慶應病院の神経内科に10年通っていたのに、私の病名は2003年助手の伊藤義彰医師が私に黙って、突然病名を変えたのであろうか ?彼は私のカルテを勝手に改竄する権利があるのであろうか?伊藤義彰医師が私の担当になったのは、2003年ごろのほんの短期間であった。何故彼が鼻の手術の痕跡がないといった根拠は何であったか?彼は当時は未だ助手であり、いくら上司の天野教授の指示とはいえ、それに従い自分が何か利得を約束されたからであろう。医師としての良心の欠如である。現在専任講師になったからといって、許されるものではない。
私は2001年(平成13年10月16日付けで下記の手紙を天野医師に渡している。
天野先生には3年以上に亘って診療を受けており、コレまでの間のCT,MR等7~8回写真を撮っております。この写真の全部を見ながら説明を受けたく出状した次第です。この前の手紙では書いてありませんが、私は子供のころ5~6歳から7~8歳にかけて頭部をいろいろなもので叩かれ、特に屋根の瓦で二度頭部を叩かれた時は出血して気分が悪くなり数時間横になっていた時があります。この時以来性格が変わり、過去の記憶を喪失してしまった様であります。右のような次第でありますから写真で脳の損傷特に第三脳室の血栓がどのような状況であるのかを知りたいと思います。私が17~18歳に受けた鼻の手術の際の頭蓋底のノミによる強度な衝撃の影響が子供のころに受けた頭の傷と関連して相乗効果を与えていると思われます。同封の封筒でご都合をお知らせ頂ければ幸いです。平成13年10月16日
この手紙に天野医師から返事がないので同年の11月22日に上記のコピーを天野医師に診療日の当日渡した。しかし医師の返事は要領を得ないもので、私が頭を叩かれたことを再度述べると、君の言う頭が叩かれたという証拠がない。として一蹴したのである。証拠もなにもMRIやCTの写真が証拠ではないかと思ったが、天野医師があまりにも強烈に私を怒るものだから、又診療室には沢山の患者が聞いているのでスゴスゴとかえったのである。
その前年の12月27日にCT検査があり、Findinngsとあり両側上顎洞の開窓術後腔の粘膜肥厚は前回のCtと著変は認めません。診断医 屋代英樹 慶應義塾大学放射線診療科の診断書が私のてもとにある。
この頭部CT検査報告書は副鼻腔の鼻の手術の検査ctを二回もしていることを示している。この報告書で私の手紙の質問を天野医師は封印したのである。しかも鼻の手術のことは、カルテに書き残さなかった。鼻の手術で三叉神経を損傷することのあることを知らないわけではないであろう。おまけに私頭蓋骨が破裂していることも天野医師は承知をしているのである。
当時の塾長は石川忠雄氏であり、その弟武氏は白雲楼の株主である大正海上の社長であった。これがその後に続いた堤義明と辨谷貞造の密会に繋がっていくのである。これは西武鉄道の架空名義事件の件で、話し合いがされたのである。西武鉄道及びコクドの架空名義事件であり、これは私の父桜井兵五郎の財団康楽寺の資産であったのを隠蔽するために、両者貞造と堤の話し合いが行われたのである。当時堤は検察当局の監視下にあり、マスコミが堤の行方を探しっていたが、慶應病院に潜んでいることが発覚した。その翌年堤は逮捕されている。日本体育会長森喜朗の下常務理事石川武(慶應大学創立150周年記念の副会長)と石川県の有名な「私が社長です」で名をはせている建設会社社長と森の仲の良さは有名であるが、この社長が辨谷貞造の妻の実家の麻布の家(堤義明の家の直ぐ横にある)を買い取っている。妻はそれで平成元年に石川県の高額納税者となり、父の財団康楽寺の資産を白雲楼の倒産とともに、奪っていくのである。その裏には辨谷貞造が采配していたことは云うまでもない。
私のカルテ改竄は以上のごとく、堤義明、辨谷貞造、森喜朗、石川武、慶應塾長石川忠雄と関連していくのである。大正海上社長の下営業部長を勤めていたのが、辨谷貞造の妻の弟である。これに今慶應大学創立150周年の寄付金募集があり堤が莫大な寄付を申し出て、慶應挙げての私のカルテ改竄になる。しかし一番大きな問題は西武鉄道及びコクドの架空名義事件である。このために私の頭が破壊されたのである。