃん、早く助けて』と」

と語りました。
奪われた肉親の帰国を祈り、その実現をひたすら訴え続けてきた家族たち。
北朝鮮の特別調査委員会が、近く拉致被害者・特定失踪者たちの再調査結果を示すのを前に、さまざまな思いを抱いています。


■特定失踪者家族の思い

古川了子さんの姉・竹下珠路さん(70歳)は

「正直、今一番期待をしている」

と語りました。
遠山常子さんの姉・小川正子さん(62歳)は

「『もしかしたら帰ってくるんじゃ』と思う反面、『無理じゃないか』と」

と語りました。


■横田めぐみさんの家族の思い

横田めぐみさんの両親もまた、複雑な思いを抱いています。
横田めぐみさんの母・早紀江さん(78歳)は

「(報告を前に、やはり緊張感というのは?)いら立ちですね。イライラしますね」

と語りました。
横田めぐみさんの父・滋さん(81歳)は

「向こう(北朝鮮)が誠実にやってくれるのかどうか、なかなか、われわれも確信が持てない」

と語りました。
37年前、当時中学1年だった少女・めぐみさんを北朝鮮に拉致され、横田さん夫妻の運命は一変しました。
早紀江さんは

「本当につらかったですからね。泣いていたし、叫んでいたし。『こんなところに生きていたくない』というぐらいまでいっていた」

と語りました。
そんな時、早紀江さんは、聖書と出会い、1984年、めぐみさんが20歳を迎えたこの年に、クリスチャンになりました。
日本各地で講演会をするかたわら、早紀江さんは月に1度、教会に足を運んでいます。
その祈りの場で、早紀江さんが語り続けてきた内容をまとめた、1冊の本『愛は、あきらめない』。


■モンゴルでウンギョンさんと面会

2014年3月、モンゴルの迎賓館でめぐみさんの娘・ウンギョンさんの一家と初めて面会した横田夫妻。
早紀江さんの著書には、帰国後の会見で伝え切れなかった、知られざる面会の舞台裏も描かれていました。
面会場所となるモンゴルの迎賓館に到着したのは、3月10日の夜のことでした。
早紀江さんは

「もう遅いから、あした会えるんだなと思っていたら、もう遅いのに、ちゃんと夫婦でチマ・チョゴリ着て、『(朝鮮語で)ごあいさつに先に伺いました』って言って。北朝鮮のしきたりなので。『おじいちゃま、おばあちゃまには、ごあいさつをまずさせていただきます』って。きちっと座って、『遠いところ、よく来てくださいました』って。『こんにちは』って、2人がひざまずいて、お辞儀をして、びっくり仰天しちゃって。目上に対してのきちんとしたところは、残っているんだって。まず感心しちゃったんですね」

と語りました。
しかし、この時、ウンギョンさんからは、思わぬ言葉をぶつけられたといいます。
早紀江さんは

「『なんで、12年間も会いに来てくれなかったんですか』って、一番最初に言われて。やっぱり待っていたんだなって」

と語りました。
2002年の小泉訪朝後、FNNは、ウンギョンさんをピョンヤンで取材しました。
当時14歳のウンギョンさんは、横田夫妻について、「母方のおじいさんとおばあさんが生きていると思うと、本当にうれしいです。最初は、本当に驚きました。本当なのかなと」と話していました。
あれから12年、ウンギョンさんの口から出た、「なぜ、あの時、会いに来てくれなかったのか」という言葉に、早紀江さんは著書で「これは国どうしの問題で、おばあちゃんにとって、あなたは大事な孫だから信じているし、嫌いだから来なかったわけではないのよと、はっきり伝えました。そうしたら、彼女は泣きやんで、その後はにこやかに話すようになりました」としています。
ようやく実現した、ウンギョンさんとの面会。
ウンギョンさんは、生まれて10カ月になる女の赤ちゃんをもうけていました。
横田さん夫妻は、日本をたつ前から、ひ孫に贈るプレゼントを用意していました。
滋さんは

「このくらい小さなオルガンみたいなのを持っていったんですけど、そうしたら、その時は、スイッチ押してみて、音を出すくらいだったんですけど、次の日になったら、ちゃんと使いこなして」

と語りました。
限られた時間の中で、横田さん夫妻とウンギョンさんは、めぐみさんについての記憶をたどりあったといいます。
早紀江さんは

「めぐみのことを何でもいいから知りたい?という問いに(ウンギョンさんが)小さい時に、お母さんと一緒にいた時の思い出として、歯が悪くて、歯医者さんによく通っていたとか。知っていたことだけは、言っていた。猫を飼っていたとか、あの子、好きだったんですよ、猫とか」

と語りました。
そうしたやり取りの中で、ウンギョンさんは、北朝鮮当局の説明同様、「お母さんは死亡した」と話したということです。
早紀江さんは

「わたしは『あなたのお母さんのことは、絶対に生きていると信じてるんですよ』と言った。(ウンギョンさんは)不思議な感じで聞いてました」

と語りました。
面会は4日間。
やがて、ウンギョンさん一家との別れの時が訪れました。
次にいつ会えるのかわからないウンギョンさんに、早紀江さんが贈った言葉は、「希望」でした。
早紀江さんは

「また不思議なことが起きて、チャンスが来て会える日が来るんだから、絶対希望を持ってなきゃだめよって。『希望ですよ』って言ったら、涙ぐみながら、手を振ってくれてね、最後、見送ってくれましたね」

