岡典子
『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』
新潮社 2023年
ベルリンには,「ドイツ抵抗運動記念館」があるという。
1968年に常設展を開始したこの記念館は,ナチスに抵抗したドイツ市民や軍人の運動を世界に知らしめる役割を担ってきた。
しかし,本書の著者の岡典子さんによれば,記念館にユダヤ人救援に関わった市民の活動を展示するフロアが設置されたのは,2018年2月だった。なぜこんなに長い年月を要したのかについて,岡さんは,運動に関わったドイツ市民たちが沈黙を守ってきたからだという。それは,「人間として当然の行いをしただけ」という良心や規範意識によるものだけではなく,ホロコーストはナチスがやったこととすることで,一般国民の免責を図る形で戦後の総括が進められてきたことに理由があるという。また,ユダヤ人の側も体験の重さに加え,自分だけが助かったという負い目が加わって口が重かったことが重なって,研究の開始が遅れて進まなかったと,岡さんは指摘する。
本書において,岡さんはナチス支配下のユダヤ人救援の実態を語り継ぐことを責務とし,当事者の手記,手紙,証言を含む膨大な資料に則って,具体的な個々人に関わる救援活動がいかにして成功したか,あるいは挫折したかを,丹念に記している。
「沈黙の勇者」とは,救援を受けたユダヤ人が,救援の手を差し伸べたドイツ人に捧げた尊称である。
ナチスによるユダヤ人に対する迫害は,時代を追って厳しくなる。ナチス以前のドイツは,ユダヤ人の同化が最も進んだ国であった。ナチスの宣伝によってユダヤ人差別が国民の間にもたらされ,さらに突撃隊のような官製組織によるシナゴーグの焼き討ちや資産の没収・破壊などの迫害が行われ,ゲシュタポや親衛隊によるユダヤ人の隔離・収容が強行され,さらには収容所への移送とホロコーストによるユダヤ人絶滅が策される。
本書ではこの過程が簡潔に説明されるとともに,それぞれの過程における救援の実態が述べられている。迫害の過程にあっては,ボイコットにさらされているユダヤ人商店から購入し,逆にユダヤ人を顧客として扱うという,ドイツ人のナチスへの抵抗が示される。
しかし,救援が非常に困難になるのは,1941年10月にユダヤ人の強制連行が開始されてからである。ナチスによってユダヤ人は絶滅の対象とされ,ドイツ国内には存在してはならないものになる。
だから生き延びようとするユダヤ人は,潜伏するか国外に脱出するか,あるいは身分を偽ってドイツ人に成りすますかしなければならない。
隠れ家を提供し,身分証明書を偽造し,配給制度のもと闇市から食料を供給する。こうしたことが救援するドイツ人に求められ,しかもそれは大きな危険を伴っている。ナチス下のドイツは密告社会の様相を呈し,事実密告によって築き上げた救援ネットワークが壊滅し,少なからぬ救援者・被救援者が犠牲になっている。
ドイツ在住のユダヤ人の内で,収容所に移送された人は16万人,地下に潜伏した人は1万から1万2千人と推定されている。後者の中で,戦後まで生き延びたユダヤ人は約5千人とされる。
救援に携わったドイツ人は約2万人で,勤め人,農民,医師,弁護士,聖職者,娼婦と多彩である。また,救援者とユダヤ人との出会いも多彩である
個人で動く場合もあるが,戦争の終わりに近づくにつれて,救援者の間のネットワークも作られ,互いに連絡を取り,偽造身分証明書などの調達ルートも形成されてくる。女性ジャーナリストが中心の「エミールおじさん」聖職者による「教会奉仕者共同体」などがあり,中でも最も大きなネットワークは,ドイツ貴族出身の妻を持ユダヤ人弁護士のフランツ・カウフマンが主催したカウフマン・ネットワークである。ナチスも手を出せない特権的な地位を利用し,偽造団や闇ルートを配下に置いて,潜伏者に必要なものを供給した。残念ながら,カウフマンは密告によって検挙され,終戦近くに処刑されている。
岡典子さんは,これら個々の救援者・被救援者の足跡を丹念に調べ,記述している。いずれのケースも極めてスリリングである。戦後まで生き延びたユダヤ人と,救援に携わったドイツ人の,時空を超えた再会の感動的な話も取り上げられている。
岡さんは,「沈黙の勇者」たちの活動のモチーフは様々であったが,その行動を支えたのは生き抜くことへの希望と,人と人をつなぐ連帯感であったと述べ,彼らの行ったことは,現代の混迷の社会における指針となるべきだと指摘している。
日本にいて,日本語で,ドイツにおける隠されていた歴史を知ることができるのは幸いである。世代を超えて後々まで残さるべき本である。
秋 晴 れ
自宅ベランダから撮影
STOP WAR!
秋 晴 れ??珍しい凄い雲ですね!
イスラム教の三つの神は同じですね。
映像はイワシ雲?秋を感じます。