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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

慶應大学病院の天野隆弘医師(6)

2008年06月22日 06時26分06秒 | 白雲楼

私は慶應病院内では、嘘つきと先生方が吹き込まれていたようだ。その証として口腔外科の和嶋医師に神経内科より紹介状をもらい、診療を受けたとき、和嶋医師はのっけから、何で診療をうけにきたのか、怒気を含んで受診にきた私を非難した。紹介状を持参したのであるかえら私の症状を知っていると思っていたので、ビックリした。私の症状は左頬の真ん中が常時痛くなるものだから神経内科では、何もはなしが進まないので、口腔外科を受診したのである。私はこの痛さが胃癌の原因になるのではないかと、かねがね考えていたので、一縷の望みをかけて口腔外科を受診したのである。ところが私が嘘つきと神経内が紹介状に書いてあったのではないか?何故なら神経内科のカルテには、鼻の手術の痕跡がないと書かれていたのである。これでは頬の痛みは手術によるものではなく、狂言であるとかんじたのであろう。事実当の内科医は私の話を聞いて、ニタニタ笑い出したのである。鼻の手術で顔面神経や三叉神経、迷走神経が損傷せられた場合どのような症状がでるか医師なら知っていなければならない重要な問題である。まして頭蓋骨が二箇所も割れ神経が損傷しているのだから、その相乗効果は大変なダメージを患者に与えることは医師として十分理解していることと思っていたが、ニタニタ笑って済ませるのだから唖然としたものである。

この写真は17歳の時鼻の手術の際、ノミで強打された痕跡である。天野医師はこの事実を知りながら、写真を隠し通したのである。何のためにかわは当然金に買収されたためである。

 

2009年12月6日


慶応大学病院の天野隆弘医師(5)

2008年06月21日 13時44分52秒 | 白雲楼

慶應病院の神経内科に10年通っていたのに、私の病名は2003年助手の伊藤義彰医師が私に黙って、突然病名を変えたのであろうか   ?彼は私のカルテを勝手に改竄する権利があるのであろうか?伊藤義彰医師が私の担当になったのは、2003年ごろのほんの短期間であった。何故彼が鼻の手術の痕跡がないといった根拠は何であったか?彼は当時は未だ助手であり、いくら上司の天野教授の指示とはいえ、それに従い自分が何か利得を約束されたからであろう。医師としての良心の欠如である。現在専任講師になったからといって、許されるものではない

私は2001年(平成13年10月16日付けで下記の手紙を天野医師に渡している。

天野先生には3年以上に亘って診療を受けており、コレまでの間のCT,MR等7~8回写真を撮っております。この写真の全部を見ながら説明を受けたく出状した次第です。この前の手紙では書いてありませんが、私は子供のころ5~6歳から7~8歳にかけて頭部をいろいろなもので叩かれ、特に屋根の瓦で二度頭部を叩かれた時は出血して気分が悪くなり数時間横になっていた時があります。この時以来性格が変わり、過去の記憶を喪失してしまった様であります。右のような次第でありますから写真で脳の損傷特に第三脳室の血栓がどのような状況であるのかを知りたいと思います。私が17~18歳に受けた鼻の手術の際の頭蓋底のノミによる強度な衝撃の影響が子供のころに受けた頭の傷と関連して相乗効果を与えていると思われます。同封の封筒でご都合をお知らせ頂ければ幸いです。平成13年10月16日

この手紙に天野医師から返事がないので同年の11月22日に上記のコピーを天野医師に診療日の当日渡した。しかし医師の返事は要領を得ないもので、私が頭を叩かれたことを再度述べると、君の言う頭が叩かれたという証拠がない。として一蹴したのである。証拠もなにもMRIやCTの写真が証拠ではないかと思ったが、天野医師があまりにも強烈に私を怒るものだから、又診療室には沢山の患者が聞いているのでスゴスゴとかえったのである。

その前年の12月27日にCT検査があり、Findinngsとあり両側上顎洞の開窓術後腔の粘膜肥厚は前回のCtと著変は認めません。診断医 屋代英樹 慶應義塾大学放射線診療科の診断書が私のてもとにある。

