後悔しない死に方
近着の學士會会報(968号)に久坂部洋さんの『後悔しない死に方』と題する論文が載っていた。學士會夕食会での講演録である。
友人がブログで紹介していて、おもしろそうなので心待ちしていたところ、昨日会報が配送されたので早速目を通した。
久坂部さんは医師で、小説家も名乗っている。長い間在宅医療に携わっていたので、看取りの経験が豊富で、言われていることが実践的で的確であり、論理的でわかりやすい。わたし自身の死の迎え方を考える上で大変参考になった。
そこで、この論文の内容に沿って、自分の死に方についての考えを整理してみた。その前提には、わたしはもう十分長く生きたので、いつ死んでもかまわないというのがある。新聞の死亡広告を見ると、わたしの年齢以下の方が半数をはるかに超えている。
*心臓マッサージとAEDによる電気ショックは受けない
心臓マッサージは、本気で行えば高齢者の場合胸骨と肋骨が折れて大変なことになる。電気マッサージは皮膚に火傷ができて時によると煙が出ることがあるそうだ。心臓が止まったら、そのまま安らかに逝きたい。
*栄養と酸素は無理に補給しない
老衰で死ぬときは食欲がなくなり、呼吸も少なくなる。点滴で水分を体に入れて心臓や腎臓に負担をかけたり、不快な酸素マスクをつけたりせず、そのまま死を迎えるのに任せてほしい。
*癌の治療はしない
癌にかかっていることが判明しても、一切治療はせず病徴の進行に任せる。死期が予測できるので、その間に計画的に終活ができる。ただし、苦痛除去の措置はしてもらう。
*救急車は呼ばない
自宅で脳疾患、誤嚥などを起こしても救急車は呼ばない。病院に運ばれて苛酷な延命治療を受けるより、そのまま自宅で静かに逝かせて欲しい。
*入院を避け自宅療養を優先する
基本的には自宅で最期を迎えたい。治療のための短期の入院はやむをえないが、治癒の可能性のない場合は自宅療養を行いたい。しかし、その場合には家族の負担が問題になる。いざというときの自宅医療、訪問介護をどのように実現するか、準備をしておかなければならない。
以上が当面の「覚悟」である。覚悟してもその場面になるとうろたえることが多いだろうが、悲惨な延命治療を避け、訪れる死を静かに受け入れるという気持ちを養成して行きたい、
わたしは、4年前に延命治療を拒否するリビング・ウィルを作成して、家族全員に渡してある。久坂部さんの論文を読んで、リビング・ウィルの主体である自分が覚悟しなければならないことがより鮮明になった気がする。
論文をコピーして妻子に渡し、意思を伝えておきたいと考えている。
散歩の途次で見かけた花
STOP WAR!
「散歩の途次で見かけた花」は心が安らぎますね!