と語りました。


■講演を通して、未成年者に拉致問題を語り継ぐ

横田さん夫妻は、学校でも講演を行い、当時のめぐみさんと同じ年齢の生徒たちを前に、拉致問題を訴えています。
早紀江さんの著書には、生徒たちから寄せられた講演の感想文も掲載されています。
中学3年生の女子生徒は、

「わたしは毎日、家族に『おはよう』が言える。1日の最後に『おやすみ』が言える。わたしにとっては、それが当たり前だった。たぶんそれは、家族と別れたことがないからだと思う。わたしの当たり前を素晴らしいことだと思うようにしてくれたのは、横田夫妻のおかげだ」

と寄せています。
早紀江さんは

「(めぐみさんは)『ただいま』が言えてないんですね。大きな声で『ただいま』って、帰ってくる子だったので、それを聞かないといけないと思う」
、「早く早く、その日が来てほしいなって思いますけどね」

と語りました。



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】福田康夫編/FNN

2014-09-08 06:50:54 | 日記
《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!“幻の再調査”の舞台裏をFNNが独自取材》

9月中にも報告されるとみられる北朝鮮側の再調査。
北朝鮮は、2002年の日・朝首脳会談で、横田めぐみさんや田口八重子さんたち8人は、「死亡している」と日本側に報告しています。
その後、2004年の第2回日・朝首脳会談の時には、「白紙状態で再調査する」としながら、納得のいく説明がなされないまま、以来、一貫して「拉致問題は解決済み」と主張していて、拉致問題はこう着状態にありました。
しかし、この間にも、一度だけ拉致問題が動き出そうとしたことがありました。
それは2008年、福田政権のときに北朝鮮は再調査を表明していました。
この6年前になぜ成果が挙げられなかったのか?
その知られざる経緯が、FNN独自の取材で初めて明らかになりました。


■福田康夫首相の対北朝鮮交渉

福田康夫元首相は2007年9月、「今でも、北朝鮮で思いを遂げることなく、まだ、向こうに残っておられる方がいらっしゃるということを聞きますと、これは捨ててはおけません。私は、私の手で、この問題を解決したい」と述べていました。
事態は安倍晋三首相の辞任を受け、首相になった福田康夫首相(当時)のもとで動き始めました。
2008年6月、福田首相は「今回、北朝鮮も今まで『解決済み』としていた拉致問題ですね、これを『解決した』ということは言わないで、『再調査します』と言ったわけです」と述べました。
日・朝の実務者協議を通じ、北朝鮮側からなされた提案。
「拉致問題は解決済み」との立場を改めて、再調査を約束するというものでした。
この提案を受け、日本側は、一部制裁解除の方針を決定しました。
2カ月後の8月中旬には、日・朝が再調査実施で正式に合意しました。


■中山恭子元担当相が当時を振り返る

福田首相の対話路線で開きかけた拉致問題解決へのドア。
当時、拉致問題担当相だった中山恭子参院議員が、今回、その舞台裏を語りました。
中山元拉致問題担当相は

「福田首相からは、(拉致被害者を)必ず取り返すと、強い意志が伝えられていましたし、中国に非常に強いパイプをお持ちだということもあって、そちらも使いながら」

と述べました。
しかし、福田首相の意欲とは裏腹に、再調査は口だけという北朝鮮の腹の内が、さまざまな形で見え始めたと中山氏は話しました。
中山氏は

「北朝鮮側から、調査委員会を立ち上げましたという報告は来たと思いますが、日本側は、この調査委員会では、実際に調査するつもりがないだろうということを見極めて、“こんな委員会では駄目だ”と、北朝鮮側に投げ返していた段階だった。8月末の話でした」

と述べました。
中山氏が明かした再調査提案突き返し。
これまで、明らかにされることがなかった、そのくわしい舞台裏が、今回、FNNの独自取材で明らかになりました。
中山氏によると、当時、再調査を行う北朝鮮の調査委員会の権限を、誰が与え、そのトップがどのような人物で、どんな調査ができるかが、全く不透明な状態だったといいます。
さらに中山氏は

「当時は『保衛部』」すら入っていなかったと思います」

と述べました。
その調査委員会には、北朝鮮の秘密警察である国家安全保衛部の人間もいなかったのです。
これでは十分な調査が望めない。
そこで、提案を突き返し、北朝鮮の本気度を日本が測っていたころ、福田首相は「(会見が国民には人ごとのように聞こえるという話だが?)私は、自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです!」と「あなたとは違うんです発言」述べました。
北朝鮮への対話路線に活路を見いだしていた福田首相自身が、ねじれ国会の中で政権運営に行き詰まり、突如、辞任を表明しました。
中山氏は

「本気で再調査をする決断をまずしてもらいたいという意味合いの打ち返しをしていたから、北朝鮮としては、立ち往生した状況。そんな中で、たまたま福田首相が辞任を発表なさったので、北朝鮮側は、これを口実に使って、再調査を中止した」

と述べました。
こうして幻に終わった北朝鮮による再調査。
その内実は、決して本気とはいえない調査体制を、日本に見透かされ、次の対応を決めあぐねていた北朝鮮側が、福田首相の辞任をこれ幸いと、再調査中止の口実に利用したと考えられます。


■「拉致?僕わからない」

そして8月27日、福田元首相は今回の再調査について、「拉致?拉致、僕わからない。今やってるんだから、余計なことは言わない」と述べ、在任中の時を振り返って今は?の問いには「いや、全然状況が違うからね」と述べました。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「拉致された人たちが家族のところに帰るのは人間として当たり前のこと」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙(シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)



【拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカとバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部や警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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