この頭部CT検査報告書は副鼻腔の鼻の手術の検査ctを二回もしていることを示している。この報告書で私の手紙の質問を天野医師は封印したのである。しかも鼻の手術のことは、カルテに書き残さなかった。鼻の手術で三叉神経を損傷することのあることを知らないわけではないであろう。おまけに私頭蓋骨が破裂していることも天野医師は承知をしているのである。

当時の塾長は石川忠雄氏であり、その弟武氏は白雲楼の株主である大正海上の社長であった。これがその後に続いた堤義明と辨谷貞造の密会に繋がっていくのである。これは西武鉄道の架空名義事件の件で、話し合いがされたのである。西武鉄道及びコクドの架空名義事件であり、これは私の父桜井兵五郎の財団康楽寺の資産であったのを隠蔽するために、両者貞造と堤の話し合いが行われたのである。当時堤は検察当局の監視下にあり、マスコミが堤の行方を探しっていたが、慶應病院に潜んでいることが発覚した。その翌年堤は逮捕されている。日本体育会長森喜朗の下常務理事石川武(慶應大学創立150周年記念の副会長)と石川県の有名な「私が社長です」で名をはせている建設会社社長と森の仲の良さは有名であるが、この社長が辨谷貞造の妻の実家の麻布の家(堤義明の家の直ぐ横にある)を買い取っている。妻はそれで平成元年に石川県の高額納税者となり、父の財団康楽寺の資産を白雲楼の倒産とともに、奪っていくのである。その裏には辨谷貞造が采配していたことは云うまでもない。

私のカルテ改竄は以上のごとく、堤義明、辨谷貞造、森喜朗、石川武、慶應塾長石川忠雄と関連していくのである。大正海上社長の下営業部長を勤めていたのが、辨谷貞造の妻の弟である。これに今慶應大学創立150周年の寄付金募集があり堤が莫大な寄付を申し出て、慶應挙げての私のカルテ改竄になる。しかし一番大きな問題は西武鉄道及びコクドの架空名義事件である。このために私の頭が破壊されたのである。


慶應大学病院の天野隆弘医師(4)

2008年06月19日 12時07分00秒 | 白雲楼

西武の堤義明が逮捕直前、慶應病院の病室内に潜んでいたことは前ブログに書いた。そのとき辨谷貞造が館内にウロウロしており、私のそばを通っても眼を伏せたまま通過していったものである。貞造と義明は株式操作の密談をしていたのであろうが、それには私が当時も神経内科に掛かっており、私の頭脳の破壊が明白になると私の父桜井兵五郎の財団が明らかになる恐れがあり神経内科のデータの捏造をする必要があたのである。医者と云う者は大きな利害が絡むと、データの変造や捏造に抜群の才能を発揮するという。信じられない事件が最近報道されている。偏狭で独善的で偏見のかたまりであり、論理的に考えることや慎重さとは無縁な人間だと云う評論家もいる。馬鹿馬鹿しいことであるが、私の鼻の手術はなかったと、カルテに書いてあるという。それが現実の慶應大学病院の実態である。医者は患者を見下す傾向がある。そんあな病気になるのは患者が悪い癖があり、そのために病気が起きてきたと考える。悪いのは患者だと。私の例をとれば頭蓋骨の破裂は、医療行為で起こったことは明白であるが、医者はそうは思わない。病院は医者のミスや不正を発見しても、自らは医療や警察に届けることは絶対にしないのであうる。隠蔽し通すのだ。

平成21年12月3日


慶應大学病院の天野隆弘医師(3)

