法華寺を訪ねた。
このお寺は、甲府市北部の通称「山の手通り」に面しているお寺だ。
このお寺には、信玄の弟、信繁の妻が眠っている。
この方は、養周院といわれる方だ。
そしてこの方、多くの謎に包まれた方だ。
どこの家から出た方なのか?どういった関係の方なのか?
どんな事を歴史に残した方なのか、記録が一切無いのだ。
分かっていることは、信繁の妻であり、嫡子信豊の母ということ。
そして「法華寺」の開基であるということだけだ。
さて、墓は本堂左にあるのだが、観光客を案内する標識なるものは全く無く、
前もって写真でも見ていないと、まず分からないであろう。
小生、知人からこの方を教えていただき、写真を持っていたので、分かったのだった。
とても信玄の弟の妻という、武田家の中でも高い身分の女性の扱いとは思えないことに
ショックを受けた。
それもこれも、家が滅び、墓を守る人がいなくなったことから起こった結末なのだろう。
家が滅ぶとはこういう事なんだなって改めて感じた。
しかし、どんなに記録がない方であろうが、史跡を扱う行政が、お墓の案内立てても良いと思う。
(養周院の墓)
この養周院は、1582年織田軍が信濃に侵攻してきた時、信繁の嫡男信豊が守る小諸城に
いて、信豊とともに自刃したそうだ。
勝頼一行だけでなく、歴史から忘れ去られた多くの武田家の人々に悲劇があったんだなと思う。
殆ど歴史から忘れられている女人であるが、今回出会えて良かったと思う。
このお寺は、甲府市北部の通称「山の手通り」に面しているお寺だ。
このお寺には、信玄の弟、信繁の妻が眠っている。
この方は、養周院といわれる方だ。
そしてこの方、多くの謎に包まれた方だ。
どこの家から出た方なのか?どういった関係の方なのか?
どんな事を歴史に残した方なのか、記録が一切無いのだ。
分かっていることは、信繁の妻であり、嫡子信豊の母ということ。
そして「法華寺」の開基であるということだけだ。
さて、墓は本堂左にあるのだが、観光客を案内する標識なるものは全く無く、
前もって写真でも見ていないと、まず分からないであろう。
小生、知人からこの方を教えていただき、写真を持っていたので、分かったのだった。
とても信玄の弟の妻という、武田家の中でも高い身分の女性の扱いとは思えないことに
ショックを受けた。
それもこれも、家が滅び、墓を守る人がいなくなったことから起こった結末なのだろう。
家が滅ぶとはこういう事なんだなって改めて感じた。
しかし、どんなに記録がない方であろうが、史跡を扱う行政が、お墓の案内立てても良いと思う。
(養周院の墓)
この養周院は、1582年織田軍が信濃に侵攻してきた時、信繁の嫡男信豊が守る小諸城に
いて、信豊とともに自刃したそうだ。
勝頼一行だけでなく、歴史から忘れ去られた多くの武田家の人々に悲劇があったんだなと思う。
殆ど歴史から忘れられている女人であるが、今回出会えて良かったと思う。