2008年06月17日 09時07分01秒 | 白雲楼

天野医師が何故この様に嘘のカルテを書かなければならなかったのか?医師自身も私に上顎洞の手術を受けたかねと何度も確認していた。私のMRI等の写真の中に、鼻の手術の跡が残っていたからであろう。前にも書いたように鼻の手術は上顎の前壁の骨を出来るだけ広く取り除き、上顎洞粘膜をすべて取り除くものであるから、眼窩の直ぐ下の前壁の穴から三叉神経の枝(眼窩下神経)が出ており、その部位で損傷を受けることもあるのであるから、天野医師は私にテグレドール及びレキソタンを毎日4回に分けて各一錠ずつ飲む薬を手配しており、この薬はここ10年ほど服用している。ただ一日4回飲むと昼は仕事にならないので、寝るときだけにした。テグレドールは三叉神経痛の薬であり、レキソタンは睡眠薬であるが、視床下部の興奮、特に自立神経失調症に効果があるのである。天野医師は私を診療時第三脳室が問題があると大きな声で怒鳴ったことがあった。だがそれも有耶無耶にしてしまったいる。しかし私の頭が鼻の手術の際,上顎洞の上の頭蓋底をえぐりとり、そこから私の脳天の頭蓋骨を二度強打して、頭蓋骨が添付写真のように割れており、頭蓋骨のなかを通っている神経の損傷や、頭蓋底を抉り取った損傷のダメージがいかに大きかったかは、量り知れないものがある。この損傷を起こしたのは、鼻の第一回目の手術のときである。私が17歳のときの出来事である。私のMRI等の頭蓋骨破裂の跡やその際起こった硬膜下血腫の痕跡を残した写真はすべて隠したまま今日に至っても尚、鼻の手術の痕跡がないとしているのである。

堤義明が逮捕されたのが平成15年ころであり、慶應病院に隠れていたのはその前年の暮れである。辨谷貞造が私と同じ神経内科にいたのを目撃したのはこのころであり、入れ歯を取り人相が変わって見えたが、間違いなく辨谷貞造であった。私の側を通っても決して眼を合わせようとしなかったのである。この時の貞造の目的は同じ慶應病院にいる堤義明との話し合いにあったのである。堤義明は証券法違反で逮捕されたのだが、その内容は架空名義の多数の存在であった。この架空名義こそ私の父桜井兵五郎の財団に属するもので、それを隠蔽するために堤義明と辨谷貞造はこの慶應の病室で謀議を凝らし、私の病名を抹殺するため、天野隆弘を買収したのであろう。

平成21年12月2日記す。


慶應義塾大学病院の天野隆弘医師(2)

2008年06月15日 12時57分43秒 | 白雲楼

私は慶應義塾大学病院の神経内科に10年近く通院したが、私の症状は最後まで隠し続けられた。Mri等の写真が隠されたばかりでなく、私の鼻の手術までも否定しており、上顎洞の手術さえなかったと書かれている。鼻の手術は上顎の前壁の骨を出来るだけ広く取り除き、上顎洞粘膜をすべて取り除くものです。医師ならば私の顔を見れば直ぐわかります。私は2回この上顎洞手術を受けております。一回目は私が17歳の昭和27年であり、この事件については本ブログで詳しく述べていますが、二十数年後に副鼻空に膿がたまり頬がはれ、慶應大学病院で受診しましたが、蓄膿症の再発と云われたが、病室が一杯で無理とのこと、田無病院を紹介されたが断り、東大病院で手術を受けた。先生は膿が副鼻空に溜まり酷い状態になっていると説明された。合計三回の手術で約一ヶ月東大病院で入院生活を送った。この時は私は本ブログでかいた西武不動産の住宅建築営業の嘱託であった。その後西武は首になったのであるが、その理由は私が桜井兵五郎の子供であると金沢家庭裁判所に申立たのであるが、裁判官が最後になってから急に私の申立を理由なしとして、却下したのである。当日は双方から証人を申請することになっていたのであるが、突然の裁判官の変身に驚かされた。丁度このころ西武では私の首をきったのである。その理由は本ブログでかいた様に黙って会社を休んで、金沢の家裁の通っていた事にあったのである。

今回の慶應大学病院の神経内科に通っていた時、堤義明がこっそり入院しており、辨谷貞造が入院していたことを本ブログでかいている。その直後堤義明の逮捕があり、マスコミは堤の行方をさがしていたがまさか慶應病院の病室に隠れていたのである。

当時の慶應の主治医は天野隆弘医師であり、私の頭の中が破壊されたことなどおくびにも出さず、私の症状を隠したのである。それが鼻の手術の形跡がないと助手に書かせていることを知った。

 平成21年11月30日 神経内科伊澤助手の治療を受けた時、鼻の手術を受けた形跡がないと2003年同じ助手の伊藤医師がカルテを書いているとして私の前で読み上げた。

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